2000年代の始めに、あるベンチャー企業でCFOをしていた時の話だ。
その会社はVC(ベンチャーキャピタル)や金融機関、事業会社から10億円近い出資を受け、近い将来のIPO(株式の新規上場)間違い無しと期待されていた銘柄だった。
しかし目先のキャッシュフローは大幅なマイナス続きで、経営は厳しい。
なるべく経費を圧縮し資金繰りを安定させたかったが、一方でIPOのために単価の高い専門知識を持つ幹部を雇う必要がある。
結果、SO(ストックオプション)のインセンティブを使い、何人かの幹部を採用した。
目先の報酬は多く出せないが、その分IPOの時にたっぷり儲けてね、という“鼻人参”だ。
しかしその目論見はほとんど機能せず、インセンティブに繋がる手応えを感じることはほとんどなかった。
*
ところでこの、ベンチャー企業という言葉とセットで語られることが多いSO。
果たしてどれだけの人が正確に、その仕組みを知っているだろう。
おそらくほとんどのビジネスパーソンにとって、
「上場した時に、億単位の成功報酬が貰える仕組みじゃないの?」
という程度のものではないだろうか。
今回のお話は、ベンチャー企業経営者などに「SOの導入なんか止めたほうが良い」という趣旨の話なので、まずはこのSOという仕組みの説明から始めたい。
SOはノーリスク・ハイリターンの夢の報酬なのか
SOは日本語で新株予約権とも呼ばれ、会社の新株を予め約束した価額で購入できる権利を指す。
やや乱暴ではあるが、わかりやすいよう単純に説明したい。
現在の会社の株価(評価額)は1株5万円とする。
IPOの目標時期は3年後だ。
例えばこの状況で、3年後から5年後までの間であれば、現在の株価5万円で10株買う権利を役職員に与えること。
これがSOである。
一般にIPOを目指す会社は、成長著しい企業であることが多い。また未上場株はIPOを達成すると、大きく評価額が上がる。
そのため、未上場企業の株を早いうちに購入、または未上場時の評価額で購入する権利を得ると、損をすることはまず無い。
そのため、役職員のインセンティブになるというものだ。
そしてその儲けはもちろん、株価が上昇した分だけ大きくなるので、役職員はますます会社の利益のためにやる気を出すはずである。
これがSOの基本的な考え方だ。
SOの仕組みについて、これ以上簡単に説明することはできない。
その上で、このような説明を上司から聞き、
「君にはSOを10個付与するから、今以上に成果を出せるよう頑張って欲しい。」
と言われたとして、本当にやる気が出るだろうか。
きっと、
「精一杯頑張ります!」
「ありがとうございます、ますますやる気が出ました!」
とは答えるが、次の日にはいつもと同じように、いつものテンションで仕事をしているだろう。
なぜか。
自分の付与されたSOが、会社が上場した時にはどれだけの価値になるのか。
自社がIPOに至る可能性はどれくらいあるのか。
全くわからないからだ。
さらにいうと、自分の仕事がIPOに直接結びつくものであるという実感も、まず持てないだろう。
加えて言うと、3年後の上場を目指しているような段階で、上場時の株価なんてものは経営者自身にもわからない。
想定はするが、そのために仕事をしているわけではなく大きな関心事でもない。
であれば、それを従業員に説明できるわけもなく、従業員もわかるわけがない、ということだ。
このようにして経営者は、何か効果的なインセンティブを付与したつもりになるが、SOが何の成果にも結びつくことはない。
SOで得られる現実的な報酬の相場
ただ、「何もわからない」では無責任なので、SOを付与された役職員がどの程度の具体的な利益を得る可能性があるのか。
一つのわかりやすいケースとして説明したい。
もし自分が10株に相当するSOを付与されたとして、会社の株式総数が10000株の場合、持株比率は0.1%である。
インセンティブで引っ張ってきた役員は別として、創業時から在籍している社員に報奨として付与される分としてはよくある数字だ。
このケースでは、会社がそのまま上場し時価総額が100億円になれば、自分が権利を行使して得られる報奨は1000万円ということになる。
1000億円なら1億円だ。
まさに、夢の億万長者である。
会社は通常、IPOの際に資金調達を目的に新株を発行するので持株比率はさらに薄まるが、話を単純にするためにそこは無視して欲しい。
では実際のところ、会社はIPOを達成したらどの程度の時価総額を得るのか。
2018年度上半期の数字で見ると、上場時の時価総額で50億円以下であった企業は18社と、ちょうど半数。
最も大きかったのはメルカリの約4000億円だが、これは「ユニコーン」と呼ばれる会社のIPOであり、とてもレアな案件だった。時価総額(評価額)が10億ドル以上の未上場の会社を指す言葉だが、まさにユニコーンのように幻の存在と言う意味である。
つまりSOを付与された多くの一般社員にとっては、IPOという極めてレアなステージに至ることができても、50億円×0.1%=500万円にも満たないケースがほとんどだったことになる。
2000年代初頭のIPOブームの頃、未上場のうちに成長企業に転職しSOを付与されたら、まるで誰もが億万長者になれるかのようにメディアが報じていたことが印象的であった。
しかしそれは幻想に過ぎないことが、この数字からもおわかり頂けるのではないだろうか。
より大きな問題は、会社の分断を生む「最後通牒ゲーム」
つまりSOは、それを付与された従業員であっても、期待を上回る報酬になる可能性は決して高くない。
メディアの影響もあり、億単位の報酬を夢想していたのに500万円にも満たない報酬にしかならなければ、むしろ気が抜けてしまうだろう。
鼻人参として機能しないだけでなく、多くの役職員をガッカリさせることすらあるかもしれない。
しかしそれでも、報奨を手にすることができた従業員については、問題はそれほど大きくない。
問題は、SOを付与される時期を過ぎて入社し、なおかつIPOを経験した社員だ。
彼ら・彼女らの目に、それは能力とは無関係に巨額の臨時報酬を得る人がいるという、理不尽で不公平なイベントにしか映らない。
中には実力に関わらず、巨額のリターンを得ることになる先輩社員もいるだろう。
これは会社に、どのような影響をもたらすだろうか。
話は変わるが、「最後通牒ゲーム」という考え方をご存知だろうか。
例えばあなたのお父さんが500万円を、あなたとあなたのお兄さんに生前贈与すると申し出る。
この際お父さんは「500万円の分け方について兄が決める」という条件をつけた。
そして一方、あなたには「兄の分け方が不満であれば拒否をしてもOK」という条件をつけてもらえた。
ただしあなたが、兄の分け方について不満を持ち、それを拒否すると500万円の生前贈与は中止され、500万円は別の誰かに渡る。
結果として、あなたもあなたのお兄さんも1円も貰えない。
そのようなルールだ。
このルールにおいて、お兄さんが4,999,000円を自分のものとし、あなたの取り分を1,000円と決めたとしたら、あなたはOKするだろうか。
おそらく激怒して拒否し、二人とも1円も得られない道を選ぶのではないだろうか。
理論的にあなたは、1円以上であれば必ず得をするので1000円でも拒否をする理由はない。
しかし人は、不公平であると思えば自分の利益すら無視をしてでも現状を受け入れない心理が働くという、人の心の動きを表す極めて現実的な考え方だ。
人は納得できない現実を合理的に受け入れるほど、便利にはできていない。
翻ってみて、SOを手にすること無くIPOを経験した社員の目に、入社時期が1年早いというだけで巨額の報酬を得た先輩社員は、どのように映るだろう。
自分が優秀であると自負する社員であれば、なおさらである。
中には自分より仕事ができないのに、スーツも持ち物も明らかに変わり、遊び方が派手になる同僚もいる。
そのような現実にストレスを感じ、最悪の場合会社を去ることを考えるのではないだろうか。
つまりSOとは、
・株式の希薄化というコストがかかり
・インセンティブにならず
・社員の士気を崩壊させ
・株主の不興を買う
という結果になり、誰も得をしない可能性があるということだ。
無策で安易なSOの導入は、決してやってはならない。
それでもSOが存在し続ける理由
ネガティブな要因ばかり挙げてきたが、それでもSOという制度は無くならない。
であればそこには必ず、有効な使い方が存在するはずだ。
それはなにか。
これはSOに限らないが、どのような形の報酬であれ、必ず意味の裏付けがあるものを役職員に支給するということだ。
宝くじがそうであるように、リスクとリターンのバランスが著しく悪い方法で得たまとまった現金は、結果として人を幸せにしない。
その意味では、創業時から在籍し大いにリスクを取った役職員には、SOは意味のある報酬と言えなくもない。
ただしその支給は経営トップが十分にその意味を説明し、さらに受け取る側が意味を理解できる場合に限るべきだろう。
また、同じ500万円でも、SOではなく賞与で支給した方が喜んでくれるのであれば、SOは使うべきではない。
ちょっと狭い領域の話をしてしまったが、誰かの参考になれば嬉しく思う。
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【著者プロフィール】
桃野泰徳
大学卒業後、大和證券に勤務。中堅メーカーなどでCFOを歴任し独立。
激レアさんを連れてきたとクレイジー・ジャーニー、ピカード艦長が大好きです。
三谷幸喜さんに似てるって言われてから、メガネやめてコンタクトにしました。
(Photo:401(K) 2012)