貯蓄や投資ばかり意識するより、「若いときにお金をどう使うか」を考えたほうがいい
参考リンク:50歳以降の男性的な生き方に対する雑感(ICHIROYAのブログ2021/11/16)
そうか、ICHIROYAさん、古着屋、廃業してしまったのだなあ……そして、もう62歳になられたのか……
かなり長い間読んでいながら、最近はあまりブログを訪れる機会がなかったので、なんだか突然いろんなことが押し寄せてきたように感じました。
参考リンク:【読書感想】僕が18年勤めた会社を辞めた時、後悔した12のこと(琥珀色の戯言)
僕がこの本を読んでから、もう20年くらい経ったのか……あれ?経ってない。
これ、2015年に上梓された本だったのか……まだ6年前くらいだったんですね。
ということは、ICHIROYAさんは、50代半ば、起業してから10年以上経ってから、この本を書いておられたのです(すみません、年齢はあまり意識しておらず、僕より少し先輩、というくらいの感覚でした)。
この本、僕にとっては「身につまされる」内容であり、いまの「会社勤めをしている(あるいは、しようとしている)若い人たち」には、読んでみていただきたいのです。
新型コロナ以後の世の中がどうなっていくのかはわからないところもありますが、テレワークでも「人間関係」をつくってしまうのが現実ですし。
ちなみに、この本には続巻として、起業について詳しく書かれたものがあります。
参考リンク:【読書感想】僕が四十二歳で脱サラして、妻と始めた小さな起業の物語(琥珀色の戯言)
インターネットを長くやっていると、いろんなものの「はじまり」とともに「終わり」に接することも増えてきます。
ネット越しで、こちらからの一方的な「知り合い」が結婚したと思ったら、離婚報告を読むことになったり、子どもが生まれ、いつのまにか高校生になっていたり。
個人ブログで「誰か」の人生を、リアルタイムでそっと眺めていて、ふと気付くのです。
ああ、僕の人生も、誰かから、同じように見られているんだろうな、って。
それがいいとか悪いとかじゃなくて、僕は自分でそれを選び、記録することを続けながら、「もうちょっとなんとかならなかったのかなあ……」なんて溜息をついているのです。
僕は自分自身の人生すら、「俯瞰」してしまったのではないか、なんて考えることもあります。
でもまあ、こういう後悔めいたことを、誰かに読まれることを前提にして書く、ネタにしてしまう、という厚かましさもある。
参考リンク:50代の「偉くなれなかった人」は、何を考えて働き、生きているのか?(いつか電池がきれるまで)
冒頭のエントリを読みながら、僕は自分の10年後のことを考えていました。
原則的には定年がない仕事なので、おそらく働ける限りは働くと思うのですが(現実問題として、下の子どもはまだ小学校低学年ですしね。こんなことを言うと怒られそうだけれど、自分が年をとってからの子育てというのは、体力的にも経済的にもきつい面が多い)、まだ50歳にもなっていない僕も、「リタイアして趣味に生きる、というのは、そんなに楽しくないのでは」という予感はあるのです。
そもそも、今の僕は、老眼が進んできていて、細かい字を読むのがつらい。
具体的に言えば「パリ」と「バリ」を確認するために、眼鏡を外して本に目を近づけて、またかけ直さなければならなくなっています。
集中力も続かない。
読む前から「サッと読める本、大体内容の想像がつく本」を手にとる割合が増えました。
そうでありながら、「人生であと何冊読めるかわからないのに、もっと読むべき本はないのか?そもそも本を読んでいる場合か?」というような、謎の焦燥感がある。30年前は、『競馬ブック』が1冊あれば、1日過ごせていたのになあ……
テレビゲームも、RPGで街の中を移動するのがすでにかったるいのです。
いま、ニンテンドースイッチの『女神転生V』を少しずつやっているのですが、主人公が死ぬとセーブしたところからやりなおさなければならない、という仕様に何度も怒り狂っています。
中学生の頃、はじめて『ドラゴンクエスト(1)』をはじめてプレイしたときには「プレイヤーが死んだらお金が半分になるだけで王様のところから再スタート」に、「なんて激甘なシステムなんだ、やっぱりファミコンRPGはヌルいな」とパソコンゲーマーの優越感をぶつけていたのに!
いま、『Wizardry』の「いしのなかにいる」に直面したら、校舎の窓ガラスを訳もなく割りまくりそうです。
もともとスポーツは苦手なので、いまさら運動とかしようとも思わないのだけれど、最近は『Fit Boxing2』をなるべく毎日やっています。
このソフトの素晴らしいところは、誰にも見られずに運動できる、ということと、トレーナーが同じことを何度繰り返しても機嫌が悪くなることはなく、何日かサボっても顔色をうかがわなくてもいい、ということです。
コミュ障で運動したい(というか、したほうがいいと思っている)人にはオススメです。
相手がプログラムされたキャラクターなら、スポーツが得意な人の「なんでこんなこともできないんだ、という視線」を浴びずに済むのです。
ありがとうトレーナーのカレンさん。
リタイアしたら、昔のX1とかX68000とか、Apple2とかのマイコンゲームを集めて、日々「Attach」とかを探して暮らすつもりだったのだけれど、実際にやってみると、もう、ファミコンのゲームですら、「遊べても遊ばない」ですし。
真面目な話、僕の老後は、パチンコ屋で『海物語』の前でオカルト攻略法を発動しまくるか、ネットで「釣り師」にでもなるしかないのかもしれません。
「釣り師」も難しいよね。
ネットって、何年やっても、何が読まれるのかわからないところがある。
他者の人生を自分の価値観で判断するのは難しいし、そもそも、そんなことに意味はないのかもしれません。
僕などは、ICHIROYAさんには前述の2冊の単著があり、かなり読まれてもいて、起業をしてそれなりに成功もしたのだから、もう十分じゃないですか、と言いたくなってしまうんですよ。
でも、本人にとっては、そうじゃないんだなあ、って。
僕はスポーツ方面には向かないと思うのです(なるべく『Fit Boxing』は続けるつもりだけれど)。
これを読んでいて、鈴木智彦さんの『ヤクザときどきピアノ』という本を思い出したんですよね。
ああ、楽器はいいなあ、ピアノなら、昔、習っていたこともあるし。
僕の頭に浮かんできたのは、「どこかスイッチで、カレンさんがピアノを教えてくれるソフトを作ってくれないかなあ……」という考えだったのですが。
どこまで人間が嫌いなんだ自分。
でも、どこかで誰かが読んでくれることを期待して、これを書いてもいるわけで、つくづくめんどくさいなあ。
実際のところ、僕自身は、たぶん働けるかぎりは働くことになるでしょうし(長く働けることも、この仕事を選んだ理由のひとつではあるので)、冒頭のエントリには、「60代でリタイアなんて余裕がない人も多いんだよ!」という声も少なからず寄せられていました。
参考リンク:【読書感想】老後レス社会 死ぬまで働かないと生活できない時代
街中の工事現場でよく見かけるように、高齢者が警備員に占める割合は驚くほど高い。そしてその割合は年々、上昇し続けている。
警察庁が毎年発表する「警備業の概況」によると、2019年末時点で全国57万人の警備員のうち60歳以上は45%、増えているのは70歳以上で全体の15%を占め、7人に1人以上にあたる。
工事やイベントで道路使用許可を警察から得るためには、一定数の警備員配置が不可欠だ。申請する際には、道路規制図を添えて、警備員の配置を書き込む。安全が確保される人数が配置されないと許可が出ない。もし後から配置されていないのが見つかると、施工業者が処分される。
こうして生まれる雇用が「年金の足しに」などの理由で働く団塊世代の生活を支える構図が浮かぶ。
高齢警備員の取材を通して、人生の終盤にさしかかっても働き続けている人、いや、働かなくては生きていけない人が、いまの日本には大勢いるという現実が見えてきた。
厚生労働省によると、2019年度にハローワークで新たに登録した65歳以上の求職者は約59万人に上り、10年前(2009年度)の約32万人の1.9倍近くになった。また、労働政策研究・研修機構の調査(2015年発表)では、「60代が働いた最も主要な理由」は「経済上の理由」が最も多く、約58.8%を占めた。
経済的な停滞が続いている日本では、「身体が動く年齢が長くなった」一方で、「高齢者も年金だけでは生活が成り立たず、安い給料で働かなければ生きていけない時代になった」というのも現実なのです。
「高齢者にばかり金を使ってけしからん!」とネットではよく言われるのですが、その高齢者でさえ、こんな状況なんですよ。
実際は「働いて稼ぐことが生きがい」という面もあるのでしょうけど。
まだ若い人たちに伝えておきたいのは、「元気で釣りやゴルフ三昧の老後」なんて、そんなに長い間続くことはない、ということなのです。
僕は日頃、さまざまな状況の高齢者と接しています。
僕が子どもだった昭和の時代に比べると、いまの高齢者の見た目や体力は、10歳分くらいは若くなった、と感じます。
とはいえ、激しいスポーツができるのは、例外を除けば60代くらいまででしょうし、転んでしまえば骨折して歩けなくなるリスクもある。
そして、「年をとってもできる趣味」だと思われがちな読書だって字が見えづらくなり、集中力が続かなくなります。
映画館では頻尿で上映時間が長いとつらくなる。
テレビゲームも、最近のゲームにはついていけないけれど、昔のゲームも今やると面白くない。
美味しいものを美味しく食べるのも、歯が悪くなると難しくなります。
「老後の生活が苦しい」ことを不安視するあまり、「老後資金を稼ぐために、それまでの人生の楽しみをひたすら犠牲にする」必要はないと思うのです。
僕は子供の頃、「良い(偏差値の高い)学校に行くために塾に行って、学校では立派な仕事に就くために勉強し、若いときには仕事で成功し、老後苦労しないために努力し続ける」というのが正しいと教えられてきました。
でも、そうやって、未来のために、今を犠牲にして努力しつづけたら、その「恩恵」は、いつ受けられるのだろう?と疑問だったのです。
我慢ばかりしているうちに、突然死んでしまうかもしれないし。
いま、もうすぐ50歳、という年齢になってみると、結局のところ、仕事に限らず、若い頃、感性が豊かだった頃の思い出や経験、やっていたことが、自分の後半生を支えているのではないか、と感じます。
年を重ねると、新しいことって、できないんですよ、なかなか。
だから、若い人たちには(中高年にも)、「貯金や投資は大事だけれど、あまりストイックになりすぎずに『使えるお金はちゃんと使って、人生を楽しんでおいたようがいいよ』」と伝えたい。
「ただ、貯めればいい、増やせばいい」のではなくて、「うまく使いながら年を重ねる」ことを考えたほうがいい。
年寄りがお金がないのはみじめ、だと言う人は多いけれど、ちょっと立派な施設に入るよりも、楽しい記憶や趣味をたくさん持っているほうが、よほど幸せには近いのではなかろうか。
お金をたくさん持っている(らしい)人でも、身内がお金をめぐって争ってギクシャクしていることも多いし、昔から言われることですが「あの世には持っていけない」ものですしね。
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【著者プロフィール】
著者:fujipon
読書感想ブログ『琥珀色の戯言』、瞑想・迷走しつづけている雑記『いつか電池がきれるまで』を書きつづけている、「人生の折り返し点を過ぎたことにようやく気づいてしまった」ネット中毒の40代内科医です。
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Photo by lucas Favre