マシュマロ・テストの示唆
「マシュマロ・テスト」という極めて有名な心理テストがある。
このテストは1960年にコロンビア大学のウォルター・ミシェルという心理学者が考案したもので、当初、「何が欲求充足の先延ばしを可能にするのか」を調べるものとして、このテストは作られた。
マシュマロ・テストというのは手短に言えば、幼い子どもに、本人にとってはとても魅力的な報酬一つ(たとえば、マシュマロ一個)をただちにもらうか、一人きりで最長二〇分待って、より多くの報酬(たとえば、マシュマロ二個)をもらうかという選択肢を与え、どうするか見てみるという、じつに単純なテストだ
ところがその18年後。
ウォルター・ミシェルはその後の子供たちの成長の様子を見て、この研究結果を、「子供の将来予測に使えるのでは」と考え、追跡調査を行った。
1968年から1974年までに550人以上に対して行われた参加者(子供たち)のその後を、10年ごとに追跡し、様々な側面から情報を集めたのだ。
その結果は、少なくない衝撃を世の中に与えた。
「マシュマロ・テスト」で自制心を発揮できた子供は、「大人になってからも、性格面、学業面で優れており、社会的成功の可能性も高い」というものだったからだ。
テレビ番組や新聞・雑誌はこの結果を大きく報じ、当時のオバマ大統領もこの結果に注目したという。
重視される「我慢」や「努力」できるマインドセット
マシュマロ・テストの結果が広く受け入れられた理由の一つは、アリとキリギリスの逸話に見られるような「自制心の強い人は、成功する」という通説の裏付けとなったからだろう。
それはすなわち「我慢」や「努力」の重要性を強調することにもつながる。
かつてコロンビア大学で、ウォルター・ミシェルの同僚だった、スタンフォード大学のキャロル・ドゥエックは、こうした考え方を一歩進め「マインドセットが成功に大きく寄与する」と主張した。
硬直的なマインドセットは人生の失敗に通じ、しなやかなマインドセットは成功に通じるという主張、そしてそれは、自分自身で選択できるという主張だ。
能力を固定的に考える世界では、つまずいたらそれでもう失敗。落第点を取る、試合に負ける、会社をクビになる、人から拒絶される──そうしたことはすべて、頭が悪くて才能がない証拠だ。
それに対し、能力は伸ばせると考える世界では、成長できなければ失敗。自分が大切だと思うものを追求しないこと、可能性を十分に発揮できないことこそが失敗となる。(中略)
どちらの世界を選ぶかは、あなたしだい。マインドセットは信念にすぎない。強いパワーを持つ信念だが、結局のところ心の持ちようであり、それを変える力はあなた自身が握っている。
ドゥエックの共同研究者でもある、アンジェラ・ダックワースはこうした考え方を受けて、ベストセラーである「GRIT やり抜く力」を著した。
「GRIT」とは、物事をやり抜く力であり、その力は「しなやかマインドセット=成長志向」と強い相関がある。
数年前、ドウェックと私は2000名以上の高校3年生を対象に、「成長思考」についてのアンケート調査を実施した。その結果、「成長思考」の生徒たちは「固定思考」の生徒たちにくらべて、はるかに「やり抜く力」が強いことがわかった。
さらに、「やり抜く力」の強い生徒たちは成績がよく、大学への進学率や卒業率が高いことがわかった。
そしてまた、「やり抜く力」は、練習や鍛錬によって向上させることが可能だ、ともダックワースは主張する。
こうした一連の研究から引き出せる結論は、「人生にとって重要なのは才能ではなく、継続・努力である」だった。
努力できることそのものが、才能だという主張
こうした主張に対して、一つの大きな反論がある。
それは、「努力できることそのものが、才能だ」というものだ。
前述した研究者たちの主張には暗に「努力は誰でもできる」を含んでいる。
が、彼らによれば、努力は、誰でもできることではない、という。
努力できるかどうかは、生得的に決定されている、と。
それが仮に正しいとすると、努力する才能を持ち合わせていない人は、成功や幸福も縁遠い、ということになる。
なかなか難しい問題だ。
実は、前職で管理職だったころ、大きな課題の一つが、この「努力」に関するものだった。
なぜ課題だったか。
それは、単純に言えば、「努力する人々」と、「努力しない人々」のパフォーマンスが長期的には、かなり開くからだ。
努力する人々は、各個人でスピードの差こそあれ、長期的に見れば、ほとんどの場合、パフォーマンスは向上する。
トップになれるかどうかは別の問題だが、とにかく、パフォーマンスが向上することは、多くの研究者が実証する通り、間違いがなかった。
ところが、宿題をやらない、本を読まない、アウトプットしない、アドバイスを実行しない、と、自助努力を嫌う人々は、本当に進歩しなかった。
同じミスを繰り返し、お客さんからの評価も向上しない。
そうなると、任せられる仕事も限定的になり、ますますその人の仕事の領域が小さくなっていく。
もちろんマネジメント側も、彼らに努力を要求し、ことあるごとにそれを指摘した。
だが、「やらない」のだ。
だが、彼らが給料アップなどを望んでいないか、というと、そうではないところが問題だった。
人間は、自分に都合よく考える生き物なので、パフォーマンスの向上はないのに、給料は上げろというのだ。
もちろん、そういわない人もいた。
が、彼らも、大目に見てもらえるのではないかと「暗に期待」していたようだった。
だが、客観的な成果の指標は、彼らの給料は上げられない、という事実を突きつける。
結果的に多くの人が、給料が上がらないことに不満を持って辞めていった。
だから、「言われてもやらない」事例を数多く見た私は、「努力できるのも才能のうち」という言説に、一定の説得力を感じてしまっていた。
マシュマロ・テストの誤謬
ところが、その考え方は間違っているかもしれない。
自制心や努力の可否は才能ではなく、「コンテクスト」、すなわち周囲の状況に大きく左右される可能性があるのだ。
その一つが、マシュマロ・テストの再現性の問題だ。
ロチェスター大学の脳科学者、セレスト・キッドはマシュマロ・テストの結果に疑問を持ち、若干のひねりを加え、再現実験をした。
一方の子供のグループは「約束を守る大人」に対面してからテストを受けた。
そして、もう一方の子供のグループは「約束を破った大人」に対面してから、テストを受けた。
すると、「約束を守る大人」に対面した子供たちは、マシュマロを我慢できた一方、「約束を守らない大人」に対面した子供たちは、まったく我慢ができなかった。
自制心は周囲の状況によって、大きく変化したのだった。
マシュマロ・テストは、「子供のころの自制心」が大人になっても影響があること、その人物の普遍的な性質であることを示唆していると読めなくもない。
だが、実際には自制心は、環境に簡単に左右されてしまうのだ。
これが何を意味するのか。
「人の性質」は、不動で、普遍的ではないということだ。
ばらつきが大きく、周囲の状況によって、大きく変化する。
「努力できない性格」なんて言うものは存在せず、「努力できない状況」があるだけかもしれないのだ。
ひょっとしたら、前職で「努力ができない」ように見えた人々の多くも、「会社が信用できないので、努力を渋っていた」だけかもしれない。
ハーバード教育大学院の心理学者、トッド・ローズはこのような状況に対して
「人格が安定して見えるのは、限定的な状況でしか交流していないから」としている。
つまり、会社では、努力しないように見えていた人が、ボランティア活動や子供の前では、大変な努力家である、ということが十分にあり得る。
鬼上司だけど、実は家庭では優しいパパだ、ということも十分にあり得るのだ。
つまり環境を変えろ
確かに、前職では「努力しない人々」への歩み寄りは少なかった。
彼らが努力できない理由は様々だったと思うが
「なぜ努力できないのか」
という話はほとんど問題にされず、「会社の価値観に合わせよ。さもなくば去れ」という考え方が当時は主流だった。
その結果、彼らの行動特性も硬直化した。
「状況が変わらないなら、行動も変わらない」のだ。
私はその反省を生かし、今の会社では
「二、三度やらせてみて、たいした成果も出せず、本人の意欲も低い」ようであれば、その仕事はすぐにその人から外すことにしている。
努力を要求しても、どうせ大して改善しないからだ。
逆に「こちらが何も言わなくても、その人が勝手に創意工夫してしまうような仕事」も存在しており、できるだけそういう仕事を見つけてやるようにもしている。
つまり、マネジメントはまず状況を疑い、環境を変えろ、ということになる。
逆に今、組織の要求する努力になじめず、成果が上がらない場合は、居場所を間違えている可能性も高い。
「GRIT」のアンジェラ・ダックワースは、「2年はやってみよう、それでダメなら、やめてよい」とアドバイスしている。
努力できることは、才能ではない。
努力できることは、周囲の人々や、コミュニティの価値観を含む、環境の産物なのだ。
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【著者プロフィール】
安達裕哉
元Deloitteコンサルタント/現ビジネスメディアBooks&Apps管理人/オウンドメディア支援のティネクト創業者/ 能力、企業、組織、マーケティング、マネジメント、生産性、知識労働、格差について。
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