最近、知人の会社の跡取り問題について、話を聞く機会があった。

社長はもう60代の後半で、引退を考えており、跡継ぎを息子にしようと思っているという。

 

だが、前途は多難だ。残念ながら、一代で会社を築き上げた極めて有能な社長に比べると、息子は能力的に平凡で、経営の手腕に不安が残る。

それなりの売上規模と利益のある会社なので、会社を継ぐほどの覚悟のある社員もいない。

 

そこで、何人かのアドバイザーは、こう聞いたらしい。

「会社をどこかの大手に売却するのが一番良いのでは?」

 

すると、社長は首を振った。

「会社を売却すれば、我々創業者一族の手元に多くのお金は残るだろう。だが、残された社員はどう思うだろうか。自分たちが売られた、と思う人もいるだろう。」

「それは、会社である以上、仕方ないのでは?」

「私にそれはできない。今の基盤があれば、息子に継がせても会社は10年は持つだろう。「創業者一族だけ逃げた」と思われるより、どうせ私が作った会社なのだから、息子が潰すほうがまだマシだ。」

 

面白い考え方だ、と思う。

 

社員たちも社長と同じように考えるかどうかはわからないが、結局の所、この社長は、合理性よりも、利益よりも「義理」「人情」を重んじる人物なのだ。

そして、彼はそれを極めることで、今の地位を築いた。

 

これは美しい話、なのだろう。

 

私の印象に残った記事の一つに「「普通の人」について」という記事がある。

この記事の書き出しには、こうある。

「普通の人」について

さて、「普通の人」とは何でしょうか。普通の人は、ごく一般のふつうの人です。

正義を愛し、家族を愛し、義理人情に厚い普通の人です。

そして、それは国民の大半を占め、マス層を形成しています。

同時に「普通の人」は、容赦なく虐殺を行い、差別を行い、戦争を引き起こします。それは正義に基づいていたり、家族愛であったりします。

「普通の人」は家族や共同体、コミュニティの価値観を基準して動きます。いってしまえば、ヤンキーであり、アニキであり仁義であり、ヤクザである。

加えて、ワンピースの世界観である。

一見、暴論のように思うが、私はこの話を、冒頭の社長の価値観をうまく表現しているように見えた。

 

つまり「社長」は、社員たちの親分なのである。

親分が自分についてきてくれる子分たちを、どこか別の組織に売るだろうか?まずありえない。

 

親分はどこまで行っても頼れる親分であり、息子がその後を継げば、子分たちはその息子を全力でサポートし、組織の秩序を保とうとするだろう。

それが義理と人情、というものだ。

 

 

しかし、「親分」と「子分」で出来上がっている組織や、コミュニティは、必ずしも優しいわけではない。

ときに、義理人情を欠くもの、親分の意向に背くものには、私刑がくだされる。

 

会社のオキテである経営方針を記憶していなかった、という理由で低評価にあえいだ新人。

成果を残していたにもかかわらず、「生意気で態度が悪いから」という理由で会社を追われた営業マン。

「やる気を見せなければ」という空気を読んで、必要ない残業をする事務員。

田舎で村八分になる移住者

 

組織のトップが「合理性」「客観性」、ときに「法」よりも、「正義」「義理」あるいは「秩序」を重視していたため、不利益を被る人間がいるのもまた、事実である。

 

作家の橘玲氏は「愛は世界を救う」のではなく「愛」を強調すると、世界はより分断される、と述べる。

原因は「ホルモン」だ。

「オキシトシン」というホルモンは「愛と絆」を育むが、同時に「より身内贔屓になる」という効果がある。

たとえば2つの敵対する集団にオトキシトシンを噴霧して愛情を高めると、かえって対立が激化することがわかっている。

親分が子分に愛情を注げば注ぐほど、あるいは子分が親分に忠義を尽くせば尽くすほど「それ以外の人」には排他的になるのだ。

 

上で紹介した「普通の人について」というブログの著者は、先程の文章に続けて「忠臣蔵は放送禁止にすべき」と述べている。

私は忠臣蔵はナチスの鍵十字並みに厳しく取り締まられるべきだと考えている。

忠臣蔵は極論してしまえば「アニキの面子がつぶされたので、部下が復讐に立ち上がり、メンツを潰した奴をぶっ殺す」というテロの物語であるからだ。

忠臣蔵は、法よりも正義を優先してよいという強烈なメッセージを孕んでいる。こんな気が狂った物語を毎年美談として正月に放送しているわけだ。

そりゃ遵法精神なんて生まれないし、アニキのためなら死んでもいい、という価値感が生まれる。

そして、共同体のためにはいくらでも低賃金で働いて良いし、サービス残業もしてしまう。

「普通の人」について

合理性や法律・規範より、共同体と親分のメンツを重んじたために大事になった事例は数知れない。

東芝の粉飾決算、日大のタックル、相撲部屋の不祥事……

 

上の著者は「忠臣蔵の本質はテロ行為」と断じている。

「恥をかかされたので、殿中で吉良上野介に切りかかかった浅野内匠頭はテロリストである」

浅野内匠頭の仇討ちをした赤穂浪士たちはテロリストである」

という文には、何も間違いはない。

 

どんな理由があれ、法の手に解決を委ねず、「私刑」や「復讐」に走るのは、「違法」の一言である。

 

 

翻って、企業の世界で最も強力なのは「義理」や「人情」などといった無駄な考え方を持たない、テクノロジー企業だ。

彼らの論理は、「親分」「子分」の文脈とは、全く異なる。

 

つまり、

「義理人情」より「合理」

「絆」より「能力」

「場の空気」より「法律」

「経験」より「データ」

「感情」より「論理」

「勇気」ではなく「リスクマネジメント」

「親分」ではなく「リーダーシップ」

 

Google、Facebook、Amazonなどのテクノロジー企業が強いのは、合理的だからだ。

当然だ。義理人情に流されず、無駄なものを省いて、徹底してデータを基に成果に突き進むほうが、知識社会、資本主義社会強いに決まっている。

また、そういう会社には「義理人情」よりも「合理性」を重視する人が集まるため、より成功しやすいだろう。

 

だが、徹頭徹尾合理性を貫くと、上で言うところの「普通の人」は強い不満を持つ。

 

例えば、ピーター・ドラッカーは著作「マネジメント」の中で「無能なものを忠実さだけで雇っておく慣行は真摯ではない」という企業の考え方に触れている。

この言葉に怒りを感じるのは、「普通の人」だ。

 

サッカー日本代表がなりふり構わず勝ち残ることを選んだ時、ルール通りだが規範に背く、と怒った人がいた。

ドワンゴの川上氏が「できない人をクビにせよ」といった時、怒った社長がいた。(参考:論理は突き詰めると人間の敵になる。

データ上も実証されていて、論理的にも正しいことを言っているのに、「言い方が悪い」と左遷されたサラリーマンがいた。

 

グローバル市場で「勝つ」側の思想と、「普通の人」の思想は、しばしば対立する。

そして、この問題は「格差」や「政治思想」の問題に直結するため、大きな争いの種をはらんでいる。

困ったことだ。

 

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(Photo:Habitat for Humanity Great Britain