自己啓発のセミナーや本でよく目にする言葉に、「率先垂範」というものがある。

リーダーであれば、何事も部下の先頭に立って模範を示しましょう、という意味の教えだ。

 

京セラの創業者で、日本を代表する経営者・稲盛和夫氏もその重要性を繰り返し説いているので、座右の銘にしているビジネスリーダーも多いだろう。

太平洋戦争で連合艦隊司令長官を務めた山本五十六も、

「やってみせ 言って聞かせてさせてみせ ほめてやらねば人は動かじ」

と詠んで率先垂範の重要性を説き、大軍勢を率いる基本として大事にしている。

 

しかし私はこの言葉ほど、誤解とともに広まり、時に害悪にもなっている教えはないと思っている。

そして実は、その誤解が日本のリーダーたちを劣化させている原因の一つではないかとすら考えている。

それはどういうことか。

 

「私が指揮官でも同じ判断を下しました」

話は変わるが、私が親交を頂いている知人に、航空自衛隊で空将を務めていた方がいる。

既に定年退官されて悠々自適の生活を送っているが、現役時代はパイロットとして活躍し、将官に昇ってからは大部隊の指揮官などを歴任したキャリアの持ち主だ。

きれいに伸びた背筋、衰えない眼力は何歳になっても変わらず、お会いするたびに心地よい緊張感を頂いている。

 

元空将と初めてお会いした時のことは、今もよく覚えている。

共通の友人の紹介で、防衛省からほど近い居酒屋で飲み会をさせて頂くことになった時のことだ。

当時、国の中枢で要職にあった幹部だったので、どれほどのイカツい人が厳かに登場するのかと身構えながらお待ちする。

すると人懐っこい満面の笑顔で、額にあふれる汗を大きなハンカチで拭きながらバタバタと登場されたので、私は完全に拍子抜けしてしまった。

 

お酒も進み、空将からはいろいろな話を聞かせて頂いた。

ご家族のこと、任務のこと、パイロットを目指した理由、人に言えないような失敗などなど。

まるで旧知の友人のような、こうして一緒にお酒を頂いている時間が当然であるかのような空気の作り方の巧みさに、私はすっかり惹き込まれていた。

 

そんな中で、一緒に飲んでいた友人がふと、空将にこんな質問をした。

「ところで空将。私、3月の情報漏洩の問題では、航空自衛隊の対応に疑問があるんです」

いくら酒が進んでいる中でも、この質問はちょっと質が悪いだろう…。

冷や汗をかきながら空将に目を向けると、空将はジョッキをテーブルに置いてこう返した。

 

「申し訳ありません。あの件ではもしかしたら、私が指揮官であっても同じ判断を下した気がするんです」

そして友人の拙い批判に真剣に耳を傾け、否定せず、自分の考えを真摯に回答する。

友人の意見は正直、聞くに値しない程度のものだったが、軽くあしらうようなことはしない。

しかし私は、一連のやり取りを横から見ていて、一つのことを思い出し、背筋が寒くなるのを感じていた。

 

実は空将は、元々は情報系の幹部であった。

若い頃は文字通り世界を飛び回り、軍事・政治に関する情報収集の任務にあたっていた人だ。

現在の自衛隊では少し役割は違うが、世が世なら「スパイ」の任務を担うこともある立場である。

 

「これが本職の、情報幹部の空気の作り方か・・・」

そう思うと、もしかしてこの楽しい時間も全て演出であり、“任務”としてこの場にいるのだろうか。

そんな想いがして目の奥を覗くように空将の感情を探ろうとしたが、裏表を一切読み取ることなどできない。

それどころか、本当に「自然体で真っ直ぐな人」であるとしか思えず、私はその一日で空将の心からの大ファンになってしまった。

そしてその日の飲み会は、楽しい時間のまま気持ちよくお開きになった。

 

しかし後日、別の幹部の方から聞いて驚いたことがある。

実はその空将は若い頃、とんでもなく怖い上司として、誰からも恐れられていたそうだ。

今からは想像もつかないほど、そばに人を寄せ付けなかったそうである。

 

同様の話は、実は陸上自衛隊でも聞いたことがあった。

数万人を率いる部隊のトップを務めたある陸将は現役時代のことを振り返り、こんなことを聞かせてくれたことがある。

「桃野さん、私は部下に対して方針は示しますが、仕事の基準を示したことはありません。統制をしたこともありません」

「統制をしない・・・ですか?陸将たる大部隊の指揮官がですか?」

「そうです。方針は徹底しますが、やり方は考えさせます。そうしないと、部隊が強くならないんです」

「・・・なるほど」

 

この陸将もやはり若い頃、相当に怖い幹部として部内で恐れられていたそうだ。

仕事は誰よりも早く、何事も結果を出す。

その分、部下に対しても厳しく接していたようだが、私がお会いした将官の時代には、もはやそんな空気感は一切無くなっていた。

むしろ誰に対しても距離を感じさせず、いつもニコニコしているような人だった。

 

そして今になって私には、このお二人の元空将と元陸将、ともに大部隊を率いた大いなるリーダーの共通点から気がついたことがある。

 

「率先垂範」とは、手足を動かすことではない

話は冒頭の、「率先垂範が日本のリーダーを劣化させた」という話についてだ。

なぜ、何事も部下に対して模範を示すことに、疑問を呈しているのか。

恐らく、日本のリーダーの多くがこの言葉を、

「最初に自分が、手足を動かして実演して見せること」

と、勘違いをしているのではないだろうか。

例えば部下に対して「毎月30件の新規受注を達成すること」と指示した場合、まず自分が「できることを証明する」ことだと、理解しているということだ。

 

しかしそれは、例えば1+1が解けないと泣いている子どもの解答欄に「2」と書き込んで見せるようなもので、何の意味もない。

そんな仕事ぶりで部下の“尊敬”を勝ち取れるのはせいぜい20代までであり、マネジメント可能な範囲も30人程度までだろう。

いうまでもなく、このような「率先垂範」は部下の能力を引き出す上で、ほとんど意味を持たない。

できる人間が、できないと困っている部下に実演してみせて「この通りにやれ」と迫っても、ただのパワハラでしかないからだ。

では、この言葉の本当の意味とは何か。

 

それは、課長であれば「課長のしごと」の範を示し、社長であれば「社長のしごと」の範を示すことである。

リーダーにとってもっとも大事な仕事とは、「自分の後継者を育てること」なのだから、当然ではないか。

1+1が解けないと泣いている子どもには足し算の概念をわかりやすく説明し、自分で解く力を育もうとするだろう。

そうやって「親のしごと」を果たし、自分の親がそうしてくれたように「役割のバトン」を受け渡していく。

 

にも関わらず多くのリーダーたちは「率先垂範」を、「社長が部長のしごとをやってみせること」だと勘違いしている。

そんなことではいつまでも、社長自身が部長レベルであり、社長になりきれない。

当然、そんなマネジメントを受ける部長もまた部長になりきれず組織はどんどんと弱くなっていく。

 

実は冒頭でご紹介した、

「やってみせ 言って聞かせてさせてみせ ほめてやらねば人は動かじ」

には続きがある。以下のようなものだ。

 

「話し合い 耳を傾け承認し 任せてやらねば人は育たず」

「やっている 姿を感謝で見守って 信頼せねば人は実らず」

 

だいぶ印象が変わるのではないだろうか。

“腕力”で部下をマネジメントするレベルから、大部隊を率いて万単位の軍勢を統率する将帥の心得までを網羅している。

「率先垂範」とは、そこまでを含んで理解すべき考え方ということだ。

 

恐らく元空将・元陸将の2人も若い頃は、自分自身の優秀さと能力で、いくらでも仕事を消化できたのだろう。

しかし階級を上げ、100人、1000人と預かる部隊が大きくなると、そんな事できるわけがないことに気がつく。

 

そして部下を使い、その下にいる部下を間接マネジメントすることが求められるようになると、

「話し合い 耳を傾け承認し 任せてやらねば人は育たず」

を悟った。

 

さらに大きな部隊を預かるようになると

「やっている 姿を感謝で見守って 信頼せねば人は実らず」

と、スタイルを変えていったのだろう。私がお二人と出会ったのはこの頃だった。

大部隊を率いるトップに必要な「率先垂範」を示す、親しみやすいのに威厳がある不思議な魅力を持ったリーダーであった。

 

会社とは、社長の器以上に大きくならないというのは、本当に正しい。

会社が零細企業であるのは、社長が零細企業のトップらしい率先垂範をしている結果にすぎないからだ。

「やってみせ 言って聞かせてさせてみせ」である。

 

自分自身はリーダーとして、どのレベルの率先垂範を示しているのか。

そしてそれは、自分自身の目指している目的地から考えて正しいのか。

一度、自分自身のスタイルを再チェックしてみては、いかがだろうか。

 

 

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(2024/3/26更新)

 

 

【プロフィール】

桃野泰徳
大学卒業後、大和證券に勤務。中堅メーカーなどでCFOを歴任し独立。

私はいい年をしたオッサンになってもエビフライが大好きです。
だからこそ、「エビのすり身入り衣揚げ」のようなスーパーの惣菜が許せないんです。
ルンルン気分で一口めを口に入れた時の絶望と怒りを、甘く見すぎてるのではないでしょうか。
人の期待を裏切るような商売を許すリーダーは、理屈抜きで人間失格です(怒)

twitter@momono_tinect

fecebook桃野泰徳

Photo by Roger Chapman