ちょっと前に徳島からスタンフォード大学に合格した松本杏奈さんに関連してインターネット上で騒ぎが起きていた。

いわゆる徳島スタンフォード事件である。

<参考 田舎からスタンフォード大学に合格した私が身につけた 夢をつかむ力>

事の問題は事実の誤認識にあるという。

 

松本 杏奈さん曰く、自分は「味方無し」「お金無し」「英語力無し」と困難な環境にあったにも関わらず、めげずにコツコツと努力を積み重ねた結果、自分はスタンフォード大学合格という偉大な業績を叩き出せた。

 

つまり自分は努力の人であるというわけだ。

 

これに対してインターネット上では「進学校に在籍していて、裕福な家庭に産まれ育った人間が、その恵まれているという事実を無視して偉そうな事をのたまうな。」という批判が殺到した。

 

このインターネット上の主張をまとめると

 

「お前が努力だと思っているものは、努力でもなんでもない」

「単に恵まれた人間の自己賛美に過ぎない」

「自分が恵まれた人間だという事をちゃんとわきまえてからモノを言え」

 

といったところだろう。

 

恵まれた環境にいるから成功は当然?

「勝ち組の努力は努力でもなんでもない。単に生育環境が良かっただけ」

 

この手のミームは少し前からインターネット上では常識となりつつある。

有名なところだと例えば東京大学に入学する親の世帯年収は60%が950万円を超えるというものがある。

東大に合格する親の平均年収は? 子どもの偏差値と親の職業の関係 | ファイナンシャルフィールド

 

この事をもって「努力すれば誰にでもチャンスがあるだなんていうのは幻。現実的には勝負は最初から決まっている」という主張がなされるようになった。

この主張にある程度の整合性があるというのは事実だろう。

実際、自分もかつてならこのロジックで徳島スタンフォードの人を批判していたように思う。

 

だが最近になって、果たして本当に人は恵まれているからといって、そんな簡単に努力できるのだろうか?と思うようになった。

 

恵まれていたって、成長は痛い

恵まれた人間は努力できる。

 

このロジックを強く信望する人間は多い。例えばだけど、昨今流行りのジャンルに異世界転生系というものがある。

このジャンルは小説家になろうというサイトで発展したものだ。

 

有名なところだとRe:ゼロから始める異世界生活や無職転生 〜異世界行ったら本気だす〜などがある。

これらの多くは現実世界で非業の死を遂げた人間が異世界へと転生し、チート能力を用いて第二の人生を無双するというものだ。

 

初期設定がメチャクチャに良ければ人生が物凄く上手くいくという、現代人の心の願望をそのまま反映しているかのようなこれらの作品だけど、皆があまり着目できていない点が一つある。

それは登場人物が文字通り、死ぬような目にあって辛酸を嘗めまくっているという事だ。

 

努力はただひたすらに辛い

もちろん、これらはフィクションだから主人公が悲惨な目にあっているというのはあるだろう。

その方が感情移入し、大きな困難を乗り越えた際にカタルシスを味わう事ができる。

 

単位エンターテイメントとして必要な演出をしている事に他ならない。そう指摘する人もいるだろう。

ただ自分は、この演出に人が強く共感し心動かされるのは、そこに一定の真理があるからのように思う。

 

ハッキリいうが努力は辛い。それこそ人によっては死ぬ悶えるほどに。

 

英会話もダイエットもみんなできない。やればできるはずなんだけど…

例えば英会話やダイエット。ハッキリいって、これらは日本人であれば、ほぼどこの誰でも達成可能なモノでしかない。

 

達成方法だって至ってシンプルである。

英語もダイエットも既に十分すぎるほどに情報は整備されている。

その整備された情報を用いずとも、人間に備わった機能を用いれば100%誰にでも達成可能なものである。

少なくとも特殊な才能は一つもいらない。

 

それでも日本人でこれらをやり遂げられる人間というのはそう多くはない。

圧倒的に恵まれた環境に”いた”としても、多くの人がそれらを成し遂げられない理由は実にシンプルだ。

 

”シンドくても、やり続ける”

”成功するまで、死に悶える苦しみがあっても、やり抜く”

 

このたった1つの行為をやれる人間がほとんどいないからである。

才能があって、努力する環境が整備されていて、時間があったとしても、多くの人間はこれができない。

 

恵まれていても、努力は全然ラクではない

僕が思うにだが、冒頭にあげた「勝ち組の努力は努力でもなんでもない。単に生育環境が良かっただけ」という主張をしている人達は、ひょっとして「生育環境がよかったら努力が苦しくない」という風に誤認しているのではないかと思う。

 

もちろん、世の中には特に苦労する事なく実績をキチンと出すタイプの人間も中にはいるだろう。

だが、そういう人間でも全てが万事楽勝だというわけではない。

勉強ができるからといって、恋愛も余裕でクリアできるというわけではないという事と同じだ。

 

実績をキチンと出している人間の多くはどこかで必ずシンドい思いをしている。

逆に言えば、恵まれた環境にあっても、このシンドいができないから落語者となってしまう人は、皆が思っている以上に多い。

 

例えば東京で昨今流行りの中学受験では、高学歴カップルの元に産まれたサラブレッド達がSAPIX等の大手塾に入り骨肉の争いをやっているのだが、同じような生育ならびに遺伝環境を与えられた人間がみな成功できるほどには現実は甘くはない。

 

多くの恵まれた子供たちは、ここで努力のシンドさを乗り越えられない。

どうやって努力すればいいのかの糸口すらつかめないまま、ただひたすらに成績が低空飛行し続け、両親にガミガミと怒られて心をポキンと折られる。

 

この心がポキンと折れた人間に対して「恵まれてるくせに御三家も入れないの?環境も整備されてて、遺伝子もいいのに」とのたまえる人間はさすがにいないだろう。

 

しかし徳島からスタンフォード大学に入学すると、その逆を平気で言えてしまうのだから、人間というのは実に面白いものである。

 

努力が軌道に乗るまで、長い距離がある

努力をキチンと軌道に乗せるのは非常に難しい。

みんな知っての通り、頑張ったらすぐに成果がでるだなんてのは幻だ。

 

英単語を1万語おぼえるのは超大変だけど、それをやったからといってペラペラになれるわけではない。

厳しい食事制限をして、毎日激しい運動や筋トレをしたからといって、即座にスリムになれるわけではない。

 

これらは困難な目標を達成するにあたって避けては通れない苦労ではあるが、それが実際に成果に結びつくまでには何万キロもの距離がある。

 

この苦境をどう乗り越えるか。

それが現代における最大の成功哲学だ。

最後に、そのヒントになるかもしれない話を紹介しよう。

 

自分の中に、何かがあると信じる

ランニング王国エチオピアの事を書いたランニング王国を生きるという本がある。

<参考 ランニング王国を生きる>

この本はエジンバラ大学の文化人類学の准教授である著者マイケル・クローリーがランニング王国エチオピアでランナーとして生活し、なぜエチオピアが優秀なマラソンランナーを多数輩出するのかを探っていくものだ。

 

マラソン界において、ケニアやエチオピアといったアフリカ出身者の優秀さは突出している。

東京オリンピックで優勝したエリウド・キプチョゲ氏を始めとして、これらの地からは42キロを2時間5分以内で走り抜けるランナーが何十人もいる。

参考までに日本人でそれができる人間はたった1人だけだ。

 

このアフリカ勢の圧倒的な業績に対しては様々な分析がなされている。

走るのに理想的な生育環境や人種的に人体構造的にランニングのに向いているといった”恵まれた環境と肉体”から、アフリカ勢の圧勝を語る人も多い。

 

だが、実際にエチオピアにて生活した著者は成功がそんな甘いものではないという。

ランナーとして成功する人間は、それこそ全てを捨ててランニングに打ち込んでおり、失敗すれば全てを失う覚悟でやっているというのである。その事を象徴するのが下のシーンだ。

 

「仮にランナーとしてうまくいかなかったとしても、人生が台無しになるわけじゃない だろう。 だって、 彼はいつでも農家に戻れるんだから」

 

筆者がこう問いかけたところ、ブノワというエチオピア人はかぶりを振ってこう答える。

 

「ちがうね。二五歳の負け犬が、どうやって妻を見つけるんだ?」

「ランナーは己の中に何かがあると信じて走っている」

「だから失敗すれば、失うものはとてつもなく大きいんだ」

 

これがランナーとして生きるという事の現実なのだ。

 

己の中に背水の陣を敷く

成功できるかどうかは、やってみなければ誰にもわからない。

己の中に確かな才能があると強く信じて、毎日厳しい努力を己に課してやり抜く。

 

そうして己の中に”何かがある”と強く信じて頑張り抜いた人間が、実際に自分の中には”何もなかった”と痛感させられて、それを甘んじて受け入れられるほどには人は強くない。

努力するという事は、何も勝つという事が確約された八百長レースを走るという事ではない。

勝つかどうか全くわからないまま、ただひたすらに厳しいルートを突き進むのが努力するという事の実情だ。

 

結果、勝てば全てが報われる。だが、負けたら全てを失う。

努力するという事はそういう覚悟を持って何かを”やる”という事だ。

 

大なり小なり今までの人生で何かを成し遂げた人なら、この自意識を持ったことがあるはずだ。

冒頭の徳島スタンフォードの方も、恐らくなのだけど己の中にそういう背水の陣を敷いて戦っていたのだろうと僕は思う。

 

客観的にみれば、彼女は仮にスタンフォード大学に合格できなかったとしても、それなりの道は歩めたであろう恵まれた人間にみえるかもしれない。

けど、本人の自意識の上では多分なんだけど本当に命がけで頑張ったのだろうと思う。

それこそ負け犬として、もう二度と楽な人生は歩めないという覚悟でもって走り始めたエチオピア人ランナーのように。

 

失敗したら全てが無駄になり、負け犬として二度と這い上がれないという覚悟をもってやる。

結局のところ、本当の意味で努力するという事はそういう事なのだ。

 

どんなに恵まれた立場にいようがどんなに才能があろうが、努力が簡単に形にならないのは誰でも同じだ。

日々のコツコツが辛く厳しいという事に何も変わりはないし、失敗してたら落語者だったという綱渡りをやり遂げたという事には何も変わりはない。

だから僕は何かを成し遂げた人にはシンプルにこう言ってあげたい。

 

「よく己を信じて、最後まで頑張り抜けたね」と。どんな環境にいようが、それだけは確かな事実なのだから。

 

 

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(文責-ティネクト株式会社 取締役 倉増京平)

 

 

 

【著者プロフィール】

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高須賀

都内で勤務医としてまったり生活中。

趣味はおいしいレストラン開拓とワインと読書です。

twitter:takasuka_toki ブログ→ 珈琲をゴクゴク呑むように

noteで食事に関するコラム執筆と人生相談もやってます

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