「距離が近い人とは仲良くしましょう、親しくしましょう」という考え方、
もちろん間違いではないんですが、それだけだと色々としんどい弊害が出てしまいそうな気がしているんですよ。
順を追って書きます。
最近ふと気づいたことなんですが、今私がいる職場で、「仲が良い人」「親しい人」っていないなあ、と思いまして。
例えばプライベートのことまでよく話す人とか、ちょくちょく飲みに行く人とか、なんなら休日に一緒に遊ぶ人とか、昔と違ってあんまりいないんです。
ただ、それで仕事がやりにくいことがあるかとか、職場で上手く人間関係が回らないところがあるかっていうと、これが全っっっ然そんなことがないんですよね。
むしろ人間関係については過去最高レベルでやりやすい。
ちゃんと仕事上のコミュニケーションも取れているし、特段話しにくい人もいないし、情報共有の齟齬もないし、報告はちゃんとあげてもらえるし、実に快適に仕事が出来ているんです。
仕事上のコミュニケーションで必要なのは、「相手に対する尊重」であって「親しさ」「仲の良さ」ではないよなあ、という気がしています。
相手にも都合があり、立場があり、また知識・能力のレベル差がある。
それは悪いことではなく、ただ「お互いに認めなくてはいけないこと」だと。
その為に「相手と仲が良いこと」が必要かっていうと、実は別に必要ないよな、と。
逆に、感情的な意味での親しさやらしがらみやらない方が、余計な感情抜きに、客観的に相手と自分の関係をとらえることが出来る気がしているんですよ。
「親しい関係」なんて、趣味やプライベートの場だけで十分だよなあと。
要は
「一緒に仕事をしていく上では、どんなに近い関係でも、別段仲良くなくてもなにも問題ねーよな」
「むしろ中途半端に仲良い方がやりにくいよな」
と最近は感じている、という話なんです。
ただ、ふと振り返ってみると、今までの人生でそういう、
「幾ら近い関係だからって、別段仲良くなくてもいいんだよ」
「仲良くしないまま付き合う方法、お互いを尊重する方法もあるんだよ」
と教えてくれた人、教えてくれた場所って、どこかあったかなあ?と。
むしろ今まで、およそどんな場所でも、「近い関係の人とは仲良くしましょう、親しくしましょう、親睦を深めましょう」と言われ続けてきたような気がしているんですよ。
***
私が小学生の頃、クラスの標語は、「明るく、仲良く、楽しく」でした。
「お友達と仲良くする」こと自体が、日々の生活の目標の内に含まれていたんです。
で、これは多かれ少なかれ、中学校だろうが、高校だろうが同じだったような気がします。
チームプレイにおいては、とにかく「仲良く」が最優先される。
大学ではそういう空気が薄くなりましたが、今度はチームプレイの機会が殆どなくなりました。
確かに、友人と遊ぶのは楽しいですし、仲が良い友人は終生の財産になり得ます。
だから、「お友達を作って仲良くなる」というスキルを身に着ける、その練習を子どもの頃にするのは全く正しい。
それについては何の文句もないんです。
ただ、それが余りにも「唯一解」として教えられ過ぎているんじゃないかなあ、と。
「お友達と仲良く」ということを、ただ一つのゴールとして認識させてしまうのはちょっとまずいんじゃないかなあと。
しかもこれ、教えられる子どもどころか、教師の側まで唯一解として認識してしまうケースがあるような気がするんですよ。
以前、こんなことを書きました。
だから、先生は基本的に、「みんなが仲良く楽しく過ごせる」クラスの運営を目指す。これ自体は当たり前のことのように思えます。
ただ、その目標を堅持している場合、いじめが発生した時にどうするか。
「いじめた子がいじめられた子に謝って、反省して、仲直りして、またクラス皆が仲良く過ごせる状態を目指す」ことになる訳です。つまり、「いじめを乗り越えて、また仲良く一つになったクラス」を目指す訳です。これが彼の言う「ゴール設定」。
いじめの問題って多分象徴的だと思うんですけれど、いじめられた上でも、最終的に「仲直り」を求められてしまうのって本当に物凄く辛いんですよね。
仲直りどころか存在自体思い出したくもないのに、「みんな仲良く」というゴール設定の為に、自分の自尊心を犠牲にして、「仲直りして水に流す」ことを求められてしまったりするんです。
それによって、いじめられた側の自己肯定感はズタボロになるのに、クラスだけは表面上の「仲良し」でそのまま運営されていく。
こういう、「仲良くしよう」が求める弊害って、色んなところで現れているような気がします。
例えば、特に友人関係を作らずに一人の時間が好き、という在り方を否定して、「ぼっち」などと揶揄してしまったり。
例えば、行きたくもない職場の飲み会で「親睦を深める」ことを強要されたり。
それって多様性の否定の最たるものじゃないかなあ、と思ったりするんですよ。
冒頭で書いた、「職場に親しい人がいない」という状態すら、私自身は至極快適なんですが、観る人によっては「非コミュ社会人がぼっちを正当化している」とでも思われてしまうのかも知れません。
「相手を尊重する」「相手を認める」というのは、もしかするとある程度人格が成熟してからでないと分かりにくい概念なのかも知れません。
だから、小学校くらいでは分かりやすい「みんな仲良く」という概念を教える。繰り返しになりますが、それは別に構わないんです。
ただ、それでもどこかで、ちょっとくらいは
「すぐ傍にある関係でも、別に仲良くしなくても構わないんだよ」
「仲良くしないまま上手くつきあう方法も、本当はいくらでもあるんだよ」
「その為に必要なのは、ただ「相手を尊重する」ということだけなんだよ」ということくらいは教えてあげてもいいんじゃないかなあ、と。
少なくとも自分の子どもくらいには、どこかで「仲良くしない付き合い方」についても、少なくともそういう概念があるんだってことくらいは教えたいなあと。
それが子どもの心を救うことも、もしかしたらあるのかも知れないと。
そんな風に思う次第なんです。
今日書きたいことはそれくらいです。
人手不足 × 業務の属人化 × 非効率──生成AIとDXでどう解決する?
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・導入における選択肢と、導入後のワークフロー像
登壇者紹介:
松原 亮 氏(株式会社TOKIUM 取締役)
東京大学経済学部卒業後、ドイツ証券に入社し投資銀行業務に従事。
2020年に株式会社TOKIUMに参画し、当時新規事業だった請求書受領クラウド「TOKIUMインボイス」の立ち上げを担当。
2021年にはビジネス本部長、2022年より取締役に就任し、経費精算・請求書処理といったバックオフィスDX領域を牽引。
業務効率化・ペーパーレス化の分野で多くの企業の課題解決に携わってきた実績を持つ。
安達 裕哉 氏(ワークワンダース株式会社 代表取締役CEO)
Deloitteで大手企業向けの業務改善コンサルティングに従事した後、監査法人トーマツにて中小企業向け支援部門を立ち上げ、
大阪・東京両支社で支社長を歴任。2013年にティネクト株式会社を設立し、ビジネスメディア「Books&Apps」を運営。
2023年には生成AIに特化した新会社「ワークワンダース株式会社」を設立。生成AI導入支援・生成AI活用研修・AIメディア制作などを展開。
著書『頭のいい人が話す前に考えていること』(ダイヤモンド社)は累計71万部を突破し、2023年・2024年と2年連続でビジネス書年間1位(トーハン/日販調べ)を記録。
日時:
2025/5/16(金) 15:00-16:00
参加費:無料 定員:50名
Zoomビデオ会議(ログイン不要)を介してストリーミング配信となります。
お申込み・詳細
こちらウェビナーお申込みページをご覧ください
(2025/5/8更新)
【著者プロフィール】
著者名:しんざき
SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。
レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。
ブログ:不倒城
(Photo:Duy Pham)