先日、books&appsでこんな記事を見かけた。

人と人とは完璧にわかりあえなくても、一緒に居られるし、豊かになれる。

国も夫婦も、完全にお互いをわかりあう事は非常に難しい。

けど、そんな事をせずとも、お互いを尊重さえできれば、一緒に清濁併せ呑んで上手にやっていける。

男女関係も国交も、シンプルに考えてしまうと「意見が合わない奴となんて一緒になる理由がない」と性嫌悪や反日、反韓のようなポピュリズムの罠に陥りがちだ。

 

けど、豊かさの源泉は確かにそこにあるのだ。

私やあなたがここにいるのも有性生殖が今まで続いたからこそだし、豊かな文化を享受できているのも様々な国と国交が行われているからこそである。

人と人は完全にわかりあうことなんてできない。

それでも、お互いを尊重した付き合いができれば豊かな関係をつくることはできる。

 

実際、世の中の夫婦が「完全にわかりあう」なんてことはまず無いだろう。

夫婦はそれそれに異なった意見と利害を持っていて、そこで対立することだってザラにある。

それでも付き合っていけるのが大人のパートナーシップだし、長続きするパートナーシップとは、そのようなものではないだろうか。

 

夫婦がうまくやっていくためには、「わかりあう」よりも意見や利害の調整をやってのける意志と能力が必要のように私には思える。

むしろ、「わかりあう」という努力目標がかえって夫婦関係を難しくしていることもあるように思えてくる。

「わかりあう」をパートナーシップの目標にしたがる人とは、実のところ、パートナーとの利害や意見の不一致を認めたくないのではないだろうか。

それか、パートナーとの意見や利害の調整をしたくないか、できないのではないだろうか。

 

夫婦に限ったことではなく、友達や仕事上の付き合いなどでもたぶん同じだ。

わかりあえない部分があっても意見や利害を調整し、是々非々で付き合っていく――そうやって大人の世界のコミュニケーションが進行しているように私にはみえる。

 

意見や利害の調整を外交ゲームから学んだ

若い頃の私は「わかりあう」という努力目標にかぶれ過ぎていた。

 

今にして思えば、それは人間関係のあちこちに良くない影響を与えていたと思う。

誰かに勝手に期待して、勝手に失望して、いろいろな人に迷惑をかけていた。

「わかりあう」を努力目標にしなくなり、意見や利害は一致させるものでなく、調整するものだと理解するようになってから、私のコミュニケーション能力はだいぶマシになったと思う。

 

私はコンピュータゲーム愛好家なので、こういう意見や利害の調整についてゲームからも多く学んだ。

この『ヨーロッパユニバーサリス』というゲームは、いちおう戦争もできるけれども、戦争ゲームとしては正直あまり面白くない。

そのかわり外交関係がとても興味深い。

中世末期~近世にかけてのヨーロッパという、無数の国々の意見と利害がぶつかりあう外交関係のなかで、どう立ち回り、どこの国と仲良くなるのか(そしてどこの国に喧嘩を売るのか)がこのゲームではシミュレートされている。

 

ヨーロッパの外交情勢はややこしい。

国と国との同盟や戦争だけでなく、教皇庁や神聖ローマ帝国との関係も情勢を左右する。

イスラム教とキリスト教、カトリックとプロテスタントといった宗教的反目によって外交が妨げられたり、逆にそれらを利用できたりもする。

 

そしてゲームのアルゴリズム上、国と国とが「わかりあう」ことは絶対に無い。

国と国との間に信頼関係が芽生えることはあるけれども、それとて意見や利害の調整を粘り強く続けてようやくできあがり、一度の戦争で消えてしまう儚いものに過ぎない。

 

反面、たとえ仮想敵国同士でも、意見や利害の調整ができている時には平和が続いたりもする。

ヨーロッパ史では派手な戦争に目が向きがちかもしれないけれども、意見や利害の調整ができている期間も長い。

戦争は、意見や利害の調整が破綻してしまった時に起こるか、破綻させても困らなくなった時に専ら起こる。

 

「戦争するなら、大義名分を手に入れてから」

『戦争論』で有名な軍事学者のクラウゼヴィッツは、「戦争は、他の手段を用いて行われる政治交渉の手段である」と言ったが、実際、ダイレクトに争うのも意見や利害の調整手段ではある。

戦争論〈上〉 (中公文庫)

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クラウゼヴィッツ流に考えると、戦争とは単なる暴力の応酬ではなく、意見や利害の調整手段だから、政治やコミュニケーションとしての側面を必ず持ち合わせている。

そこのところを忘れたまま争えば、昔のヨーロッパでも、ゲームの世界のなかでも、おそらく私たちの人間関係でも、戦争はうまくいかない。たとえ戦争自体には勝ったとしてもだ。

 

中世末期~近世のヨーロッパでは、強国が弱小国を併合するなんて日常茶飯事だった。

とはいえ、好き勝手に戦争すれば「あの国はろくでなし国家だ」とみなされるし、条約を破ってばかりでも国際的信用を失い、やがて誰の相手にもされなくなってしまう。

『ヨーロッパユニバーサリス』はこうした部分をリアルに再現していて、なんの大義名分もない戦争を繰り返していると他国からの評判がどんどん悪化し、国際的に孤立してしまう。

上記のイングランドのスクリーンショットの一番下に、赤字で「褒められる国ではないとの評判です」と書かれているのが評判だ。

網の目のような同盟関係に覆われたヨーロッパ世界で孤立するのは非常に危険なことで、この評判が悪くなりすぎた国はヨーロッパじゅうから小突き回され、没落することになる。

 

逆に言うと、このゲームは「戦争したければ大義名分を待て」と言っているにも等しい。

周辺国が納得するような大義名分を持たずに戦争を始めれば評判が下がる。

だったら、大義名分を伴った戦争を心がけ、評判が下がらないような、潔白な戦争を心がけるまでのことだ。

 

戦争を仕掛ける大義名分は、教皇庁に莫大な献金を行って作ってもらうこともできるが、たいていはそんなにお金が無いので偶発的な事件で大義名分ができあがるのを待つしかない。

たとえば湾岸戦争の時のイラクのように、独立を保障されるべき小国(クウェート)をいきなり征服する悪い国が現れると、戦争を仕掛ける恰好の大義名分が発生することになる。

 

もちろん、戦争する大義名分なんてそうそう発生したりはしないから、戦争できる大義名分が到来したチャンスを、いかに見逃さないのかが肝心だ。

同盟についても同じで、『ヨーロッパユニバーサリス』では望みどおりの同盟をするためにはタイミングが重要になる。

同盟したい相手のご機嫌をうかがうのも大切だが、それ以上に、相手とこちらの意見や利害が一致している時機を見逃さないことが肝心だ。

タイミングを見逃してしまうような野暮天では、ヨーロッパの外交世界では生きていけそうにない。

 

こうした『ヨーロッパユニバーサリス』のルールは、私たちの人間関係ともかなり似ているのではないだろうか。

 

意見や利害を調整するとはいっても、ひたすら頭を下げていればうまくいくわけではない。

ときには、強いメンションで抗議しなければならないことだってある。

とはいえ、常とは違った、こちらの意見や利害を強く主張するメンションを出すためには、周囲が「じゃあ、仕方ないよね」と思いたくなるような大義名分が必要になる。

なんの大義名分もなしに強いメンションを繰り返せば、たちまち評判が下がって孤立してしまうだろう。

 

誰かとお近づきになりたい時もそうだ。

今まで疎遠だった人とお近づきになるためには、相手と自分の意見や利害が一致しているタイミングを見逃してはならない。

異性とお近づきになる時もたぶん同じ。相手のご機嫌をうかがうだけでは絶対にうまくいかない。

 

蝶のように付き合い、蜂のように刺す

だからもし、『ヨーロッパユニバーサリス』にゲーミフィケートされたコミュニケーションの秘訣をまとめるなら、

 1.大人の人間関係は、マイルドな意見や利害の調整を旨とする。

 2.強いメンションを出して良いのは大義名分がある時だけ。

 3.争うのもお近づきになるのも、タイミングを見逃してはいけない。

この三つが大切ではないかと思う。

 

大人同士の人間関係は、基本的にはマイルドな意見や利害の調整によって成り立っているから、急展開が起こることはあまり無い。

大義名分を欠いた強いメンションは評判を下げてしまうだけでなく、強烈なカウンターを許す大義名分にもなりかねないので、コミュニケーション上手な大人が強いメンションを出してくるのは、それにふさわしい大義名分が成立している時だけだ。

 

逆にいうと、「十分にコミュニケーション上手な大人を相手取っている際には、大義名分の成立状況をモニタしていれば、相手が強く出てくる可能性をある程度予測できる」。

そういう意味では、大義名分を弁えない言動を取るコミュニケーションの不得手な人に比べて、コミュニケーション上手な大人の言動は読みやすいし、信頼できるとも言える。そのかわり、付け入る隙も少なくなる。

 

こうした、お互いに隙の少ない人間関係のなかで、どうしても争わなければならなかったり、どうしても誰かとお近づきになりたかったりした時には、タイミングを見逃してはいけない。

コミュニケーションの上手い大人は皆、そういう好機に目を光らせているし、天然のコミュニケーション巧者たちは本能的に好機に踏み込んで来る。

 

ときにはコミュニケーション巧者のライバル同士が、表向きは蝶のように華麗に付き合いながら、蜂のように刺す好機を虎視眈々と見計らっていることもある。

そういう、表向きはにこやかな睨み合いに遭遇すると、私は背筋の寒い思いがする。

 

国と国も、大人同士の人間関係も、「わかりあう」ことは難しい。

だから意見や利害の調整が付き合いのベースにはなるけれど、ごくたまに訪れるタイミングを見逃さない眼力と、いざという時に争う胆力もあったほうがいいのだろう。

そうでないと、好機に付け入られるばかりの、お人よしになりかねない。

 

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安達 裕哉(あだち・ゆうや)
ティネクト株式会社 代表取締役/ワークワンダース株式会社 代表取締役CEO
Deloitteにてコンサルティング業務に従事後、監査法人トーマツの中小企業向けコンサル部門立ち上げに参画。大阪・東京支社長を経て、2013年にティネクト株式会社を設立。
ビジネスメディア「Books&Apps」運営。2023年には生成AIコンサルティングの「ワークワンダース株式会社」も設立。
著書『頭のいい人が話す前に考えていること』(ダイヤモンド社)は累計82万部突破。2023年・2024年と2年連続で“日本一売れたビジネス書”に(トーハン/日販調べ)。
日時:
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(2025/6/2更新)

 

 

【プロフィール】

著者:熊代亨

精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。

通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』(イースト・プレス)など。

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ブログ:『シロクマの屑籠』

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