11月といえばジビエ。

イノシシ肉やシカ肉のシーズンだといわれている。

ジビエのメニューを出す店も最近は珍しくなくなり、ちょっとしたビストロや洋食屋でもジビエ料理が出てくるようになった。

町おこしの一環として、イノシシ肉やシカ肉を使っている自治体も多い。

 

しかし地方で暮らしている者の一人としては、地元ジビエが増えていることにあまり良いイメージは持てない。

もちろん、きちんと料理されたそれらは美味いのだけど、「地産地消」などと銘打って売り出されるイノシシ肉やシカ肉を見ていると、里山に迫る脅威のことを思い出してしまう。

 

2020年の10月は、クマ襲撃のニュースが相次いだ。

長野県塩尻市では95歳の男性がクマに首をかまれ、数日間にわたってクマ騒動が続いた。

石川県加賀市のショッピングセンターではクマがショッピングセンターに籠城し、大捕り物になった。

福井県敦賀市では、北陸新幹線の工事をしていた作業員が2名クマに襲われ怪我をしている。

 

環境省によるクマ被害対策会議によれば、今年の4月~9月だけで、クマの出没件数は約14000件であるという。

それでもまだ、クマは危険動物とみなされているからニュースになりやすい。

イノシシやシカにまつわるトラブルはニュースにもならず、白菜やサツマイモを荒らされても泣き寝入りするしかないのが実情だ。

 

かわいいサルも、人里に降りてくればただの厄介者

長野県下高井郡山ノ内町にある、地獄谷野猿公苑という観光地をご存じだろうか。

この地獄谷野猿公苑は「野生のニホンザルが温泉に入っているところが見られる観光地」として有名で、新型コロナウイルス感染症が広まる前は外国人観光客でにぎわっていたという。

当地において、ニホンザルは観光資源のような位置づけにある。

 

しかし、ニホンザルが観光資源だけをもたらしているとは……考えにくい。

数年前、山ノ内町の温泉宿に宿泊したとき、温泉街のあちこちで「猿に注意」の注意書きを見かけた。

そして朝風呂に入ろうと温泉街を歩いていた私の目の前に、突然、二匹のニホンザルが飛び出してきてびっくりした。

お互いに距離を取ってことなきを得たが、かわいいおサルさんですねなどと言っている余裕はまったく無かった。

 

この温泉街、あちこちに犬を飼っている旅館があって不思議だと思ったが、後になって考えてみれば、ニホンザルが侵入してくる地域だから犬を飼っていたのかもしれない。

 

長野県が公表している第 2 種特定鳥獣保護管理計画(第四期ニホンザル管理)によれば、その山ノ内町ではニホンザルによる農業被害がかなり出ているのだという。

そのほか、南部の木曽町や飯田市などでも被害額が大きい。

近年は電気ネットの設置や捕獲事業なども行われ、被害額は増えずに済んでいるが、同計画書は、長野県ではニホンザルがまだまだ増えていると指摘する。

 

 

もちろんこれは長野県に限った問題ではない。

同調査書によれば、新潟県には5000~7000頭、群馬県には3000頭、山梨県には3500-4000頭のニホンザルが生息し、害をなしているという。

山間部に住んでいる私の親族も、「前よりサルの吠え声を聞くことが増えた。平気な顔で道路を渡っている」と言っていたが、さまざまな資料を見比べてもニホンザルが人里まで降りてきているさまがみてとれる。

 

ニホンザルは人間に似た姿をしていて賢く、温泉に入っている姿をそっと眺めるぶんにはかわいらしくもあろう。

だが森や山を背負って生きている者にとってのニホンザルは、危険で狡猾な害獣でしかない。

 

増えるイノシシ、増えないジビエ

それでもニホンザルはまだ生息地域が限られている。

イノシシはもっとずっと間近で、あれも怖い。

 

以前、”○○が丘”という名前の、真新しいニュータウンでイノシシの群れに出会ってしてしまったことがある。

 

そのとき私は、お招きしてくれた家のホストにおつかいを頼まれ、近くのコンビニまで歩いて向かっていた。

すると、空き地の藪から唸り声のような、聞いたことのない動物の声が聞こえてきた。

足をとめた瞬間、6つの光る目が飛び出してきて私はびっくりしてしまった。

 

目を凝らすと、それは三匹のイノシシだった。

まだ背中に白い斑点があったから、いわゆる「ウリ坊」の段階だと思う。

 

親猪イノシシが出てきたら絶対にまずい──そう思った瞬間、一匹が大きな声をあげて真横に向かって走り去り、残りの二匹もそれに続いた。

親イノシシが出てこなくて本当に良かった。

それにしても、こんな綺麗なニュータウンにまで侵入してきているなんて!

 

山間部ではイノシシの問題はもっと深刻だ。

山間部に住む私の親族のところでは、イノシシが日常的に畑に入り、サツマイモや里芋、スイカなどを食い荒らす。

イノシシはおいしい作物がよくわかっていて、美味しくできたものばかり狙って食べていく。

 

田んぼに猪が侵入してもひどいことになる。

猪が走り回って稲穂を倒してしまううえ、猪のにおいが米にうつってしまい、臭くて食べられなくなってしまうからだ。

 

この親族の地域では、イノシシによる被害は以前はそれほどでもなかったという。

だが平成の30年間のうちに増加し、今では電気柵が設置されなければならなくなった。

電気柵だらけの農村の風景は、のどかというより物々しい。

 

イノシシやシカはジビエの材料になるといわれているが、ことはそれほど簡単ではない。

田中淳夫『獣害列島 増えすぎた日本の野生動物たち』によれば、仕留めた猪や鹿のうち、ジビエにできるは全体の一部でしかないという。

銃弾の当たりどころが悪かったものや死後長く経っているものはジビエにならない。

また、ハントの季節とジビエの旬の季節が異なるため、需要と供給のシーズンがずれていることも問題になる。

そのうえ、これまでのジビエは、ハンター自身が解体して食肉化することが多かった。そこには独特の技術も伝承されていて、たとえば仕留めた死骸を川などに沈めて冷やすことが推奨される。体温を下げて腐敗を防ぎ、流水で血抜きもする。血抜きは、ジビエ化のもっとも重要な過程だ。その上で解体して毛皮を剝いで食肉となる部分を切り分ける。

だがジビエを流通に乗せようとすると、こうした自己流の解体・食肉加工は許されない。食品衛生法の規定で、ちゃんと認可された施設で解体しなければならないのだ。

ジビエに適したシカやイノシシを仕留めても、昔の猟師のようにハンターが加工することは許されないのだ。

ハンターは獲物を解体施設まで運ばなければならず、これがまた大変だという。

解体施設のほうも利益を出すことに苦しんでいる。良い肉が、良い状態でいつも運び込まれるわけではないからだ。

 

平成時代に比べると、道の駅などでジビエを見かけること自体は増えた。

それでも食肉業として本格的に定着しているとは思えないし、田中氏の述べるとおりだとすれば、ジビエという需要と獣害駆除という供給には根本的に噛み合わない部分があるようにあるように思えてならない。

 

「獣害が増えた」ではなく「ほんらいの姿に戻った」だとしたら

ではなぜ、獣害がこれほどまでに増えたのか?

獣害が増えた原因については、さまざまなことが語られている。

たとえば地球温暖化によって野生動物の冬越しがしやすくなったから、ハンターが減ったから、人間の住む場所やライフスタイルが変わったから、等々。

 

くだんの『獣害列島』では、そうした原因説のひとつひとつをとりあげ考察しているのだが、巻末に、興味深いメンションが書かれていたので最後に紹介する。

田中氏のメンションをおおざっぱにまとめると、「獣害の少なかった19世紀末~20世紀がむしろ特別で」「日本列島は獣害が増えたというより、元に戻った」のだという。

しかし時代をさらに遡り、江戸時代の様子をうかがうと、現代とまったくそっくりな、むしろ今以上に獣害が苛烈を極めていた状況が浮かび上がる。

『鉄砲を手放さなかった百姓たち』によると、江戸時代は武士より農民のほうが鉄砲を持っていたそうだが、その理由は獣害対策だった。

この本では農山村から出された多くの行政文書から実例を紹介しているが、なかには「田畑の六割を荒らされた」「作物が全滅した」という嘆願書が並び、年貢が納められなくなって大幅に減免してもらった記録もある。だから、藩や代官に駆除のため鉄砲の使用を願い出ているのだ。

江戸時代も獣害が深刻で、ときには藩をあげて害獣を駆除することもあり、秋田藩では1772年に27000頭の鹿を獲ったという。

さらに明治期には、食肉や毛皮を目当てに日本じゅうの野生動物が狩られていった。

あのニホンオオカミも、そうした状況のなかで絶滅していったのだろう。

人口増加や産業革命により、自然環境が破壊されていったのは言うまでもない。

 

ところが高度経済成長期の途中からはそうでもなくなる。

多くの人が「今でも現代人は自然環境を破壊している」と思い込んでいるのとは裏腹に、広葉樹林は豊かさを取り戻しつつある。と同時に農村の過疎化が起こり、植林地や耕作地が放棄されていった。

古い地図とgoogleマップを見比べてみるとわかるが、今、多くの人里が森に飲み込まれようとしている。

 

再び森が広がり、日本人がシカやイノシシを大量に狩らなくなれば、人間と野生動物が摩擦を起こしやすくなるのは当然だろう。

だとしたら、獣害の少ない時代を取り戻すためには、私たちはもっともっと鹿や猪を狩らねばならず、ときには秋田藩のように総力をあげて殲滅戦をしなければならないのかもしれない。

それか、山林をもう一度痛めつけなければならないのかもしれない。

 

だが、今日の自然保護の風潮からいっても、マンパワーの問題からいっても、たとえば1772年の秋田藩のような殲滅戦がそのまま実施できるとはまったく思えない。

 

私たちは自然環境や野生動物と共生すべき、とされている。

『獣害列島』もまた、その必要性を説くかたちで締めくくられているし、それは尤もなことではある。

ただ、地方で暮らす身にとって、クマやサル、イノシシやシカといった野生動物の存在はいまや間近すぎて、カジュアルに迷惑で、ときには危険だ。

共生を模索すべきとわかってはいるのだけど、間近にあらわれ、脅威を感じ、作物を荒らされるなかで、やさしい気持ちを持ち続けるにはどうすればいいのだろうか。

 

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【プロフィール】

著者:熊代亨

精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。

通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)など。

twitter:@twit_shirokuma

ブログ:『シロクマの屑籠』

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Photo : Ryan Dickey