どうも、しんざきです。
最近kindle端末で子どもたちが漫画を読み漁っていまして、「ゆるキャン△」とか「Dr.Stone」とか「銀の匙」とか「ふらいんぐうぃっち」とか、最初から購入済だったシリーズは最新刊に追いついてしまった、ないし完結してしまったので、次に何を買うか検討中です。
また立川まんがぱーくにでも連れてってあげようかしら。
基本、漫画に限らず、子どもの読書傾向はあまり恣意的に誘導したくありません。
「好きな本を自分自身で見つけ出す」という素敵な体験を、出来ればたくさんして欲しいなーと思っています。
とはいえamazonを使い放題にさせてあげるわけにもなかなかいきません。
「実際に本を手にとってあれこれ迷う」という経験をさせてあげにくいという点は、電子書籍の意外なデメリットだなーと思っています。
理想を言えば「山ほど本があって、その中から子どもたちが気になった本を見つけてきて勝手に読む」という状態が望ましいと思っているんですが、やはりスペース的にもそこまでやるのは難しく、図書館や書店に通い詰める日々です。
家に書庫が欲しい。
さて。
本当にちょっとした話なんですが、動画コンテンツについて次女と交わした話と、それがもしかすると案外大事なポイントだったかもな、と後から考えた話をします。
子どもたちは読書も好きなんですが動画を観るのも好きでして、ipadでyoutubeを漁ることもちょくちょくあります。
おもちゃやゲームを「実際に遊んでみた」という動画を観るのが特にお気に入りなようで、わたしにも「こんな動画があった」ということをあれこれ話してくれます。
で。
ある時次女が、いつも通りソファーで寝転がって動画を観ていたんですが、ちょっといつもと雰囲気が違いました。
いつもなら動画を観ながらきゃっきゃ笑ったり、そうでなくてもこちらの声も聞こえない程真剣に見入ったりしているものなんですが、その時は笑いもしないで、しかもなんだかイヤな顔をして、こわごわ覗き込むようにipadを見ていたのです。
時々私の方もちらちら見てきます。
どうしたのかなーと思って聞いてみると、ちょっと考えてから、
「なんかこの人、言い方が汚くってなんかちょっとイヤだ」という言葉が帰ってきました。
私も画面を覗いてみると、どうもどなたかyoutuberさんのゲーム実況らしいんですけど、スプラ2をしながら「うぜぇ」とか「クソじゃん」みたいな言葉を連呼してたらしいんですね。
で、結構言葉に繊細な次女が、その「うぜぇ」という言葉を「イヤな言葉」として受け取ってしまい、傷つきかけていたと。
「嫌なら見るのやめたらいいじゃん?」と言ってみると、「けど〇〇ちゃんのお勧めだし、あとから「どうだった?」って聞かれるから…」と。
どうも、友達に悪いと思って止めるのをためらってたみたいなんですね。
あーと思ったので、こんな風に話しました。
・言葉が汚いなーとか、聞いていて気持ち悪いなー、という感覚は凄く大事
・そういうのを我慢して観続けていると、自分の心が傷ついてしまったり、自分もそういう言葉の影響を受けてしまったりする
・そういう動画が好きな人もいて、別にそれが間違っているわけじゃないけれど、合わない人には合わない。それはいい悪いじゃなく向き不向きの問題
・だから友達には、「ちょっと合わなかった」と言えばいい。別に「そんなものを観るなんて」って友達を嫌いになる必要もない
大体こんな内容でした。
で、ちょっとまだ「うーん」という感じだったので、試しに
「寒かったら窓を閉めるでしょ?寒いのが平気な人もいるけど、次女ちゃんは寒いの苦手でしょ?」
と言ったら「うん、閉める」と。
そう言って、次女はyoutubeを落としました。
納得してくれたようだったので、たとえ話の出来不出来はともかく、まあ心に残してはくれたかなーと思ったんですよ。
で、あとから考えたんですけど、これもしかすると結構大きなポイントだったかもな、と。
「not for me」という考え方があります。
特にゲーム界隈でいつからか聞くようになった言葉なんですが、「これは私の為のコンテンツではなかった」と。
別にそのコンテンツを楽しむ人がいることを否定はしないけれど、私には向いていなかった、私には楽しめなかった、と。
私はこの考え方、すごーく大事だと思っていまして。
自分に向いていないコンテンツを無理に楽しむ必要はないし、かといってそのコンテンツ自体、あるいはそのコンテンツを楽しんでいる人に水をぶっかける必要もない。
そういう時に、いわば「窓を閉める」言葉として、「自分には向いてなかった」という風に思考のチャンネルを変えて、穏やかにそのコンテンツの摂取を止めることって、すごく大事なことだと思うんですよ。
それは自分の心を守ることでもありますし、またそのコンテンツを楽しんでいる他の誰かを尊重することでもあります。
私にとっては割と自然な考え方なんですけど、これ、どうも苦手というか、馴染まない人も結構な数いるみたいなんですよね。
何か、「みんなが楽しんでいるコンテンツを楽しめないこと」を気に病んでしまう人、むりやり楽しさをみつけようとして頑張って視聴を続けてしまう人、とか。
あるいは、「自分が楽しめない」ことで、そのコンテンツ自体に憎悪を向けてしまう人とか。
前者は不健康ですし、後者はちょっと喧嘩上等戦闘狂過ぎやしないかなーと。
別に喧嘩をすることを止めはしませんけど、大体の場合は「ただ、窓を閉める」だけで必要十分なんじゃねえかなあ、と。
世の中ただでさえ殺伐としたことだらけなのに、より一層殺伐要素を増やさなくてもいいんじゃないかなあ、とも思うんですよ。
で、今回次女も、「嫌な言葉を見て不快に思った」ということをよくちゃんと言語化してくれたなーと。
こういうアラートをあげることもすごーく大事なことだと思いまして。
これが出来るなら、自分自身で自分の心を守ることが出来るし、誰か他の人の憎悪に自分まで引きずられる心配もない。
偏った情報や、他人を罵倒するようなコンテンツについても、自分の考え方を伝えることが出来る。
親として凄く安心出来るなあ、と思ったんです。
だから、「この言葉ちょっとイヤだな、ということをちゃんと言葉に出来て偉いな」って言いましたし、後から長女にも同じ話をしました。
その後も「この動画ちょっとイヤだったから止める」ということが継続して出来ているようなので、「not for me」という考え方を伝えられる貴重なポイントだったかも知れないな、と思ったわけなんです。
繰り返しになりますが、これはしんざき家における、今の段階での、次女とのちょっとした会話に過ぎません。
これと同じことがどんな子どもにも当てはまるなんて思ってもいませんし、一般的に子どもに教えるべきだ、とも思いません。
しんざき自身、いつか考え方を変えるかも知れません。
ただ、少なくとも今の時点においては、「not for me」という言葉の大事さを子どもたちに伝えておきたいなあと。
それで、「コンテンツとの軋轢」をごく自然に避けられるように育ってくれたらいいなあ、と。
そんな風に考えた次第なんです。
今日書きたいことはそれくらいです。
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【著者プロフィール】
著者名:しんざき
SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。
レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。
ブログ:不倒城
Photo by Ricardo Resende on Unsplash