わたくしは昭和22年(1947年)生まれなので、高度成長期以前の日本を知っている。
蚊帳をつって寝ていたし、冬に暖をとるのは炭火の炬燵だった。
家の前の道路は舗装されておらず、紙芝居のおじさんが四辻で子供を集め(当時の就業人口の700人に一人が紙芝居屋さんだったそうである)、氷屋さんが氷を売りに来て、それを小さく切ってもらい、冷蔵庫と称する箱の上部にいれて、それでとりあえず野菜などの保存をしていた。庭の片隅にはまだ井戸があって、そこで西瓜を冷やしたりしていた。
何を言いたいかというと、その当時の女性はきわめて過酷な労働を課せられていたということである。
以前にもちょっと紹介したことのある竹村公太郎氏の「日本文明の謎を解く」(清流出版 2003年)」に「女性の進化を目撃した世紀」という章がある。
そこに「水を汲む少女」という項目があり、「世界中どこでも水汲みをふくむ水廻りの仕事は、いつも女性の分担であった」ということがいわれている。
江戸時代の女性の平均寿命は56歳。男は63歳。
しかしその後、大正までは男性の寿命は横ばいだが、女性の寿命は着々と延び。大正には男性に追いついた。その原因は?
竹村氏は「社会インフラの整備」を挙げる。
外国船に飲料を提供することを国際公約とした明治政府は、水道整備をインフラ整備として最優先で取り組んだ。その結果、水を汲む少女はいなくなった。
さらにその後、高度成長期には「家庭内インフラ」が充実した。電気炊飯器、電気洗濯機、電気冷蔵庫・・・。
女性の家事労働時間は昭和20年には13時間であったものが、「家庭内インフラ」の整備で3~4時間に減った。
ちなみに竹村氏の奥様は「二時間は家事をしている」とおっしゃるのだそうである。
「家庭内インフラ」整備以前の女性の労働でもっとも大変だったのは、洗濯であったらしい。
重兼芳子氏は「洗濯機は神様だった」という文でこう言っている。「洗濯機以前、手洗いで毎日毎日3から4時間は洗濯していた。特に絞るのが大変だった・・。それを代行してくれる絞り機には感激した。絞り機に御神酒上げたくなった。(吉川洋「高度成長」読売新聞社 1997所収 のち中公文庫 2012)
ちなみに初期の洗濯機は洗濯はしてくれるが、洗濯の後、絞り機というもので二つのローラーの間に洗濯ものを挟んで脱水する必要があった。
この吉川氏の本の巻頭に木村伊兵衛氏の「学生結婚」という写真が掲げられている。
ご主人はいい気なもので、新聞か何かを読んで悠然としているが、その前には長火鉢があり、その上には鍋と薬缶がおかれている、燃料はすべて炭である。
割烹着を着た奥様は、縁側に置かれた七輪の上のお釜を庭におりて団扇でパタパタとあおいでいる。
これを今では電気炊飯器などが全部やってくれるわけである。
それで現在の女性がどうなったか?
例えば、小倉千加子さんの「結婚の条件」という本がある。(朝日新聞社 2003年)
そこで描かれている今から約20年前の若い女性。
小倉氏が鳥取県の大山の麓にある村に講演に呼ばれた話から本が始まる。
そこで村の青年団長が、その村の青年の結婚難を語り、小倉氏の勤める大阪の女子学生にこの村に嫁にくるように薦めてみてくれないかと真顔で訴えたのだという。
紹介で結婚にこぎつけると、紹介者に10万円、お嫁に来た本人には50万円。さらに家業である牧場の仕事は奥さんにはさせない。親との別居の保証付き。
小倉氏は大阪に戻ると早速この話を学生にしたが、全員がきっぱり拒否。
「50万くらいで人生を棒にふりたくない。」
「自営業者と結婚すれば、一日3回もご飯を食べに夫がかえってくるのがいや」
「いくら親と別居といっても、窓をあければ親の家が見える生活はいや」
「いくら家の仕事をしなくてもいいといっても、忙しい時には働かされるにきまっている。」
「日に焼けるのもいや」……
なぜそれほど完全専業主婦であることにこだわるのか? と小倉氏がきくと
「自分の時間を持ちたいから」
「それでなにをするの?」
「友達に電話する。将来、自分が何になるか考える」
小倉氏はこの「将来、自分が何になるか考える」という返答に日本の少子化の根源的な原因が見えるとし、それを理解できない対策では少子化は進む一方であろうと予言している。
事実日本ではその通りになっている。
おそらく、ここに参加されているかたの多くはわたくしもそうだったけれど、いわゆるサラリーマンで、その奥様はかなりの頻度で専業主婦なのではないかと思う。
そして、自分が朝、家を出た後、奥様がなにをしているかなど考えもしないのではないだろうか。
終戦直後に生まれたわたくしは、結婚についても、いまのかたには想像もできない常識のなかで育った。
いわく、女性の適齢期は25歳まで、それを越えたら行き遅れ。
例え婚約していても、式を挙げるまでは婚前交渉はご法度。結婚したら寿退社。
わたくしが医者として勤務をはじめた40年前でも、お嬢さんが妊娠してしまい、お腹が目立たないうちに結婚式をとあわてて式場探しに駆け回っているお父さんを何人かみた。
いまでは、新婦さんのお腹がいくら大きくても、誰も何も思わないであろう。
逆に、今、わたくしがみるのは、40歳を過ぎた女性が
「今度、結婚することになりました。しばらくは二人で生活を楽しんで、それから妊活しようと思います。」というような
「あなたたち、どうなっても知らないよ!」と言わざるをえないようなケースである。
わたくしが若いころ、専業主婦といったものになぜ何の疑問も抱かなかったのかといえば、東京の山の手で育って、自分のまわりに一人として仕事をしている女性がいなかったということがあるのだろうと思う。
そして、その頃の専業主婦は今とは違って家事自体が重労働で、「将来、自分が何になるか考える」などというたわけたことをいう余裕などもまったくなかったわけである。
フェミニスト陣営の人達は専業主婦を目の敵にし、女性の自立を呼び掛けてきたわけだが、上記の大阪の学生さんの反応を見れば、その敗北は明らかである。
小倉氏はいう。1985頃から「結婚と恋愛は別」という考えが日本の主流になってきた。
見合い結婚などというのはさもしくていやだ。
恋愛結婚のような「自然な出会い」にみえるような形で結婚したい。
そういう形でなければ無理してまで結婚することはない。幸福な結婚でなければ結婚などしないほうがいい……。
その結果が、40歳で結婚、しばらくは結婚生活を楽しむのは当然という人が増え、少子化は進む一方である。
家事労働が減って「世界でひとつだけの花」などと「自分探し」をしていたら、子育てなどという重労働をする気が失せるのは当然であろう。
橋本治さんが「青空人生相談所」(1987年 ちくま文庫)」で「子供のことを可愛がることができない、生活に絶望的な主婦からのご相談」にこんな返答をしている。
(あなたは)「世間には絶対に夫婦で育児を分け合ってやっていく幸福なカップルがいるんだ」と思っているのかもしれないが、そんなことが出来るのは暇持てあましている旦那だけなのに、ご主人の大変さ(夜遅くまで働き、家に帰れば、泣きじゃくる赤ン坊と、今の生活には耐えられないと血相を変えている女房がいる)には少しも思いをいたしたことがないだろう。
自分の子供を一度も嫌ったことのない母親なんている訳がない。赤ん坊というのは、子供というのは、それほど厄介なものなのだから、なりふり構わず、血相変えて赤ン坊を育てなさい!
(わたくしの同期の小児科の女医さんは、育児をしていた時期、何度、赤ン坊をマンションのベランダからつき落としてやろうと思ったかわからないといっていた。)
日本だけでなく、世界中で少子化は進んでいる。
一位イタリア、二位ドイツ、三位日本。旧枢軸国!
戦前から女性に母性と主婦性を強要してきた国である。
それへの反発が少子化を生んでいる。
戦前の日本は農業国であった。
農家に嫁ぐというのはその家の労働力となるということである。
そういう時代においてサラリーマンに嫁いで「専業主婦」になるというのは、たとえ今と比べてはるかに重労働であった家事をしなければならなかったとしても魅力的であったに違いない。
それがさらに高度成長で一変した。
テレビ、冷蔵庫、炊飯器、洗濯機・・・。
重労働から解放された女性の寿命はどんどんと延び、男性を越え、いまや日本は世界の最長寿国の一つである。
それに比べると男性の仕事の形態は変わっていないと思う。
たとえ、コンピュータが導入され、インターネットが普及し、IT化が進んでも、日本の労働生産性は低いままである。
とにかく自分の本来の仕事以外に、社内の人間関係にさく時間が膨大というのだから、当然であるような気もする。
谷沢永一さんに「人間通」という本がある(新潮選書 1995年)」。
そこには「組織と人」という項目もあり、「聞いていない」、「昇進」などという項がある。ひたすらいろいろな場での人間関係を論じている本である。
日本の会社の会議は何かを議論する場ではなく(最初から結論は決まっている?)、後から「俺は聞いていない」といってくる人を作らないために行なわれるのだそうである。
「人と人」という項目もある。
「嫉妬」「引き降ろし」などが論じられていて、「他人の昇進ほど妬ましいものはない」といったことが書かれている。
こんなに仕事の場での人間関係に気を使わなければいけないのであれば、日本の労働生産性が低いのは当然という気もする。
男社会が旧態依然であるのに対し、女性社会はどんどんと変わってきている。
それで「主婦」という言葉も最早死語になろうとしている。
しかし、それに代わる新たな呼び名はまだ生まれていないように思う。
OLというのはオフィス・レディの略なのだそうであるが、今の女性にとって、レディになれない結婚などする必要はないのだし、乳母のような人がいて、育ててくれるのでなければ、もはや子供などつくる必要もないのかもしれない。
では、男性は? マッツァリーノ氏の「サラリーマン生態100年史」(角川新書 2020年)では、社長さんの生態、「男の甲斐性」(要するにお妾さんや愛人の話)、宴会、出張といった話題を論じている。
そういう裏面史的な本だけれども、変わっていないなあ!と思う。
サラリーマンという言葉は大正時代に作られたのだという。
それが未だに通用しているのがそのなによりの証左かもしれない。
動物であるわれわれに、生物学的に与えられた課題は生き延びること、子孫を多く残すことである。
われわれは利己的な遺伝子の支配下にあるのだそうで(ドーキンス「利己的な遺伝子」 紀伊国屋書店 1991年 第二版 初版1980年版の邦題は「生物=生存機械論」)、自分が考えて自分の意志でやっていると思っていることも実は「利己的な遺伝子」の差金で、男がその甲斐性としてお妾さんや愛人を持ちたがるのもそれに由来するらしい。
ポルノを読むのはまず男だけである。
ではその代わりに女が読むのは? ハーレクイン・ロマンスなのだそうである。
どこからか王子様が・・。(サーモン&サイモンズ「女だけが楽しむ「ポルノ」の秘密」新潮社2004年)
しかし、現実には巨万の富を得て女を侍らせることも、素敵な王子様が来て自分を選んでくれることもまずないのだから、かつてはみな「そこそこ」で手を打っていた。
しかしついに女性が反乱を始め、王子様がこないのなら独りでいる。
あるいは疑似王子様王女様状態を作るには子供は邪魔であるということになって、少子化が進むことになった。
*
ところで、わたくしはベビー・ブームの一期生で、人口爆発というのが話題になり、人口がどんどん増えて人が陸地から押し出されて海に落ちるなどということが真面目に議論されている中で育った。
まさか、目の黒いうちに、少子化などということが論じられることがあろうなどとは思いもしなかった。
では、少子化を乗り越えて、再び日本の人口が増えだすことがあるのだろうか? 少なくとも託児施設の整備といった小手先のインフラ整備ではほとんど効果がないだろうことは明らかだと思う。
とは言っても、今読んでいる出口治明氏の「人生を面白くする本物の教養」(幻冬舎新書 2015)によれば、西欧先進国でも出生率が大きく回復した国があって、それがフランスなのだそうである。
そのための施策が(われわれ日本人から見ると)凄い。
1)赤ちゃんを産んでも困らないように子供が生まれる度に手厚い給付をする。
2)保育所を完備し、休職の最初の一年間の給与は100%保証する。
3)子育てで最長3年休職しても、その期間は勤務していたとみなし。元の役職に戻れる(人事評価も変化しない)。
フランスは子育て支援にGDPの実に3%を投資しているのだそうである。
しかし、同時にフランス文化も深くそのことに関係しているのではないかと思う。
フランス人は結婚せず、同棲のまま子供を産むケースも多く、それに対する偏見も少ないと聞いている。
しかし日本ではそういうケースは〈日本の理想とする家族のありかた〉に反するとされているので、政府がそれを支援することなどありえないであろう。
お役所が「女ごころ」を理解するなどということはありえないだろうから、日本の前途はきわめて多難であろうと思う。
とすれば、せいぜい優雅に滅びていくことができればそれでよしとしなければいけないのかもしれない。
ちなみに、わたくしは子供は3人いるが、孫は一人である。
わたくしが不思議に思うのは、男たちが(そして男がほとんどをしめる政治家たちも)高度成長期の栄光をいまだ忘れられず、日本がいまだ世界に冠たる先進国の一つとして存在しているという幻想をすてきれていないように見えることである。
1960~70年代、少なくない男たちがイデオロギーという観念の争いに血道をあげている間に、女たちは自分たちの生活の場を地道に改善してきた。
ここbooks&appsで多く提案されている仕事がうまくいくためのノウハウというのも、わたくしには多分に観念的なもので男の発想(ああすればこうなる)のように感じられる。
女性ならそんな理屈を考えずとも、もって生まれた感性で無意識のうちにも、うまく人間関係のゴタゴタに対応していけるのではないかと思う。(とはいっても、実際に現代日本の会社組織で昇進している女性は、現在のところは男性以上に男性的で、パワハラなど日常茶飯なのではないかという偏見を、わたくしは持っているのだが。)
兎に角、今の日本の会社というのも鎌倉時代からの一所懸命の伝統(土地というのはそれを耕すひとのもので、貴族などの名目上の所有者のものはない)を受け継いでいて、だから会社というのは株主のものでそこで働く会社員のものではないと言われると、きょとんとする。
男たちは会社という一所に命を懸ける。
しかし、女たちに会社に命を懸けるなどという健気なひとはまずいない。
日本の会社も政党も、男の論理で雁字搦めになっている。
女性の多くがそんな世界には関わりたくないと思うのも無理もないと思う。
女性には論理的には?どんどんと余裕ができてきているはずである。
実際には子育てするシングル・マザーといった過酷な例も多々あるのはいうまでもないが、それは仕事といっても男の論理で組み立てられた組織でjobとして働かざるをえないからで、日本が男社社会から少しでも解放されていけば、それだけで、ある程度は会社という組織とそこでの人間関係も変わることが期待できるのではないかと思う。
しかし、自分に任された仕事をいかに効率的にこなすかと同じくらい、同僚の妬み嫉みを回避するかにも気をつかわなければいけないとすれば、そういう場で働きたいと思う女性が増えることはなかなか期待できないのかも知れない。
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【著者プロフィール】
著者:jmiyaza
人生最大の体験が学園紛争に遭遇したことという団塊の世代の一員。
2001年刊の野口悠紀雄氏の「ホームページにオフィスを作る」にそそのかされてブログのようなものを始め、以後、細々と続いて今日にいたる。内容はその時々に自分が何を考えていたかの備忘が中心。
Photo by Dakota Corbin