先日、博多駅のホームを歩いていて、こんなことがあったのです。
僕の少し先を歩く中年女性が荷物の上に載せていた折り畳み傘が、ゴロン、とホームの床に転げ落ちていきました。
けっこう大きな音がしたのだけれど、大勢の人が改札に向かっている慌ただしい終電間近の時間帯。
その女性は急いでいるらしく、全く気づく様子もなく、ずんずん先に進んでいきます。
僕は荷物で両手が塞がっており、どうしよう、と迷いつつも、足はどんどん前に進んでいきました。
後ろから声をかけるというのも、なんとなく気が引けるし、けっこう急いでいるみたいだし、まあ、そんなに高い傘じゃなさそうだし……正直、そういう小さな親切のために、他人に声をかけるめんどくささもあったんですよね。
僕も、知らない人にいきなり声をかけられるのって、あんまり気持ちの良いものじゃないし……まあとにかく、いろんな言い訳を矢継ぎ早に思いついて、スルーしようとしていました。
なんだか、モヤモヤしたものを抱えつつ。
ところが、僕の少し後ろにいた、まだ20代くらいの耳にピアスとかした、ちょっとチャラい感じの若い男性が、「動いた」のです。
彼は、その傘をサッと拾うと、「すみません……」と、落とした中年女性に声をかけました。
傘を落としたことに気づいていないので、若者の声を無視して歩いていたのですが、目の前に落とした傘をかざされ、少し大きな声で「これ、落としましたよ」と言われて、驚いた表情をみせ、「ありがとうございます!」と恐縮していました。
その若者は、傘を渡すと、さわやかに改札に向かって去っていったのです。
それをみて、傘が持ち主に戻ったことにホッとしつつも、「人は見かけによらないものだな」というのと、「ああ、負けた……」というのが、僕の心に入り混じりました。
僕以外にも、彼女が傘を落としたことに気づいた人は少なからずいたのですが、実際に動いたのは彼だけだったのです。
たぶんみんな、心のなかで葛藤していたのではなかろうか。
あの傘、誰かなんとかしてくれないか、と。
吉澤ひとみさんのひき逃げ事故の際の映像(といわれているもの)が公開され、ひき逃げをした吉澤さん本人だけでなく、現場にいた人たちが、誰も被害者を助けようとしなかったことに批判が出ています。
僕もあの映像をみたとき、被害者の周囲の人たちの反応に驚きました。
被害者はそれほど重症という感じにはみえなかったけれど、もうちょっと周囲も声をかけたり、様子を確認したり、救急車や警察を読んだり、ひき逃げした車のナンバーを確認したりするものではないのか、と。
でも、傘1本でさえ何もできないまま見過ごしてしまった自分自身のことを考えると、あの場でみんながフリーズする気持ちはわかるんですよ。
もちろんそれが良いことだと思っているわけではないけれど。
急いでいる人は時間を取られると危惧するかもしれないし、面倒なことに巻き込まれる可能性もある。
救助する、助けを差し伸べるとしても、うまくいっても感謝されるくらいで、下手すれば「助け方が適切ではなかった」と批判されるリスクもないとは言えません。
個人的なメリット・デメリットでいえば、デメリットのほうが大きい事例でもあるのです。
あの場の人たちも、悪気があったというよりは、どうしていいかわからず、積極的に関わる勇気も出ず、誰かがなんとかしてくれないか、なぜこんな場に居合わせてしまったのか、という感じだったのではなかろうか。
内心は、かなりざわめいていたはず。
人を緊急時に適切に救助するというのは、訓練や経験が必要なものでもあります。
助けるのが怖い、というのもあったのではないかと。
僕の場合は、傘を落とした人に教えてあげる勇気はなかったけれど、もし事故現場に遭遇したら、「仕事」として対応できていたのではなかろうか(期待込み)。
「傘も拾わないようなヤツが?」とお思いでしょうが、サポートすべきかどうか迷う状況よりも、「明らかに救助が必要な場合」のほうが、動きやすい面もあるのです。
そういうときに見捨てて逃げたら、医療関係者としてどうよ、というプレッシャーもありますし。
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以前、海外をけっこう長い間旅行していたときに、驚いたことがあったのです。
外国の人々、とくに西欧の男性たちが、ものすごく親切であることに。
彼らは、われわれがちょっと困っている(たとえば、飛行機内で重い荷物を棚に上げるとか、言葉が通じないとかの)ときに、ごく自然に入り込んできて、サポートしてくれるんですよ。
そんなに「いい人」っぽい感じではなく、腕にタトゥーは入りまくり、みたいな人が、荷物に手をかけただけで、サッと持ち上げてくれるのです。
僕は、西欧って「個人主義で、自分のことは自分でやる人たちの世界」だと思っていたのですが、彼らにとって「困っている人をちょっと手助けするのは、ごく自然なふるまい」なんですね。
もちろん、全員がそういうわけじゃないのですが、日本よりも「小さな親切」がナチュラルに行われているのです。
僕は、気が利かない自分がイヤになってしまいました。
日本では「席を譲る」だけでも、ちょっとした勇気が要るじゃないですか。
「小さなサポート」が、あまりにも重くなってしまっている、ともいえるのです。
だから西欧万歳!という話じゃないんですよ。
日本で、「電車の中で人々が居眠りしている」ことに多くの外国人が驚く、という話がありました(もう20年くらい前に聞いたのですが)。
日本は今でも「日常の治安」は諸外国よりも良いほうだと思います。
個々の人は、そんなに親切でもフレンドリーでもないのに、全体としては「安全なほう」なんですよね。
むしろ、距離をとってお互いに見張るというか見守るようなところがあるから、安全なのだろうか。
西欧では、ホテルのエレベーターに乗るときでも、先に乗っている人に”HELLO”と挨拶するのです。
なんかめんどくさいなあ、と思っていたのですが、それに慣れてしまうと、要するにこれは「僕はあなたに敵意はありませんよ」っていう符牒みたいなものだということがわかります。
逆に、日本を訪問する西欧の人々は、みんなが黙ってエレベーターを乗り降りすることに不安を感じているのかもしれません。
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日本では「困っている人を助けてあげましょう」という理念は声高に語られているものの、そういう光景を子どもたちが実際に見ることは少ないし、「知らない人には気をつけよう」とか「余計なことに手を出すのはリスクが高い(善意であっても、責められることが少なくない)」という意識が高いのです。
本当に「小さな親切」「困っている人を助ける文化」を浸透させたいのであれば、それこそ、子どもたちに「親切実習」をさせて、大人も率先して困っている人をサポートするようにし、AED(自動体外式除細動器)の使い方や目の前で人が車に轢かれた場合も想定した救急時に何をすべきかのトレーニングを学校などで義務化すべきなんですよね。
いくら理想を語られても、いざというときに、大部分の人は、やったことがないことはできない。
やったことがあっても、フリーズしてしまう人のほうが多いくらいです。
思い返してみると、毎回鬱陶しくて、こんなことやっても何にもならないだろう、と感じていた避難訓練のおかげで、「火事になったときにどう動くか」が最低限は刷り込まれているわけですし。
これからは高齢化がさらに進んできて、日常のなかの急病や事故というのも増えてくることが予想されます。
「スローガン」じゃなくて、「テクニック」と「経験」を浸透させないと、いざとなるとフリーズしてしまう人が増えていくだけなんですよね。
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【著者プロフィール】
著者:fujipon
読書感想ブログ『琥珀色の戯言』、瞑想・迷走しつづけている雑記『いつか電池がきれるまで』を書きつづけている、「人生の折り返し点を過ぎたことにようやく気づいてしまった」ネット中毒の40代内科医です。
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(Photo:James Johnstone)