今から15年ほど前、ロジカル・シンキングというものが流行っていた。

ロジカル・シンキングを紹介していた本達は「論理的に物事を考えられれば、自由な発想がいくらでもできるようになる」といった事を謳っていたように記憶している。

 

僕も興味をもって何冊か読んでみたのだけど、これがまるで役にたたなかった。

コンサルファームあたりで激詰めされながら職業訓練をうければまた話は違うのかもしれないけど、少なくとも素人が論理的に物事を考えた所で何も変わらない。

 

少なくとも僕に限って言えばだが、論理的に物事を考えてもまったく思考は展開しなかった。

「なんか違うんだよな」と随分長い間考えていたのだけど、最近ようやくその違和感の正体がつかめた。

今日はその話をしようかと思う。

 

アイディアは論理的思考では積み上がらない

かつて僕はアイディアというものは論理的思考の積み重ねでもって展開するものだと思っていた。

図解するとこんな感じである。

 

 

しかし断言してしまうが、アイディアというのは論理的思考では積み上がらない。

論理は理屈の解析や物事の分析には使えるけれど、こと何か新しいモノを生み出すのには全く役にたたないと言っても過言ではない。

発想力はこんな感じのわかりやすい線形思考をしていない。

 

じゃあ発想はどういう風に産まれるのだろうか?

僕が思うに、それは以下のような形をしている。

突拍子もない傍からみたら馬鹿げたアイディア同士が何気なく「なんか直感で繋がりそうな気がする」とふと思いつく。

これを必死になって解析し、繋がりが見いだせた時に発想として形になる。

これがたぶん発想法のようなものの正体だ。

 

仕事であった最前線にいる研究者の話

なんでこんな考えに至ったのかというと、最近仕事で研究に携わる機会が多くいわゆる最前線にいる研究者達と話をする事があったのだが、ものの見事にみんなこんな感じでもって思考していたからだ。

 

ある人はランニングの最中に思い浮かんだ突拍子もない思いつきが今までで最高の業績に繋がったといい、またある人は趣味のガーデニングの最中に突然閃いたアイディアが自分の今までの仕事の全てだったと言っていた。

 

彼らはずば抜けて頭がよく当然というかロジカルやら知識も抜群に使える。

なので普通に接していると

「こんな風に知的に物事を考えられるから、凄いアイディアが思いついたのかな」

と思わされてしまうのだけど、そういう傍からみてわかりやすい知性は少なくとも研究には全く役に立たないというのである。

 

「知識や論理的思考は問題を解くのには使えるけど、問題を思いつくのには全然使えない」

 

「ぶっちゃけ論理的思考能力なんて大学を卒業できるぐらいの頭があれば十分。それに解析するのに知識が足りないのなら、他人を使えばいいだけだし」

 

「それよりアイディアの種みたいなのを思いつけるか、そしてそれを何かと結びつけて形にして取り出せるかの方が研究者としては大切」

 

「これが出来ない人間はどんなに頭がよくても研究者にはなれない」

 

陰謀論にハマっている人達は、たぶん物凄く知的な活動をしていると思ってる

この発想力の正体みたいなものに気がついてから、なんで陰謀論に人がはまり込むのかの正体のようなものがうっすらとみえてきた。

実は陰謀論にハマっている人達のやっている事は研究者達のやっている事と全く同じである。

図解するとこんな感じである。

Twitterのタイムラインを眺めていると、ときどきトンデモ理論が流れてくる事がある。

その多くは論理が破綻しており「なんでそんな不思議な考えに至ったの?」と思わされるものばかりなのだけど、実際の研究における発想も実は99%は使い物にならないものだという。

 

研究者いわく

「思いついたアイディアは実際に実験して確かめてみると大体は駄目」

「だけど、たまに上手くいく事がある」

「ヒラメキの9割はただのゴミ。研究とはそういうもの」

なのだそうだが、陰謀論に関して言えばこの「確かめてみたら駄目」というチェック機構を働かせる場所がない。

 

故に駄目な発想が修正される事なく流れてしまうわけである。

しかし思いついた当人は「ひょっとして、世界の真理に目覚めちゃった!?」みたいに思っていたりするわけで、知的興奮のようなものが凄く脳髄に直撃しているはずである。

 

たぶん、陰謀論にハマっている当人達は物凄く知的な活動をしていると思っているはずだ。

それが生産的な活動かどうかは置いといて、当人の脳の回路は研究者と同じように動いているのだからかなり楽しいに違いない

 

SNSで特定の思考を持つモノと馴れ合いすぎるのは思ってる以上にヤバい

実は研究の世界は普通の人が思っている以上に否定・批判の連続である。

論文を投稿すると査読といって審査を受ける事になるのだけど、一流誌になればなるほど審査員のコメントは辛辣で、褒めてもらえる事など無いに等しい。

 

かつては論文を投稿する度に「なんでそんな細かい所にイチャモンつけるん?もうちょっと好意的に読んでくれてもええやん」と何度も思ったのだが、最近SNSで特定の思想を加速させて狂っていく人達をみて、あの仕組みにも一定の合理性がある事に気がついた。

 

SNSは良くも悪くも馴れ合いの世界である。

多くの人は自分の意見を否定される事を物凄く嫌がるから、自分と似たような意見を持つ人間と人間でナアナアな関係ができやすくなる。

そんな感じで集合知が形成されるようになると、実は先程の陰謀論の形成と全く同じような展開になる。

結果としてどんどん人は思想が先鋭化して、狂ってしまうのである。

 

クソリプは耳に不快だが、ある程度は必要なのかもしれない

以前からSNSはエコーチェンバー現象の危険性が指摘されていた。

これは閉鎖的空間内でのコミュニケーションを繰り返すことにより、特定の信念が増幅してしまう事の比喩だが、内部批判が働かないのだから狂った意見が定着してしまうのも仕方がないのかもしれない。

 

ヤバい発想とヤバい発想が組み合わさって狂った意見が形成され、それを元にまた狂った意見が形成されて…が何度も何度も積み上がっていったらどうなるかなんて言うまでもないだろう。

 

かつてある人が

「多く新興宗教がおかしくなるのは、信者が教祖を狂わせるからなんだよね」

「普通の人は教祖が信者をおかしくしてるって思ってるかもだけど、それ逆だから」

「1番最初に狂うのは魅力的だったはずの教祖なんよ。信者って凄いよね」

と言っていて妙に感心した事があるが、実際にインターネットのインフルエンサーの多くがおかしくなってしまうのも似たような現象だろう。

 

信者は教祖を否定しない。

その否定しないのが…たぶん物凄くマズい。

 

人間、褒められるのは気持ちがいい。

だから自分を肯定してくれる場所に身を置くたくなってしまうものだけど、そういう場所は査読が働かない論文のような場所でもある。

 

その世界はSTAP細胞のように細胞にオレンジジュースをかけたらiPS細胞が出来上ってしまうようなファンシーな世界に容易になりうる。

クソリプは耳に不快だが、狂わない為にはある程度の合理性はあるのかもしれない。

 

心の自浄作用としての小説のススメ

とはいえ普通の人が批判をキチンと受け入れられるかといったら、それは無理だ。

ではどうすればいいのだろうか?

僕が思うその回答を書いて文章を〆よう。

 

最近読んだ本で非常に面白かった一節に「伊勢神宮が何百年たってもキレイなのは、一定期間で遷宮する度に何度も建て直しているから」というものがあった。

<参考 LIFE SCIENCE(ライフサイエンス) 長生きせざるをえない時代の生命科学講義>

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築何年もたった家は必ずどこかにボロがくるが、最初から建て直しをして、壊れた所をその度に取り替えていたら何百年たってもピンピンしている。

 

実はこの仕組こそ私達の身体で行われているものそのものである。

オートファジーといって、私達の身体は見た目が全く同じようにみえつつも、実は内部で何度も建て直しが行われている。

 

私達の肉体はこのオートファジーによって身体の中にある老廃物が蓄積しないようになっており、老化現象のかなりの部分がそれで防がれているのだという。

感のいい読者は気がついたかもしれないが、私達の心にもこのオートファジー現象を働かせる事ができれば心の老廃物の蓄積を防ぎフレッシュさを保てるはずだ。

 

じゃあどうすれば心にオートファジーを作用させる事ができるだろうか?

僕はその鍵は小説にあると思う。

 

かつて村上春樹さんが小説を読む効用としてこのような事を言っていた。

「小説を読むとフィクションを通じて、現実世界からちょっとだけ離れる事ができる」

「そうして物語の中を旅し終えた後であなたは現実に立ち返るわけだけど、そうして現実に戻ってきた貴方は同じ貴方なのに以前の貴方とほんのちょっとだけ変わっている」

「場合によってはモノの見方がいくらか変わったかもしれない。けど、そこにあるのは確かに以前と同じ現実である」

 

物語を通じて貴方という存在を離れ、別の人物としての時間を過ごす。

そうしてまた貴方の人生へと還っていく。

この心の動きはまさに心のオートファジーだ。

 

良い小説を読む事で貴方の心から老廃物が排出され、貴方の心は建て替えられる。

すると以前とまったく同じはずの現実が異なる彩りを呈してみえたりもする。

 

物語には確かにこのような現象を引き起こす力がある。

 

たまには上質な小説でも読んで他人の人生を追体験し、いい意味での現実逃避をしてみてはいかがだろうか?

きっと心が晴れるに違いない。

<参考 マネーロンダリング 橘玲>

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安達 裕哉(あだち・ゆうや)
ティネクト株式会社 代表取締役/ワークワンダース株式会社 代表取締役CEO
Deloitteにてコンサルティング業務に従事後、監査法人トーマツの中小企業向けコンサル部門立ち上げに参画。大阪・東京支社長を経て、2013年にティネクト株式会社を設立。
ビジネスメディア「Books&Apps」運営。2023年には生成AIコンサルティングの「ワークワンダース株式会社」も設立。
著書『頭のいい人が話す前に考えていること』(ダイヤモンド社)は累計82万部突破。2023年・2024年と2年連続で“日本一売れたビジネス書”に(トーハン/日販調べ)。
日時:
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(2025/6/2更新)

 

 

 

【著者プロフィール】

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高須賀

都内で勤務医としてまったり生活中。

趣味はおいしいレストラン開拓とワインと読書です。

twitter:takasuka_toki ブログ→ 珈琲をゴクゴク呑むように

noteで食事に関するコラム執筆と人生相談もやってます

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