中学受験の最後の追い込みの時期だからだろうか。

この時期になると、中学受験の話題をwebでちらほら見かける。

正確な描写の記事だな、と思った。

 

中学受験はコスパが悪いし、合否によって将来が決まることもない。

嫌がる子供を無理やり勉強させるのは、親も疲弊する。

だから、記事にある通り、中学受験はとてもではないが、万人に勧められるものではない。

 

 

ただ、私にとっては、中学受験は良い経験だった。

中学受験は2つ、私にとって大きなメリットがあったからだ。

 

一つは、

「めちゃくちゃ世界が広がる体験だった」

のと、

「他人から点数をつけられる」

ことを学べたためだ。

 

とは言え、この話も、ごく個人的な、小さな「感想」程度なので、ご承知おきいただきたい。

 

テストの問題が難しすぎて解けない

私が「中学受験」という言葉を知ったのは、いつだったか、正確には憶えていない。

が、小学校4年生の終わり、2月か、3月くらいだったと思う。

 

休日に突然、親に連れられて、見知らぬビルの一室で、大勢の小学生と一緒にテストを受けさせられた。

 

小学校のテストで苦労したことはなく、さっさと終わらせようと

「めんどうくさいなー」

と思いながら教室に入ったのは覚えている。

 

ところが。

 

テストが難しい。

全くできない。見たこともない記号も出てくる。

 

例えば算数。こんな感じの問題が出た。(ように記憶している。)

 

【1】次の問題に答えよ。

1)  [34.7+{566.3−(65.9*3)}]*38.9= ?

 

これを見て、当時の私は戸惑った。

[]って何?始めてみた……。

{}って何?学校でこんなの、習ったっけ?

という状態だった。

 

ダメだ、どこから計算すればよいのか、よくわからない。

私は1問目の計算問題から、お手上げだった。

 

よくわからないから、次の問題をやろう……

と思ったら、こんな問題が出てきた。

 

【2】次の問題文を読み、設問に答えよ。

太郎くんは、りんごと柿をスーパーに買いに行きました。

りんごは1個120円、柿は1個200円でした。合わせて14個買い、支払った金額は2000円でした。

 

1)太郎君は、りんごと柿を、何個ずつ買ったでしょう?

 

……?

どうやって解くの?これ……えええ?

難しくない?このテスト……

 

私は途方に暮れてしまった。

もちろん、テストの結果は惨憺たるもので、私は初めて

テストの問題が難しすぎて解けない

という経験をしたのだった。

 

その後私は、郊外の何の変哲もない学習塾に行くことになった。

当時はSAPIXなる塾はなく、四谷大塚という塾が最も有名だったらしいのだが、当然、そこは成績の良い子どもしか入れない。

塾に入るための、入塾テストが難しかったためだ。

 

私のような何もやってこなかった子供には、受け入れてもらうことすらできなかったのだろう。

 

両親が何を思って、中学受験をさせようと思ったのかは、当時の私には想像つなかった。

が、とにかく、週に2〜3回(だったと思う)、小学5年生だった私は、一人で電車に乗って、塾に通うことになった。

 

学校ではない世界ができた。勉強の話ができる友達ができた。

ただ、私は小学校以外の世界ができたことがとても嬉しかった。

 

一人でバスに乗ることも初めて。

一人で電車に乗ることも初めて。

学校と家以外の場所で勉強することも初めて。

習うこともすべて、初めて。

 

特に、定期券をもたせてもらえたことは、非常に嬉しかったように記憶している。

 

また、塾の授業も面白かった。

小学校では、本が好きだった私は、国語の教科書をもらったそばから全部読んでしまい、授業が退屈だったので教科書に落書きばかりしていた。

 

だが、塾では毎回、新しい文章が読める。

それが私にとって、塾に通うご褒美の一つだった。

 

算数は図形の問題が面白かった。

様々な図形の「長さ」や「角度」を導いていく問題は、一種のパズルのようでもあり、解けたときの達成感はひとしおだった。

手も足も出なかった「つるかめ算」ができるようになったときは、感激した。

 

みんなで一斉に問題に取り掛かり、解く速さを競争したのも面白かった。

(ほとんど勝てなかったが……)

 

そして、何より交友範囲が広がった。

 

塾の友達は、小学校の友達と全く違っていた。

例えば、「日本の歴史」の漫画のネタを知っている。

「理科の実験」の興奮が、共有できる。

「勉強の難しさ」をわかってもらえる。

 

一方では、「カタい話」を好まない、小学校のクラスの友達の大半には、そのような話をすることを控えていた。

いつも、相手の話題に合わせて、手加減して話さなければならなかった。

 

 

「団体行動」が昔から苦手で、小学校の行事が本当に苦痛だった。

が、塾ではそんな不毛なことも強制されない。

 

学校に対して感じていた「閉塞感」を塾が壊してくれたのが、何より嬉しかった。

「僕には塾があるんだ」と思えたおかげで、小学校の苦痛が軽減されたのだ。

 

このあたりは「副業」をやっている人なら、わかるかもしれない。

 

世の中は、他人に点数をつけられる世界。

だがもちろん、塾には塾の苦労がある。

というのも、「定期テスト」のたびに、掲示板に成績が張り出され、人と比較されるのだ。

容赦なく。

 

私が在籍していたクラスは十数名の小規模なクラスだったが、テストの順位は、全教室、千数百名のうち、上位者が張り出される。

その中で「良い成績」を取る子供は、注目の的だ。

 

だが、私はそれほど突出した成績をとっていたわけではなかった。

「安達は何番?」みたいなことを平気で聞いてくる、デリカシーのない、同じクラスのやんちゃ系の友達がいた。

彼はいつも私よりもほとんどの科目で成績が良かった。

「不動の一位」をキープし続ける、天才みたいなやつも居た。(そいつは結局、開成に合格した)

 

彼らは塾にとっての「金の卵」であるから、先生の注目も多いし、賞賛もされる。

 

ただ、私は「受験」というものをあまり真剣に捉えることができず、塾の先生からいつも、

「安達は真剣味が足りない。」と、よくコメントを貰っていた。

 

だが、ごく稀に、得意分野でたまたま良い成績をとることがあると、みんなが褒めてくれた。

在籍しているクラスのなかで、一つの科目だけでもトップを取れば、「お前やるな」と先生に言われた。

 

小学校では、生活態度ばかりが問題になり、勉強で褒められたことはほとんどなかったが、塾では、成績が良いだけで褒めてもらえる。

 

小学生の私にとって、

「点をたくさん取る人が、褒められる」

という、シンプルな評価を提供してくれる場はありがたかった。

私にとって、それは「大人の世界」という感じがした。

 

ただ、これは今でも思う。

 

結局、世の中は、望むと望まざるとに関わらず、他人から点数をつけられる場だ。

そして、点数の高い人が褒められる。

 

「2月の勝者」という中学受験の漫画がある。

中学受験というイベントを通じて、小学生が過酷な試練を乗り越えていく(あるいは挫折していく)過程を描写している作品だ。

 

その中で、「中学受験なんてしたくない」という子が出てくる。

同情する読者も多いのではないだろうか。

中学受験なんて、やりたいやつがやればいい、やりたくない子に無理やりやらせるなんて、間違っている。

そう思う人も多いだろう。

 

だが、塾の先生は、同意しつつも、次のように言う。

別にこれは「学校のテストの点」に限らない。

 

友達から「点」をつけられる。お前はいい友達なのか?と。

交際相手から「点」をつけられる。あなたは付き合うに値する人物か?と。

SNSに投稿すれば「点」をつけられる。いいねの数は?リツイートの数は?と。

子供から「点」をつけられる。良い親か?と。

 

もちろん、会社でも、個人の商売でも、学者になっても、芸術家になっても、他人と関わると必ず

「点」をつけられる。

この世は、全員が、全員を採点しているのだ。

それが、組織を作る生き物たる、ホモ・サピエンスの本質だから。

 

そして、それに応じて、人間関係が決まる。

人生が決まる。

容赦なく。

 

それは結局、中学受験のときの試験の点数と、本質的には何ら、変わることはない。

だから、個人的には、人生の早いうちから「点数をつけられる」ことに慣れておいて、本当に良かったと思う。

 

特に、私の前職だった「コンサルタント」は、「人につけられている点数」を見抜くのが早ければ早いほど、良い仕事ができた。

また、会社組織では「私にどの程度の点数を、誰がつけているのか」を知ることは、重要であった。

 

万人にすすめるわけではないが、中学受験は大人への第一歩として、良い機会だと思う。

とくに「勉強は好きだけど、小学校が嫌いな子」には、とても良い環境だ。

 

なにせ、「力を合わせて」とか、「クラスのみんなのために」といった道徳を、一切、問われないのだから。

 

 

結局、私は中高一貫の、都内の私立中学に進学した。

 

進学した学校は、小学校に比べてとても開放的で、友達もたくさんできた。

何より「手加減して話す必要」がなくなったのは、とても良かった。

 

いまでも、中学・高校の同級生たちとは、密なつながりがあり、

SNS上ではよくやり取りする。

仕事を一緒にすることも少なくない。

 

 

ただ、最後に余談だが、学校の「成績」という意味では、結局私は大した成果を残せなかった。

まあ、落ちこぼれたことも貴重な経験だ。

「勉強」という意味では、天才たちの足元にも及ばない事を学校で痛感したのは、これはこれで価値がある。

 

が、これはまた別の機会に書くことにする。

 

 

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【著者プロフィール】

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元Deloitteコンサルタント/現ビジネスメディアBooks&Apps管理人/オウンドメディア支援のティネクト創業者(tinect.jp)/ 能力、企業、組織、マーケティング、マネジメント、生産性、知識労働、格差について。

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