「意識をコンピュータに保存し永遠に生きることは可能か?」

 

この問いを投げかけられたら、あなたはどう答えるだろう。

わたしなら、「無理でしょ」と即答する。

 

いやだって、記憶や人格をすべてデータ化するなんて、さすがにドラえもんでもいなきゃ不可能だよ。だから、「無理」。

でもそうやって答えを出すのは、「考えてない」人の思考回路なのだと気がついた。

 

「意識を保存して永遠に生きられるか」に対する答えの衝撃

この問いはもともと、『Kannst du dein Bewusstsein auf einem Computer speichern und ewig leben?』というドイツ語の動画のタイトルを、わたしが訳したものだ。

このタイトルを見たとき、わたしは上記の理由で「無理でしょ」と思った。そして「無理」を前提にこの動画を開いてみたわけだが……

 

なんということだ!!

 

思わず「これ絶対記事にする! 読まれるかどうかわかんないけど書きたい!!」と即座にノートパソコンを起動するくらいテンションが上がった!

 

それはなぜか?

 

わたしはこういった分野に詳しくないので、ドイツ語→日本語訳に少し自信がないのだが、ざっくりいうと動画の内容はこんな感じだ。

・「意識」というものの定義はむずかしいが、3つの側面から考えることができる

・物理主義:意識は脳にあることを前提に、脳の仕組みを解明する

・スキャン:脳のはたらきをコピーして完全模倣する

・計算:寸分の狂いもなく、精神活動を計算して再現する

 

さらに動画では、どれだけの細胞が脳内でどれくらいの速度で活動しているか、脳を25000枚にスライスしてそれをデータ化するのにどれだけの時間と容量が必要になるのか、などにも言及。

 

「な、なるほどそういう考え方もあったのか……!」

わたしは目を見張った。

 

自分に問い直すことではじめて「考える」ことになる

わたしが衝撃を受けたのは、動画の内容そのものではない。

「ひとつの問いに対しいくつかの方法を提示し、それぞれが可能かどうかを検証したうえで答えを導く」という動画の構成に、だ。

 

「それがなに?」と思うかもしれないが、まぁ聞いてほしい。

あなたが記事の冒頭で、「意識をコンピュータに保存し永遠に生きることは可能か?」と問いかけられたとき、「この方法では無理だけど、別の方法なら可能かもしれない」だなんて、考えただろうか?

わたしみたいに、「〇〇じゃ無理だから不可能」と、安易に答えを出さなかったか?

 

わたしは、意識をデータ化して保存、コンピュータに移し替えるという方法だけしか考えていなかった。

でも動画で上げられているように、「計算式に起こしてコンピュータに計算させて再現する」という方法だってありうるわけで。

そんなの、考えてもみなかったよ!

 

自分がパッと思いつく範囲に答えがあることを前提に、「だからこうだ」と結論を出すのは、ちゃんと考えていない人の思考回路……ざっくりいえば脊髄反射である。

 

「考える人」であったのなら、「Aの方法じゃ無理だからそれは不可能だ」と考えたあと、「じゃあBの方法なら可能か?」「思い切ってCの方法はどうだ?」と、別の可能性を模索するはずだ。

 

自分の意見を出したうえで「ほかの視点ではどうか」と問い直して、より正解に近づくために試行錯誤する。

 

それこそが、「考える」ことなんだ。

それに気づき、わたしは衝撃を受けた。

 

ひとつの視点にとらわれないことで見えてくるもの

いままでわたしは、「考える」とは「自分の意見を持つこと」だと思っていた。

 

でも、そうじゃなかったのだ。

自分の意見をいうだけなら、考えずともできる。

他人の意見に乗っかってイエスマンしたり、「気に入らないから不可」と拒否したりすることだって、「自分の意見」として成立するからね。

 

でもそうじゃなくて、「こう思ったけどそうじゃないかもしれない」と、自分の意見を一度捨てて別の視点から可能性を模索することが、「考える」ってことなのだろう。

 

そんなことを思ったとき、ちょうどタイムリーな本と出会った。

『知的複眼思考法』というタイトルだ。

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複眼思考とは、複数の視点を自由に行き来することで、ひとつの視点にとらわれない相対化の思考法といってもいいでしょう。

先ほど紹介した動画でわたしが思ったのは、まさにこれ。

もっとかんたんにいえば、「自分の意見に固執せずちがう角度から検討すること」とでもいおうか。

それこそが、「考える」うえで大切なのだ。

 

「正解を探す」思考回路の落とし穴

しかしわたしたちは、柔軟に考えるべきだと頭ではわかっているのに、冒頭のわたしのように、「意識をデータ化するなんて無理だから不可能だ」と安易に答えを出してしまう。

 

それはきっと、「ただひとつの揺るがない答えがある」という前提で考えているからだ。

答えを知ることと、考えることとの違いをはっきりさせないまま、正しい答えさえ知っていればそれでいいんだという、「正解信仰」が根強くあるからでしょう。

この正解探しの発想の裏返しが、「勉強不足症候群」とでも呼べるケースです。議論をしていてわからないことがあると、「よく勉強していないのでわかりません」と弁解する学生がいます。

自分でわからないことにぶつかると、勉強不足・知識不足だと感じてしまうのです。(……)

「知らないから、わからない」という勉強不足症候群の症状は、正解がどこかに書かれているのを見つければ、それでわかったことになるという正解信仰の裏返しです。そして、この正解信仰を突き詰めてしまうと、「唯一の正解」を求める、かたくなで原理主義的な態度にもつながってしまいます。(……)

そうした正解を求める態度は、複眼思考とは対極にある考えかたといってもよいでしょう。

出典:『知的複眼思考』

「唯一絶対の正解がある」という前提であれば、自分のなかで答えが出た時点で、「それこそが正しい」と思い込んでしまう。

すると、それに固執するし、他人の意見も聞き入れられなくなってしまう。

 

ましてや、「ほかの答えもあるんじゃないか」と検討するなんて、するわけがない。

これこそが、わたしもとらわれていた、「考える」ことを邪魔する固定概念なのだ。

 

あいまいなことばを排除すると考えの精度が上がる

では「唯一の正解がある」と思い込んでいる人が、「自分の考えにとらわれずちがう可能性を模索する」ためには、どういう「考え方」をすればいいのだろう。

 

『知的複眼思考』ではいくつかの例が挙げられているが、そのなかでも一番納得感があったのが、「禁止語」という方法だ。

議論するとき、わたしたちは抽象的な概念を、わかった気になって使ってしまうことが多い。

たとえば、「偏差値教育」「地域開発」「人権」「報道の自由」などなど。

 

そういったことばを禁止して別のことばに置き換えて考えてみよう、というのが、「禁止語」ルールだ。

「意識をコンピュータに保存し永遠に生きることは可能か?」という問いであれば、「意識」を別のことばに言い換えてみる。

たとえば、「記憶」「性格」「性質」「思考回路」と。

 

そうやって解釈を変えてみると、問いに対する答えもしぜんと変わってくる。

「記憶をコンピュータに保存する」のであれば、極論、いままで見聞きしたものをすべて録音・録画すれば、ある程度可能かもしれない。

 

一方で、「性格をコンピュータに保存する」となると、また話は別だ。

性格を「感情の動き方」と捉えるのか、「趣味嗜好」と定義するのか……。

 

感情の動き方であれば、頭にコードをつけていろんなパターンで脳派?かなんかを読み込めば、多少は再現可能かもしれない。

でも趣味嗜好となると……うーん、どうだろう?

 

最初は「意識をデータ化するのは無理だから不可能」と断言したわたしだけど、「意識」ということばを禁止語にするだけで、「この場合こうで、こっちの場合はもしかしたら……」と、いくつもの可能性を見出すことができる。

あいまいなことばをいろんな定義・解釈でとらえてみるだけで、ちゃんと「考えられる」ようになるのだ。

 

いろんな角度から問い直すことで「考え」は深まる

おもしろいことに、まったく別の本で、似たような趣旨の記述を見つけた。

『AI時代に生きる数学力の鍛え方』という本だ。

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多くの学生に質問してきて悟ったことのひとつに、出発点としての用語の定義や意味を尋ねたときの反応によって、しばしば学生の論述力を窺い知ることができる、ということがある。論述力の弱い学生は、あまり定義の意味を確認しないで、そのことばの持つ”雰囲気”だけで議論する傾向があるようだ。

「なにについて考えるのか」をハッキリさせずに答えを出そうとする姿勢では、どうしても考えが弱くなってしまう。

明らかにすべき問いの意味をちゃんと把握できていないのだから、そりゃ答えもふわっとするよね。

でもこれ、日常的にやっちゃうんだよなぁ。

 

「意識をコンピュータに保存し永遠に生きることは可能か?」と聞かれたとき、まず最初に「意識とはなにか」なんて、定義しようとしなかったもの。

「意識」というあいまいなことばを理解した気になって、「それは無理だ」なんて言ってしまった。

 

そういう「雰囲気だけの議論」をしないように、目の前の問いを理解することからはじめるのが大切なのだ。

そこがあいまいだと、いくら考えたって、考えた気になるだけだから。

 

これは哲学的な話ではなくて、人間関係や仕事、家庭などどのケースでもいえると思う。

「苦手な上司との関係性をよくする」といっても、二人きりで気まずくない程度にするのかサシ飲みに行く程度を目指すのかでは、まったくちがう。

「売上を上げる」といっても、リピーターを増やすのか客単価を上げるのかでは、話が変わる。

「家事を分担する」といっても、洗濯やごみ捨てを担当制にするのと名もなき家事を積極的にするのでは、意味が異なる。

 

ほかにも、たとえば「あの人は自分と意見がちがうからまちがっている」と否定する前に、「なぜあの人はそう考えたんだろう」「自分とはちがう立場で話しているんじゃないか」と想像してみれば、お互い理解しあえるかもしれない。

 

まずは、わかった気になっている目の前のテーマを、ちゃんと定義すること。

それによって答えを導き、しかし一旦わきに置いて「ちがう角度からはどう見えるか」を自分に問い直すこと。

 

それが「考える」ということであり、それによって議論が成り立ったり、相手の言いたいことを理解したり、自分の意見を論理的に組み立てたりができるようになるのだと思う。

 

 

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安達 裕哉(あだち・ゆうや)
ティネクト株式会社 代表取締役/ワークワンダース株式会社 代表取締役CEO
Deloitteにてコンサルティング業務に従事後、監査法人トーマツの中小企業向けコンサル部門立ち上げに参画。大阪・東京支社長を経て、2013年にティネクト株式会社を設立。
ビジネスメディア「Books&Apps」運営。2023年には生成AIコンサルティングの「ワークワンダース株式会社」も設立。
著書『頭のいい人が話す前に考えていること』(ダイヤモンド社)は累計82万部突破。2023年・2024年と2年連続で“日本一売れたビジネス書”に(トーハン/日販調べ)。
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(2025/6/2更新)

 

 

 

【著者プロフィール】

名前:雨宮紫苑

91年生まれ、ドイツ在住のフリーライター。小説執筆&写真撮影もやってます。

ハロプロとアニメが好きだけど、オタクっぽい呟きをするとフォロワーが減るのが最近の悩みです。

著書:『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』(新潮新書)

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ブログ:『雨宮の迷走ニュース』

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Photo by Kenny Eliason