サソリとカエルの寓話をご存知だろうか?
僕はこれを弁護士である井藤公量先生のダイヤモンドルールという本で知ったのだが、実に含蓄深い。
概論を示すとこのような感じだ。
ある川辺にサソリがおりました。
サソリが向こう岸へ渡りたいと思った時、丁度そこへカエルがやって来ました。
サソリはカエルに「向こう岸まで乗っけてくれないかい。」と頼みました。
カエルは「君は刺すからイヤだよ。」と答えました。
それに対してサソリは「僕を乗せている君を刺したら僕が溺れてしまうじゃないか。そんな馬鹿なことをする訳無いよ。」と答えました。
カエルも「言われてみればそうか」と納得し、サソリを乗せることにしました。
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そうしてサソリはカエルの背中に乗って川を渡り始めました。川の真ん中ほどに到達したとき、突然サソリはカエルを刺しました。
息絶え絶えにカエルはこう言いました。
「なんで君も死んでしまうのに、こんな馬鹿な事をするんだ・・・」
「ごめんね。でも僕はサソリだから、こうする他ないんだ・・・」
そうして二匹は並んで沈んで行きましたとさ。
この寓話は口先で何をいおうが、そのモノの本質は変わらないという事を暗喩している。
「人の本性は変わらない」
高校生ぐらいの時の自分は、人間というのは生まれや育ちではなく、努力によりいくらでも変わりようがあると思っていただけに、この寓話は妙に胸にくるものがあった。
「けど、そんな事言ったら、善人は生まれながらにして善人で、悪人は生まれながらにして悪人になってしまう。そんな救われない話でこのエピソードを終わらせていいものなのだろうか」
実は10年近くこの問いを考え続けているのだが、つい先日、その解決の糸口になりそうな興味深い本を読んだので、今日はその話をしようと思う。
ひきこもりは「怒り」と「恐怖」が表裏一体となって身動きができなくなっている状態
”「ひきこもり」だった僕から”は非常に衝撃的な本である。
この本の著者である上山 和樹さんは元ひきこもりの当事者であり、この本はひきこもりのリアルを理解させてくれる稀有の一冊だ。
「ひきこもりは甘えだ。人間、辛くたって社会にでていかなくてはいけないものなんだ」
などの、よく言われているひきこもりへのこの手のあたりを上山 和樹さんは次のように一蹴する。
「家にいて、親に申し訳ない気持ちを持ちながら生きてて、楽なはずがない。親だっていつか死ぬし、そうなったら自分の人生はどうにもならなくなる。」
「狭い部屋の中で、このままではいけないという”恐怖”と、なぜ自分は普通に自立できないのかという”怒り”で身動きがとれなくなった状態が、ひきこもりなんだ」
そしてこの2つの感情に加えて、 性的な挫折が積み重なる事で、更にシンドさが増していく。
「自分のような人間は、異性とつき合う資格などない」という「決定的な性への挫折感情」を持つのは物凄くキツイ。
決して自分は異性として女性から受けいられる事はないというのは、男性としては精神の自死にも等しい。
死の恐怖・自責の念・性愛からの排除。
これがひきこもりのリアルである。
改めて考えてほしいのだが、仮にあなたが3食タダで食べさせてもらったとして、この3つの感情に一日24時間延々と直面させられたとして、それは楽だと思うだろうか?
少なくとも僕は自分で自活するほうがよっぽどラクだし、楽しい。
ひきこもりは決して”楽”ではない。
それどころか超絶ハードな業なのである。
他の誰でもない当事者だからこそ書けた真実である。
気持ち悪い前半と理路整然とした後半のギャップが凄い
この本は二部構成になっている。
前半は筆者がなぜ引きこもりになるに至ったのかのまでの人生禄のようなものとなっており、後半はひきこもりという現象についての筆者の分析が語られている。
この前半と後半のギャップが、それはもう凄い。
一言でいうと前半はものすごくキモい文章で、後半は逆に同じ人が書いたとは思えないほどに非常にキレイだ。
後半部分だけで出版されたら恐らくもっと売れたように思うほどに、前半は本当に気持ち悪い。
なぜこんなにも気持ち悪いのかと言うと、男の思春期時代の思考回路が無修正で描かれているからだ。
思春期時代の男の頭の中身は95%が性欲で、残り5%が承認欲求で構成されているのだが、それを文字に書き起こすとここまで気持ち悪いのかと愕然とさせられる。
なお、念の為申し上げておくと、僕の思春期時代もこの本と同じぐらいキモい。
ひょっとしたらもっと酷いかもしれない。
ここまで自分の格好悪い姿を、必要だからとはいえ無修正で実名を出して書物として出版できた著者の勇気には改めて感心されられる。
95%の性欲と5%の承認欲求。
それが非常に強い衝動となって男を突き動かす。
それがうまくいけば・・・男は仕事や結婚に強固にコミットし、社会的地位や家族を得ていく。
けどうまくいかないと・・・全てが手に入らないばかりか、その衝動は他の誰でもない己を強く突き刺し、深い絶望へと男を誘う。
男の欲望はすざまじくキモい。
しかし面白い事に、その気持ち悪いものから、時として物凄くキレイなものも生み出される。
本書の後半部分はまさにそれである。
生まれも育ちもキモくたって、人は美しいものが作れるのである。
本性は変わらないかも知れないが、人間的な魅力は距離感で変わる
唐突だが、僕は【友人】は物凄く好きなのだが、【患者】という人種は実のところそこまでタイプではない。
余裕は人をひどく魅力的に僕に写す。
友人との知的な会話は、至福のひとときである。
それに対して病は人をひどく醜くする事がある。
余裕がない時の自分の姿を思い浮かべて欲しい。
正直なところ、あまり魅力的ではないだろう。
満たされて落ち着いている時と、余裕がなくて卑しくなった自分。
どちらがあなたの本当の姿か?
言うまでもない。どちらも本当のあなただ。
人は魂の距離感で、美しくも醜くもなる。
冒頭に書いたサソリとカエルの話のように、確かに人の本質は産まれで決まっているのかもしれない。
しかし人の魅力というのは、産まれだけで決まるものではない。
プライベートでは精液の香りしかしない男が仕事では見事な芸術作品を作り上げたりするように、適切な距離感で付き合えば、人というのは醜くも美しくもなる。
その人の美しいところを愛しなさい。
キモいところは深い愛で受け入れなさい。
キレイはきたなく、汚いは綺麗。
その2つは切り離すことのできない同一のものである。
人の本質が何であろうが、それは単なる性質に他ならない。
その性質はだまし絵のように、見方によっては少女になるし老婆にもなる。
たぶん、冒頭の寓話が本当に言いたかった事はそういう事なのだと僕は思う。
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(2026/4/30更新)
【プロフィール】
都内で勤務医としてまったり生活中。
趣味はおいしいレストラン開拓とワインと読書です。
twitter:takasuka_toki ブログ→ 珈琲をゴクゴク呑むように
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