「勉強なんてしても無駄だ。なんの役にも立たない」
よくこのような事をいう人がいる。
この意見に対しては色々な反論の仕方があるだろう。実際に役立った勉強の例を持ち出す人もいるだろうし、不勉強で被った被害の例をあげる人もいるだろう。
僕も一応医者をやっているわけなので、この手の意見に色々な反論は思いつく。
思いつくのだが…そういう具体的な話を用いるまでもなく、このような意見をいう人は「知識が勝手に有機的にくっついて、動き出すという経験をしたことがないのだろうな」と思う。
だってこれを一度経験したら、面白すぎてとてもじゃないけど勉強が無駄だなんて思わないだろうから。
この体験の面白さを知らずに勉強嫌いでいるのは勿体ないので、今日は具体例を用いて勉強の面白さ、そして仕事の面白さと個性についてアレコレ書いていこうかと思う。
知識を詰め込みまくると、知識が勝手に動き出すようになる
最初に勉強の面白さを見いだせたのは確か中学校の数学だったように思う。
それまでは掛け算の九九だとか三平方の定理といった原理をよくわからずに徹底して詰め込まれ、ドリルをシコシコと解く日々が続いていた。
「こんなのいくら勉強しても何にも使えないじゃないか」としぶしぶ勉強していたのだが、中学校2年生ぐらいの時に東京出版のレベルアップ演習という問題集をやったた時、数学の面白さに俄然めざめた。
レベルアップ演習は高校入試の名作選のようなものだ。
名作選だけあって本当によく練って作られた問題が多く、解いているだけでワクワクするような仕組みがそこかしこに敷き詰められている。
そして色々と回答を模索して知恵を振り絞るようになると、それまでバラバラに詰め込まれていた知識がそこで急激に有機的に繋がり始めた。
まるで一級品のミステリ小説の伏線がすべて回収されるかのような、物凄い知的感動がそこにはあった。
「なるほど。知識を膨大に詰め込みまくると、今度は知識がくっついて、勝手に動き出すようになるんだ」
「これまでは勉強って無味乾燥なものだと思っていたけれど、最初の退屈な段階を乗り越えたら暗記的な要素は消えて、論理的な学問へと昇華する」
「だから算数じゃなくて数学になるのか」
勉強も結構楽しいとこあんじゃん。そう始めて思えた瞬間であった。
英会話も徹底した詰め込みと反復で突然道がひらける
先の話は数学だが、実は語学もこれと全く同じである。
基本的な英文法の習熟ならびに単語と構文の暗唱。これらの退屈な作業さえ乗り越えられれば、語学は急速にイキイキとし始める。
とにかく最初の最初さえ乗り越えて、後は徹底したトライ・アンド・エラーで試行錯誤を繰り返せば、読解も会話もどうにでもなる。
それまでに詰め込んだ知識が勝手に動き始めて、そこにはもう知的刺激しかない。
この原理原則に最も適合するのが英会話だ。
日本人は英会話を苦手とする人が多いが、海外旅行に使える程度のものならば習熟はそう難しくはない。
僕は大学生の頃に月5000円ほど支払って、毎朝6:00に起きて15分ほどのオンライン英会話を3ヶ月ほどやる事で英語が話せるようになった。
言いたくても言えなかった「あーこういう風に表現すればよかったのか」となる体験を何度も何度もブラッシュアップし続けていくと、そのうち初歩的な英会話なんて限られたパターンを用いれば大抵の事は表現できるという事に気がつける。
この段階にまで到達できれば、もう自転車の乗り方を一生忘れられないのと同じく、英語も必要に迫られれば自然に話せるようになる。
海外旅行で自分の意思表示をするぐらいの事なら、この程度の技量もあれば死ぬまで一生使える。
英語が話せるようになると、それまで無味乾燥だとしか思えなかった英文法や英単語の知識が勝手に有機的に結合し、動き出すようになる。
知識が生き物として稼働し始める瞬間である。これが出来るようになった時のゾクゾクした感じは、本当にたまらないものがある。
知識人になれると、人生のモノの見方が変わる
このような体験を通じて、僕は体系だった知識というのはキチンと詰め込めばその後で人生のモノの見方が変わるほどに強いインパクトがあるものだという事を体得できた。
体系立てられた知識を学ぶ事は、その後の人生に強い影響をもたらす。
哲学をキチンと学べば哲学者のモノの見方をインストールできるし、医学を学べば医学的なモノの見方ができるようになる。
そうして知識でもって身を立てられるのが、人間社会の非常に素晴らしい点である。
こうして知識の魅力に気がついた人は、勉強が苦になるどころか、勉強を渇望するようになる。
有機的となった知識は人生観を変える。こういう体験を通じて、学問の力を心の底から信じられるようになった人こそが、現代における知識人なのだと僕は思う。
仕事も最初は退屈だけど、何年かやってたら能力が勝手に動き出すようになる
これは仕事においても実は全く同じである。仕事も、ぶっちゃけ最初がとてつもなくツマラナイ。
まったくよくわからない門外漢な分野で、プライドをズタズタに傷つけられつつ、頭を下げたくもない相手に「すみませんでした」と謝り、徹底してしごかれ続ける。
僕が若い頃はこの様子を家畜になぞられて表現した”社畜”という表現が流行っていた。
「働いたら負けだと思っている」という実によくできた一枚絵があるのだが、あれをもう少し噛み砕いて表現すれば
「他人に使われるだけの人生は色々な意味でキツすぎるから、やりたくない」
ぐらいのニュアンスだと思う。実際、若くて能力がある人ほど、他人にいいように使われて肥やしにされる事を恐れていた。
仕事は覚えられたら、後はもう本当に自由
僕も随分と長い間、いろいろな人達にいいように使われてきた。
「何が悲しくて他人の小間使いみたいな事をやらなあかんねん…」
働き始めてから5~6年ぐらいまでは、本当にそんな日々の連続だった。
それが医者になって10年目近くにもなると、いきなり目の前に広がる景色に変化が生じた。
社会人生活を通じて、膨大なパターン処理を行ったという事がおそらく大きいのだろう。
それまでは自分の意見など言えなかったのに、急に理路整然と仕事の全体像を把握した上で、自分の意見を主張できるようになり、おまけにその意見にキチンと芯のようなものが通るようになっていた。
この段に至って、僕はどうして多くの中年以降の人たちが「仕事、仕事」ばっかいってるのかを理解した。
仕事も、知識が有機的につながりだすとハチャメチャに面白いのである。
この段階にたどり着く為にも、最初の7年ぐらいは小間使いをやる価値がある。
仕事も勉強と同じで最初は無味乾燥で退屈だけど、そこさえ乗り越えたら、もう勝ったも同然なのだ。
詰め込んだ知恵がどう動くかは、人によって随分と違う
最後に個性について書いて話そう。
ここまで知識をとにかく頑張って詰め込んで、それを用いてアレコレと試行錯誤をするのが勉強にしろ仕事にしろ肝心なのだという話を書いた。
こう書くと、やる事をやったらみんな同じような感じに仕上るという風に思うかもしれないが、実際には本当に人によって仕上がり具合は様々だ。
もちろん最低限の基礎となる部分はそう大きな変化はないのだけど、細かい部分で本当に人によって違いがでる。
僕はこれこそが個性の正体だと思う。人間の複雑なニューラルネットワークの組み合わせは本当に人それぞれで、同じモノを処理しているはずなのに、本当に出力される生産物には同じものが一つとして無い。
知識を詰め込んでアウトプットでもってアレコレしていると有機的に繋がり始めるのだが、その繋がり方にはオリジナリティがある。
例えば小説なら、ドストエフスキーを読んで、誰に共感するかは本当に人それぞれだ。
アリョーシャの言動が心に残る人もいれば、大審院のシーンだけが妙に心に突き刺さる人もいるだろう。
そういう風に、人によって共感できる場所や力点が異なるから、同じものを処理したとしても必然的に寒暖差のようなものが出現する。
仕事もそうで、人によってはバカバカしいような細部のこだわりが、その人やその業界では重要なポイントだったりもするし、逆に専門家が誰も注目しないような場所に門外漢が意外と面白い視点を見出したりもする。
それだから、勉強にしろ仕事にしろ、才能があるとか無いとかに関係なく、誰だってやってみる価値はあるように僕は思う。
どういうニューラルネットワークを通したら、何が生まれるのかなんて誰にもわからない。
だからこそ人間社会は面白いのだし、だからこそ誰も未来など予測ができない。
とにかく、勉強も仕事も最初は退屈だけど…それを乗り越えて個性を発揮できる場所までは頑張ってみんなたどり着いて欲しいなと思う。
だってそこが、やっと楽しい場所の始まりなのだから。
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【著者プロフィール】
都内で勤務医としてまったり生活中。
趣味はおいしいレストラン開拓とワインと読書です。
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