ナショナルジオグラフィックの番組が面白い。
中でも「世界の麻薬産業」という番組は秀逸だ。(Amazonプライムビデオで見ることができる)
世界はなぜ、これほどまでに麻薬がまん延しているのか。この事実を正確に把握するため、麻薬の種類ごとにその供給ルートをたどるシリーズである。
今、麻薬の影響下にある人たちを通じて、死を招く麻薬の経済的重要性、世界中に広がる麻薬汚染、それに伴う社会的影響の大きさ、裏に隠された説得力ある科学的知識、そして麻薬の原点にスポットを当てる。
(ナショナルジオグラフィック)
麻薬の生産者、売人、そして利用者と警察。
それぞれの観点から、麻薬産業の闇を取り上げているのだが、まあ見てほしい。
「麻薬中毒」とはどのようなものか、よく分かる。
恍惚とした表情。
ケタミン中毒の20代(!)女性
インタビューに答える麻薬中毒者は
「真の幸福を感じる」という。
事実、彼らは薬に依って幸福であるからこそ、中毒者なのだ。
人間の幸福とは「脳の作り出す幻想」過ぎない。
この番組を見ると「人間の幸福」とは、脳が作り上げるイメージに過ぎないのだな、と強く感じるようになる。
彼らは麻薬で体を蝕まれ、仕事をなくし、家族に見放されながらも、薬によって脳が「幸福」を感じている。
「薬で得られる幸福感は虚構だ」という方もいるかも知れない。
だが、仕事の成功や家族とすごす幸福感は虚構ではない、と誰が言い切れるだろうか。
「薬物による幸福は、人間の尊厳にもとる」という方もいる。
だが、その前提はもはや自明ではない。
そもそも「尊厳」は、人間が自由意志を持つ存在だという前提があるからだ。
ところが、最新の科学は「果たして人間には「自由意志」なるものが存在しているのだろうか?」と問いかける。
例えば、東京大学の脳科学者、池谷裕二氏は、「意志とは自分の力で決定したつもりになっている幻想」と述べる。
脳波を測定する実験によって、科学的には、意識が意志を決めているのではなく、体が状況に対して「反射」を行い、意識はあとからそれを「感じている」にすぎないことがわかっている。
自由意志とは本人の錯覚にすぎず、実際の行動の大部分は環境や刺激によって、あるいは普段の習慣によって決まっているということです。
ここまでを読んで、「まさか自由がないはずがない。でたらめなことを言わないでほしい」「自分の決定が単なる反射なんて信じられない」と憤慨や不快感を抱いた方もおられるかもしれません。
でも、申し上げたいのです。その感情すらも、そう思ってしまった以上、もはや一種の「反射」でしかない、と。
なぜなら、他の感情をいだくという自由があったはずなのですから。私の意見に対して肯定的な感想を持つという選択ができたにもかかわらず、そうは思えなかった――やはり、これはその人の「思考癖」や「環境因子」が決めたものなのです。
にもかかわらず私たちは「自分で判断した」「自分で解釈した」と自信満々に勘違いしてしまいます。その勘違いこそが、ヒトの思考の落し穴です。
「自由意志などない」とすれば、「幸福」は人為的に操作できる
もし自由意志が存在せず、人間のあらゆる感覚は脳の作り上げた
「単なる生化学的な反射」
であるとすれば、幸福は完全にテクノロジーで制御できる可能性が見えてくる。
世界的ベストセラー「サピエンス全史」を著したイスラエルの歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリは、著書「ホモ・デウス」の中でそれをはっきりと述べている。
もし本当に生き物に自由意志がないのなら、それは私たちが薬物や遺伝子工学や脳への直接の刺激を使って生き物の欲望を操作し、意のままにさえできることを意味する。
これは、たいへん大きな議論をはらんでいる。
たとえば、テクノロジーで制御可能な「幸福」の利用方法はいくらでも見つかる。
・「学習・仕事」に対して
・面倒な「作業」にも
・スポーツなどの辛い練習にも
これはSFの中の話ではない。
事実、すでに現在アメリカ軍は人間の脳にコンピューターチップを埋め込む実験を始めている、この方法を使ってPTSD(心的外傷後ストレス障害)の兵士の治療をするためだ。
エルサレムのハダサ病院では患者の脳に電極を埋め込み、うつ病を引き起こしている脳の領域を麻痺させることで、うつ業を治療しようとしている。
こういった「制御」を、気味が悪い、人間の尊厳を否定しているなどと感じるのは「20世紀の普通の人間」だ。
が、21世紀の人々はこう考えるかもしれない。
「そもそも人間には自由意志などない」
「能力をアップグレードすることの何が悪いのか」
「人生すべてが幸福に感じるのは良いことだ」
「病気を治療しているだけだ」
彼らは、見ようによっては、感覚をアップグレードされた「超人」にも近いかもしれない。
天才的な偉業を次々と成し遂げ、努力を厭わず。
コミュニケーションに優れ、難解なコンセプトをやすやすと共有し、
情緒的にも安定し、犯罪に手を染めることはない。
彼らはAIを凌駕し、あるいはうまく役割分担して超人類をますます繁栄させるかもしれない。
「無用者階級」の出現
だが、そのような時代にも「超人」にアップグレードするための手段を持たない人びとはどうなるのだろう。
「人間の尊厳」「自由意志」といった、数々の20世紀に生み出された虚構を守り抜こうとする人びとはどうなるのだろう。
まず、トップレベルの能力争いには加われない。
生化学的に強化された人間に、通常の能力しか持たない人間が対抗するのは難しい。
上で紹介した「ホモ・デウス」には、アメリカ軍の「脳に電流を流すことで集中力を高めるヘルメット」の実験についての記述がある。
「ニューサイエンティスト」誌の記者サリー・アディーは、狙撃兵の訓練施設を訪れて自ら効果を試すことを許された。
まず、経頭蓋刺激ヘルメットを被らずに、戦場シミュレーターに入った。自爆爆弾を装着し、ライフル銃で武装した覆面男性二〇人がまっしぐらに向かってきたときの恐怖をサリーは次のように描写している。
「なんとか一人撃ち殺すたびに、新たに三人の襲撃者がどこからともなく現れる。私の撃ち方では間に合わないのは明らかで、パニックと手際の悪さのために、銃を詰まらせてばかりだった」。(中略)
そのあと、ヘルメットを被らせてもらった。いつもと違うという感じはとくになく、口の中がわずかにピリピリし、金属のような奇妙な味がしただけだった。それにもかかわらず、彼女はランボーかクリント・イーストウッドにでもなったかのように冷静に粛々と、バーチャルなテロリストを一人、また一人と狙い撃ちにし始めた。
「二〇人の襲撃者が武器を誇示しながらこちらに駆けてくるなか、私は落ち着き払って自分のライフル銃を向け、間を取って深呼吸し、最寄りの敵を狙い撃ちにしたかと思うと、そのときにはもう、静かに次の標的を見極めていた。ほんの一瞬ぐらいにしか思えないうちに、『よし、そこまで』という声がした。
戦場だけではない。企業、学校、政府機関など、あらゆる場所で、「超人」が必要とされる。
自らの脳に対する介入がもっとカジュアルに、もっと効果的に行われるようになれば、そのテクノロジーを用いる人々と、そうでない人々の断絶は、もはや「同種族」と呼べない領域にたどり着くかもしれない。
そして、あとに残されたのはAIの出現によって置き換えられてしまった「無用者階級」だ。
ユヴァル・ノア・ハラリによれば、「無用者階級」とは経済的価値や政治的価値、さらには芸術的価値さえ持たない人々、社会の繁栄と力と華々しさになんの貢献もしない人々、とされる。
彼らは失業しているだけではなく、「雇用不能」だ。
そして、超人たちが統べる世の中では、ほとんどの人間は「無用者」となる。
しかし、彼らは無用ではあるが、テクノロジーのおかげで幸福に生き続ける。
麻薬中毒者のように。
職はない。何かを生み出すこともない。ただ生きているだけの生物。
それが現生人類のリアルな終末だ。
彼らはレッドリストに登録され、かつて地上を支配した「ホモ・サピエンス」の生き残りとして、歴史の彼方に消えゆくだろう。
*
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