社会問題について「平等か否か」についての議論はよく耳にするけれど、「公平か否か」という話はあんまり聞かないなぁ。

お風呂につかりながら、ふとそんなことを思った。

 

最近『平等』という言葉をよく聞くし、『平等』は基本的に「いいこと」だとされている。

でも『不公平』な状態に対してムリに『平等』という概念をもちこむと、話はこじれる。

 

それなのに『平等』が「いいこと」だとするのは、どうなんだろう。

 

家事分担は不平等、でも公平だから納得してる

わたしはフリーライターとして、主に家で仕事をしている。

ともに暮らしているパートナーは、フルタイムで企業勤めだ。家事の負担は9対1くらい。

 

とはいっても、彼はうるさいことを言うタイプではないので、わたしが家事に費やす時間はせいぜい1日1時間くらい。

彼が担っている家事といえば、週に1、2度ゴミを出すとか、乾いた自分の洗濯物を畳むとか、わたしがご飯を食べない時にスパゲッティを茹でるとか、それくらい。

たまに気が向いた時に片付けをしているが、家事に使っている時間は週に1時間とか2時間とか、それくらいじゃないかと思う。

 

わたしたちは家事を5:5で分担していないので、いってしまえば『不平等』だ。でもわたしは納得している。

この分担は、『公平』だから。

 

わたしは出勤する必要がなく、高確率で家にいて、時間の融通も効く。

労働時間も彼の半分以下。そのなかで毎日家事に1時間費やすのは、そんなに負担ではない。

 

でも彼が毎日1時間家事に時間を使うとなると、かなりの負担になる。

夕方6時か7時ごろ帰ってきて、夜ご飯を食べてのんびりして、となればもう夜9時前。

10時にはお互いベッドに入るから、そこに1時間の家事を突っ込めば、彼の自由な時間はなくなる。

 

家事の量でいえば、わたしの負担が大きく、たしかに不平等だ。

でも「家事がどれだけ負担になるか」と考えれば、これくらいの塩梅が『公平』なのだと思う。

 

実際、わたしが仕事を優先させているときは家事が負担になるので放置する。そこで文句を言われたら腹も立つが、彼はかなり大雑把……おおらかなので問題ない。

 

量の『平等』と比率の『公平』

それでも以前は、家事分担でちょっとした喧嘩になった。

ライターになったばっかりの頃は単価が低いので記事を量産するしかなく、今の5倍くらい働いていたのだ。

彼も仕事場が遠く、平日は自由な時間がほとんどない状態。

 

そんななかでわたしは「家にはいるけど仕事をしてるんだから家事は平等に」と言い、彼は「物理的に家にいないんだからしかたない」と言う。

結局わたしが家事の多くをやっていたのだが、ずっとそれが不満だった。

 

彼の大学卒業とともに引っ越した現在、家事負担は9対1と以前より増えたが、精神的・物理的負担はかなり減っている。

前よりも時間に余裕があるし、手術で病気も治り体力が回復したからだ。

 

彼のほうが金銭的負担率が高いことを考えると、在宅ワーカーのわたしが家事をメインに担当するのは『公平』だと思う。

だからいま、家事分担に不満はない。

こんなわけで、「平等であることがいいこと」「平等にすべき」という言葉をよく聞くけれど、家事負担を通じて『平等』と『公平』はちがうんだなぁなんて思ったわけだ。

 

『平等』と『公平』を改めて考えればかなりちがう

そもそも『平等』ってなんだろう。文字通り「ひとしくする」という意味で、イメージ的にはスタートラインを揃える、という感じだろうか。

 

ブスだから採用しないとか、ハゲているから課長になれないとか、そういった特別扱いは「ひとしくする」から外れているので、『平等』ではない。

性別や外見、国籍などで不利な扱いをせず、みんな横並びでスタート。これが『平等』。

家事負担で言えば、10ある仕事を5:5にするのが「ひとしく」であり、『平等』だ。

しかし「女だから家事をすべき」というのは、スタートラインが男女横並びではなくなるので、『不平等』。

 

「前提条件を同じにしてみんな同じように扱います」というのが、わかりやすい『平等』のかたちだ。

 

では『公平』とはなんだろう。『公平』とはつまり、フェアであるということだ。

たとえばわたしが藤井聡太七段と将棋を指すという状況になったとしたら、飛車角落ちよりもっと大幅なハンデをもらわないと対等にはならない。『平等』な対局として同じ条件でやれば、わたしは100%負ける。

「スタートラインをそろえましょう」が『平等』ならば、「ゴールまでの距離をそろえましょう」が『公平』といえるかもしれない。

 

藤井棋士との対局でいえば、勝てる確率を同じにする。

家事でいえば、自由時間に対する家事が占める割合、つまり負担率を同じにする。

それが『公平』。なのだと思う。

 

身近な例で言えば、飲み会の割り勘だ。たいしてお酒を飲まないしとくに大食漢ということでもないわたしが、大酒飲みの大食らいと一緒に食事に行ったとする。

完全割り勘にするのが『平等』であり、飲み食いした量に合わせて払うのが『公平』。

 

……あってるよね? まちがっていたら教えてください。

 

『公平』を求める状況で『平等』を突っ込むと弱者はつらい

社会ではよく『平等』という言葉が使われるけれど、多くの場合で必要とされるのは『公平』なんじゃないかなぁ?なんて思う。

 

たとえば重いものを運ぶとする。『平等』が善であれば、男女や年齢、持病の有無にかかわらず、みんなで等分して運ぶべきだろう。

日本の大学の学費はめちゃくちゃ高いが、貧困家庭だろうが親が寝たきりだろうが、同じ金額を払うのが平等である。

 

小学校時代、まだメガネを作っていなかったので、席替えのたびに前の方の席にしてもらっていた。

しかしくじ引きで席を決める以上、視力に関係なく完全ランダムにするのが平等だ。

 

でもこういう状況では、『平等』は弱者を追い詰めてしまう。

女でも男と同じだけ重いものを運ばなきゃいけないし、貧困家庭の子どもは一般家庭と同じだけのお金が払えなければ進学を諦めなければいけないし、目が悪い人でもくじ運が悪ければ後ろの席になる。弱者側にとって『平等』は、ときにとても冷酷だ。

 

では女は重いものを運ばなくてよくて、貧困家庭の子どもの学費負担率は低くして、目が悪ければ前の席に座れるようにしよう。

それは『公平』だろうが、同時に『不平等』になる。

ひとりひとりの能力や環境がちがう以上、ゴールへの距離を同じにして『公平』にするためにはある程度スタートラインをいじる必要があり、そうすれば必然的に『平等』が犠牲になるのだ。

 

『平等』と『公平』、求められるのはどっちだ?

わたしは家事分担の一件から、わたしたちの場合、互いが幸せに暮らすために必要なのは『平等』な家事分担ではなく『公平』な家事分担だと悟った。

これは社会でも同じで、「平等を!」と言われている部分でも、本当に求められているのは『公平』だったりするんじゃないだろうか。

 

世の中、平等であるべきこと、公平であるべきこと、状況によってそれぞれ異なる。

合理的な理由がないかぎり、男女ひとしく昇進のチャンスを与えるべき。これは『平等』だ。家庭の経済状況を踏まえ必要に応じて経済的援助をし、みんなに同じだけ進学のチャンスを与えるべき。これは『公平』だ。

 

医学部入試の女性差別のように「不平等で不公平」なことはあっても、「平等かつ公平」はたぶん、かなり難しいスタートもゴールも一緒にするというのは、個人差がまったくない前提じゃないとできないから。

 

ということは、絶対ではないにせよ、『平等』を優先すれば『公平』が、『公平』を優先すれば『平等』がおざなりになるわけである。

ならば、状況に応じて『平等』か『公平』、どちらが求められているのか、ちゃんと考えないといけない。

 

求められているものとはちがう対応をしてしまえば、弱者側が圧倒的に不利になってしまうのだから。

というわけで、『平等』ばかりが「いい」とされているような気がしたので、「『公平』が必要な場合もあるんじゃないの?」というちょっとしたぼやきをお送りましたした。

 

 

【お知らせ】
ティネクト(Books&Apps運営会社)提供オンラインラジオ第6回目のお知らせ。


<本音オンラインラジオ MASSYS’S BAR>

第6回 地方創生×事業再生

再生現場のリアルから見えた、“経営企画”の本質とは

【日時】 2025年7月30日(水曜日)19:00–21:00
【ご視聴方法】
ティネクト本音オンラインラジオ会員登録ページよりご登録ください。ご登録後に視聴リンクをお送りいたします。
当日はzoomによる動画視聴もしくは音声のみでも楽しめる内容となっております。

【今回のトーク概要】
  • 0. オープニング(5分)
    自己紹介とテーマ提示:「地方創生 × 事業再生」=「実行できる経営企画」
  • 1. 事業再生の現場から(20分)
    保育事業再生のリアル/行政交渉/人材難/資金繰り/制度整備の具体例
  • 2. 地方創生と事業再生(10分)
    再生支援は地方創生の基礎。経営の“仕組み”の欠如が疲弊を生む
  • 3. 一般論としての「経営企画」とは(5分)
    経営戦略・KPI設計・IRなど中小企業とのギャップを解説
  • 4. 中小企業における経営企画の翻訳(10分)
    「当たり前を実行可能な形に翻訳する」方法論
  • 5. 経営企画の三原則(5分)
    数字を見える化/仕組みで回す/翻訳して実行する
  • 6. まとめ(5分)
    経営企画は中小企業の“未来をつくる技術”

【ゲスト】
鍵政 達也(かぎまさ たつや)氏
ExePro Partner代表 経営コンサルタント
兵庫県神戸市出身。慶應義塾大学経済学部卒業。3児の父。
高校三年生まで「理系」として過ごすも、自身の理系としての将来に魅力を感じなくなり、好きだった数学で受験が可能な経済学部に進学。大学生活では飲食業のアルバイトで「商売」の面白さに気付き調理師免許を取得するまでのめり込む。
卒業後、株式会社船井総合研究所にて中小企業の経営コンサルティング業務(メインクライアントは飲食業、保育サービス業など)に従事。日本全国への出張や上海子会社でのプロジェクトマネジメントなど1年で休みが数日という日々を過ごす。
株式会社日本総合研究所(三井住友FG)に転職し、スタートアップ支援、新規事業開発支援、業務改革支援、ビジネスデューデリジェンスなどの中堅~大企業向けコンサルティング業務に従事。
その後、事業承継・再生案件において保育所運営会社の代表取締役に就任し、事業再生を行う。賞与未払いの倒産寸前の状況から4年で売上2倍・黒字化を達成。
現在は、再建企業の取締役として経営企画業務を担当する傍ら、経営コンサルタント×経営者の経験を活かして、経営の「見える化」と「やるべきごとの言語化」と実行の伴走支援を行うコンサルタントとして活動している。

【パーソナリティ】
倉増 京平(くらまし きょうへい)
ティネクト株式会社 取締役 / 株式会社ライフ&ワーク 代表取締役 / 一般社団法人インディペンデント・プロデューサーズ・ギルド 代表理事
顧客企業のデジタル領域におけるマーケティングサポートを長く手掛ける。新たなビジネスモデルの創出と事業展開に注力し、コンテンツマーケティングの分野で深い知見と経験を積む。
コロナ以降、地方企業のマーケティング支援を数多く手掛け、デジタル・トランスフォーメーションを促進する役割を果たす。2023年以降、生成AIをマーケティングの現場で実践的に活用する機会を増やし、AIとマーケティングの融合による新たな価値創造に挑戦している。
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(2025/7/14更新)

 

 

【著者プロフィール】

名前:雨宮紫苑

91年生まれ、ドイツ在住のフリーライター。小説執筆&写真撮影もやってます。

ハロプロとアニメが好きだけど、オタクっぽい呟きをするとフォロワーが減るのが最近の悩みです。

著書:『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』(新潮新書)

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(Photo:iwishmynamewasmarsha)