「リクルート事件」が大きく報道されたのは、1988年(昭和63年)6月のことでした。
翌1989年の1月上旬に昭和天皇が崩御され、時代は平成へと移っていったのです。
この事件が起こったときには高校生で、経済に関する知識も興味もほとんどなかった僕は、「リクルート」=悪い会社、江副浩正=政治家に賄賂を贈って便宜をはかってもらった大悪党、というイメージを持ち続けてきました。
ところが、あの「リクルート事件の会社」は、事件後も業績を伸ばして、日本の情報産業をリードしつづけているのです。
そして、いろんなビジネス書を読んでいると、「リクルート出身」の起業家って、本当に多いんですよね。
「悪の帝国」のイメージなのに、「個性的な人材を世の中に輩出しつづける企業」は、どのように作られ、発展し、何を目指し、どうして挫折を味わったのか?
そして、世の中の人たちにあれほどネガティブなイメージを植え付けた事件を起こしたにもかかわらず、今も、日本を代表する企業のひとつとして君臨していられるのか?
『起業の天才!: 江副浩正 8兆円企業リクルートをつくった男』(大西康之著/東洋経済新報社)という本を書店で見かけて、手にとってみました。
この本と、江副浩正という人、リクルートという会社は、本当に「面白い」のです。
冒頭で、『僕は君たちに武器を配りたい』の著者である故・瀧本哲史さんが、江副さんを「服を着たゾウ」だと評したインタビューが紹介されています。
星新一さんのショートショート『服を着たゾウ』をモチーフにした瀧本さんの江副浩正評には、引き込まれずにはいられませんでした。
江副浩正という人は、この物語に出てくるゾウにそっくりな人でした。
大学を出てすぐに自分の会社をつくった江副さんは、ゾウが「人間とはなにか」が分からなかったのと同じで、「経営者とはなにか」がよく分からなかった。「自分は経営が分かっていない」という欠乏感の塊でした。経営者とはなにか、経営者ならなにをすべきかを経営学者のピーター・ドラッカーの本から懸命に学び、純粋にそれを実行したのです。
それゆえ、リクルートは「ファクトとロジック」「財務諸表と経営戦略」の会社になりました。人の情緒に訴える「カリスマ経営」の対極に位置する、日本では珍しいタイプの会社です。「世界の情報をすべて整理する」という社是を掲げたアメリカのグーグルも、ロジックの会社です。その意味で、リクルートとグーグルは同じタイプと言えるかもしれません。
「服を着たゾウ」が「人間とはなにか」を考えながら成長したように、江副さんも会社に危機が訪れるたびに「経営者とはなにか」を自問して成長しました。
リクルートは、大学生に就職の情報を提供し、企業からは広告掲載料をもらう、というビジネスモデルからスタートしました。
1960年代前半の就職活動は教授の紹介などのコネや有力者や知人のツテを頼って、というのが多く、世の中にどんな企業があって、どんな人を求めているか、という学生と企業のマッチングのための情報は不足していたのです。
そこに風穴をあけたのが、江副さんが起業した『大学新聞広告社』(のちの『リクルート』)でした。
歴史をたどってみると、リクルートには、ただ「情報をお金にするビジネスを確立した」だけではなくて、これまでは「大手企業と大学の研究室・教授のつながりで『お前はどこそこへ就職しろ、紹介してやるから』と、密室で決まっていた学生と企業のマッチング」をぶち壊し、情報をみんなに行き渡らせた、という功績があるのです。
不動産についての情報も、リクルートが参入するまでは、「広告に掲載されている物件について問い合わせても、『もうそれは売れてしまった』と断られ、別の物件を勧められる」とか、「駅から徒歩十分」と書いてあるのに、実際は30分くらいかかり、それを指摘すると、「それは『10分』じゃなくて、『じゅうぶん』ってことですよ」と言われた、なんて話も少なからずあったそうです。
「求人広告だけの雑誌」──『企業への招待』から始まった、リクルートの情報誌ビジネスのいったいどこが革新的だったのか。
いまだからわかることだが、江副の情報誌は、一言で言えばインターネットのない時代の「紙のグーグル」だったのである。つまり、情報がほしいユーザーと、情報を届けたい企業を「広告モデル」(ユーザーには無料)によってダイレクトに結びつけたのだ。
新聞、雑誌、テレビ、ラジオなど商業媒体の読者や視聴者にとって、広告は一時的に「ノイズ」と思われている。読者、視聴者が見たいのはニュースやドラマ、野球、サッカーなどのスポーツ中継であり広告ではない。
一方、広告を出す企業の側からすれば、求人広告なら「仕事を探している人」、不動産の広告なら「家を買いたい人、借りたい人」がターゲットである。しかし読者、視聴者の多くはすでに定職に就いていたり、家を持っていたりする。マスメディアに載せる広告の大部分は「無駄撃ち」なのだ。江副は、前述したとおり大学新聞の広告の効力に疑いを持ち始めていた。
江副が『企業への招待』を創刊した1962年から36年後の1998年、グーグルがインターネットを使った「検索連動広告」を発明した。
江副が考えた「広告だけの本」が就活生だけを対象にするのと同様、グーグルの検索連動型広告は「仕事」という言葉を検索した利用者だけに求人広告を見せる。「家」を検索すれば住宅の広告、「車」を検索すれば新車、中古車の広告が表示される。「検索連動型」のネット広告は、その後レガシーメディア(時代遅れの遺跡のようなメディア)と呼ばれるようになった新聞、テレビのマス広告から広告主(クライアント)を奪った。
グーグルの若き創業者、セルゲイ・ブリンとラリー・ペイジはマス広告のことを「スプレー&プレイ(殺虫剤をシューっとスプレーして『蚊が落ちますように』と祈る)」と皮肉った。自分たちのネット広告は確実に蚊を落とす。
江副浩正という人は、多くの人がいつのまにか周りに集まってくるような「カリスマ性」が無いことを自覚していて、そんな魅力をもった人を、うまくなだめすかしながら会社の中核に据えていました。
自分にできないことは、できる人にやってもらう、それも、余計な口出しをせずにその人に全権を与える、という度量もあったのです。
情報誌を次々と創刊し、大きな成功をおさめたリクルートなのですが、不動産業に進出して土地を買い集め、マンションを販売するようになっていきます。
高度成長期、日本の人口はどんどん増え、土地の価格も右肩上がりでした。
江副さんには先見の明があり、「コンピュータと通信」にいちはやく注目し、事業化にも動いていたのです。
しかしながら、「土地転がし」があまりに儲かることで、金銭感覚が変わってしまいました。
「情報誌を売り続けて10年で稼いだ金額を、不動産なら数年で得ることができる」と、「本業」の情報誌への情熱が薄れてしまったのが、のちの「リクルートコスモス」での挫折につながっていったのです。
お金儲けって、怖いな、と思うんですよ、本当に。
最初は、「世の中を変えてやろう、新しい価値を生み出してやろう」というモチベーションを持っていた起業家の多くが、企業を「成長」させていくために、いかにして稼ぎを増やしていくか、ばかりを考え、理想を見失っていきました。
「リクルート事件」について、著者は「未公開株を誰かに売るという行為そのものは、法律を厳格に解釈すれば、『賄賂』にあたるとは言い切れないのではないか」と述べています。
おそらく、上場すれば株価は上がるだろうけれど、それは「絶対」ではない。値下がりするリスクだってあるのだから。
それに、相手にどんな「便宜」をはかってほしいのかはっきりしてもいない。
「情報を売る」というのは、「ものづくり大国」である日本の経済界では、長い間「虚業」だとみなされていて、「成りあがり者」であり、既成のマスメディアにとっては広告を奪った仇でもあるリクルートは、「出る杭として打たれた」面もあるのだと思います。
僕はこの本の「リクルート事件」について書かれていたところを読んでいて、「ライブドア事件」のことを思い出さずにはいられませんでした。
リクルートが、あの「事件」を起こさなければ、日本の、いや世界のインターネットの巨大プラットフォームになっていた可能性は十分にあるのです。
ただ、「道義的に」考えると、それが罪になりにくいことを承知の上で、有力者に未公開株を安価で譲渡するような会社に「情報」を支配されるのは、怖くもありますよね。
リクルートは、「正しい情報を、より多くの人に」公開することで大きくなり、「既得権益者の仲間に入って、みんなの知らない情報を独占してアドバンテージを得ようとした」ことで、崩壊していったのです。
正確には、江副浩正という人はリクルートから外されてしまったけれど、企業そのものは、汚名をまといながらその後も成長を続けています。
1979年に商社から中途入社し、後に江副の側近となる吉井信隆は、江副と若い社員の対話を聞いてあることに気づいた。
江副は自分を含めた社員に対して「こうしろ」とは言わない。社員が常々、不満を持っている事業や、自分が「やってみたい」とか「変えなければいけない」と思っている事柄について「君はどうしたいの?」と問いかけるのだ。
社長に「どうしたい?」と聞かれた社員ははじめ戸惑うが、江副は「それで?」とがまん強く社員の意見を促す。その様子を吉井はこう解説する。
「江副さんには『こうしたい』という意見がある。でも、それを自分が言えば、命令を服従の関係になってしまう。だからしつこく『君はどうしたいの?』と聞くんです。はじめのうち社員はトンチンカンなこと言ってますが、江副さんは『それで?』『でも、こういうこともあるよね?』と誘導していく。すると、そのうち社員は、江副さんが考えていた正解や、それより素晴らしいアイデアにたどり着く」
そこで江副は満面の笑みを浮かべ、こう叫ぶのだ。
「先生! おっしゃるとおり。さすが経営者ですねえー!」
江副さんは、この社員に「じゃあそれ、君がやってよ」と、その仕事を任せるのです。
リクルートという会社は、とくにその成長期においては、学歴や年齢にこだわらずに、能力がある、結果を出した人間を評価する、という企業だったと言われています。
競争は激しかったけれど、そのなかから、リクルート出身の多数の起業家が生まれたのです。
「リクルート」といえば、僕の世代は、どうしても、「あの事件」のイメージを切り離せないのですが、この企業と江副浩正という経営者の功績について、あらためて知ることができる、素晴らしいノンフィクションだと思います。
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著者:fujipon
読書感想ブログ『琥珀色の戯言』、瞑想・迷走しつづけている雑記『いつか電池がきれるまで』を書きつづけている、「人生の折り返し点を過ぎたことにようやく気づいてしまった」ネット中毒の40代内科医です。
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