このツイートをみて、長男が学校で「プログラミング」の授業があった、と話してくれたのを思い出しました。

 

いまは、小学校高学年でプログラミングとか習うのか……

実際にその授業でつくったものを見せてもらったのですが、長男は、この『プログラミン』というのを使っていたのです。

いまは、文部科学省がこんなソフトで子どもの「プログラム力」を育成しようとしているのですね。

 

正直、僕は「えっ、これが『プログラム』なの?」って驚いたのです。

 

僕が小学生の頃(って、もう35年とか前になってしまうのですが)、はじめてパソコン(マイコン)に触れたときには、マニュアルや、すがやみつる先生の『こんにちはマイコン』とかに載っていたBASICのプログラムリストを打ち込み、「おおっ、文字が表示された!」とか、「テンキーの『6』を押すと、キャラクターが右に動く!」ということに、感動していたんですよね。

 

当時は、テレビ画面に映っているものを自分で動かすことができる、ということ自体が「ものすごく画期的」だったのです。

僕は長男に、自分が初めてマイコンに触れたときの感動を熱心に語ったのですが、「ふーん」っていう反応で、どうも伝わっていないなあ、と、ちょっとがっかりしました。

 

でも、冒頭のツイートを読んで、冷静に考えてみると、長男にとっては「父親がなんか熱心に語っているけれど、なんでそんなことでヒートアップしているのかよくわからないなあ」っていうのが実感だったのでしょうね。

物心ついたときからテレビゲームやスマートフォンが身近なところがあったのだから。

 

知人の幼い子どもが、紙に書いてある文字が小さくて読みにくいと、iPadの画面に対するのと同じように、指二本で「拡大」しようとする、というのを聞いたことがあります。

いまの子どもたちは、それがデフォルトの時代に生きてきているのです。

 

逆にいえば、僕は「テレビが映ること」や「カラーであること」に感動したことはありません。

親が「バナナを一本丸ごと食べるのが夢だった」と言っていたのは覚えているけれど、だからといって、僕自身がバナナをありがたいと思ったこともないんですよね。

なんとなく想像はできるけれど、それを実感できる、というと、嘘になってしまう。

 

「感動する」という感覚は共通しているのかもしれないけれど、「何に感動するか」というのは、それぞれの人の背景によって大きく違ってきます。

 

世の中には「広い世代の心を打つ」ようなアートも存在するわけですが、テクノロジーに関しては、かなり限定的なものになりやすいのでしょう。

 

そういうふうに考えていくと、誰かの言葉で、子供の興味を理系の学問や科学に向ける、というのは、なかなか難しいのかもしれません。

テクノロジーというのは、進化すればするほど「存在するのが当たり前」になってしまい、「すごさ」を実感しづらくなってしまう。

 

「感動したこと」は伝えられても、今の子どもが『スペースインベーダー』を「すごいゲームだ!」とは思わない。

実際「テレビはなぜ映るのか?」「インターネットはどのようにして遠くの人とやりとりしているのか?」を子どもにわかるように説明できる人は、ほとんどいないのだけれども。

 

それでも、長男が『マインクラフト』で、すごく精密かつ巨大な建造物をつくって、それを誇らしげに見せてくれるときには、「プログラミング的なもの」が、時代に合わせて、より楽しく、子供たちの身近なものになっているのを感じるのです。

 

そこには「『つくること』の感動が子どもたちに伝わるように、工夫している大人たち」が存在しているのです。

「感動が伝わりにくい」のは、「相手を自分と同一視して、伝えるための工夫を忘れているから」でもあるのでしょう。

 

真っ黒な画面の前で、BASICのプログラムを入力していた僕としては「こんなのヌルい!」とか言いたくなるのだけれど、いまの時代に、パソコンの言語の歴史を一から辿っていくべき、なんていうのは非効率極まりない。

多くの物事には「ルーツ」というものがあるのですが、世の中には情報が増えすぎていて、すべてを網羅するには人生は短すぎます。

 

ソクラテスやプラトンはいちおう、おさえておくべきなのか?

いま、経済学を学ぶとすれば、マルクスの『資本論』は通読しておくべきなのか?

マルクスとかは、「ソ連」がまだあった時代に比べると、実用性や重要性はずっと低くなっていると思います。

一度、すっかり忘れられてしまうことによって、かえって、いつか「再発見」される可能性もあるけれど。

 

僕自身は、パーソナルコンピュータというものが生まれ、当たり前のものになっていった時代をリアルタイムで眺めることができて、すごく面白かったな、と思っているのです。

 

インターネットの進化と変遷も、また然り。

ただ、そうやって生きてきた人間であるがゆえに、コンピュータとかネットに対して、「すばらしいものであってほしい」という思い入れが強くなりすぎて、いまの子どもたち、若者たちとは感覚が乖離してしまっているのも否定できないのです。

 

「相手の背景を想像し、歩み寄ること」って、「伝える」ためには、とても大事なんですよ。

「つまらない昔の自慢話」になるか、「面白い体験談」になるかは、語り手の意識の差なのだと思います(あとは、語り手を好きになれるか、というのは大きいよねやっぱり)。

 

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安達 裕哉(あだち・ゆうや)
ティネクト株式会社 代表取締役/ワークワンダース株式会社 代表取締役CEO
Deloitteにてコンサルティング業務に従事後、監査法人トーマツの中小企業向けコンサル部門立ち上げに参画。大阪・東京支社長を経て、2013年にティネクト株式会社を設立。
ビジネスメディア「Books&Apps」運営。2023年には生成AIコンサルティングの「ワークワンダース株式会社」も設立。
著書『頭のいい人が話す前に考えていること』(ダイヤモンド社)は累計82万部突破。2023年・2024年と2年連続で“日本一売れたビジネス書”に(トーハン/日販調べ)。
日時:
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(2025/6/2更新)

 

 

【著者プロフィール】

著者:fujipon

読書感想ブログ『琥珀色の戯言』、瞑想・迷走しつづけている雑記『いつか電池がきれるまで』を書きつづけている、「人生の折り返し点を過ぎたことにようやく気づいてしまった」ネット中毒の40代内科医です。

ブログ:琥珀色の戯言 / いつか電池がきれるまで

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(Photo:Arif Riyanto