先日当サイトで、『なぜ「結論から話す」が、なかなかできないのか、観察したら、理由が分かった。』という記事が公開され、5万回以上読まれていた。
記事内で結論から話せない理由として挙げられているのは、「言い訳したいから」「急かされるから(話がまとまっていないから)」「習慣づいていないから」の3つだ。
たしかに、どれも「結論から話せない理由」として妥当なものだと思う。
でも現在ドイツに住み、ドイツ語で日常会話しているわたしが思うのは、「そもそも日本語は結論から話すのに向いていないんじゃ?」ということだ。
日本語の仕組みでは「結論は最後」にくる
日本語という言語は、ざっくりいえば「主語→いろんな説明→述語」という順番で成り立っている。
「わたしは」という主語があり、「学校に」という説明が入り、「行きました」という述語で締める。これが基本だ。
一方英語やドイツ語は、「主語→述語→その他」という順番である。
わかりやすく英語で例えると、「I went to school(わたしは→行った→学校に)」だ。
例外はいくらでもあるが、「クラブ活動のために」「歩いて5分の」などの説明をしたければ、schoolのあとに付け加える。
「for……」とか「school, where……」とか。
単体の文章だけでなく、会話の流れも、それと同じだ。
たとえば日本語なら、「やることが多すぎて返事が遅れました、すみません」だけど、ドイツ語なら「すみません、返事が遅れました、やることが多すぎて」という順番で話す。
つまりそもそも論として、日本語というハードウェアには、「結論を最初にいう」というソフトが搭載されていないのだ。
むしろ、「結論を最後にいう」が初期機能。
だから、日本語で考え、日本語で会話する以上、結論から話すのが苦手(習慣づいていない)なのは、当たり前なのだ。
日本語ハードで、本来はバグるはずの「結論から話す」ソフトを起動できる人が、すごいだけ。
冒頭に紹介した記事内には、「『結論から言う』のは、人間の生来の思考パターンとは異なる」と書かれていたけれど、それはたぶん、「日本語のパターンと異なる」ということだと思う。
英語やドイツ語なら、「結論から言う」が標準機能だからね。
結論を最初に言うドイツ人が人の話を遮る理由
では、ドイツ語のような、「結論から言う」コミュニケーションとはどのようなものなのか。
端的にいうと、「だれも話を聞かねーし全然だまらねぇ」。
いや本当ね、ドイツに来てびっくりしたよ。
だーれも最後まで話を聞かないから。
最初の結論だけ聞いたら、あとはおかまいなしに割り込んで、「いやそれはちがう」だの「俺のときはこうだった」だの、好き勝手話しはじめるわけ。
ドイツに来たばかりのころ、3時間バーで黙り込んでいるわたしに、「話すの早い? ゆっくり話そうか?」と声をかけてくれた人もいたけど、そうじゃないんだよ。あんたらがずっと矢継ぎ早に話すから、口を開くタイミングがなかったんだ。
日本語ハードウェアの思考回路だったわたしにとって、四方八方から話が飛んでくる空間は、かなり居心地が悪かった。
なにを話しても、途中で遮られるんだよ。で、気づいたら相手が話の中心になってるんだから、話す気もなくなるよね。
でも「そういうもの」だと受け入れてからは、考え方が大きく変わった。
すぐ口をはさんでああだこうだ言われて最初はムカついたけど、口出しは「あなたのことをわかろうとしているよ」という意思表示だと気づいたからだ。
聞き手が話をさえぎって「それはちがう」「そんなデータ聞いたことない」と相手の話にコメントすることで、話し手も「いやそうじゃなくて」「実は」と、話をさらに広げる。
会話のボールを投げあうことで、認識をすり合わせていく。
その前提があるから、「まず結論から話す」「その後はお互い言いたいことを言って意思疎通する」が成り立つのだ。
「人の話を最後まで聞きなさい」ではなく、「自分の意見をはっきり言いなさい」。
この思考回路こそが「結論から言う」ソフトに必須であり、「まず話を聞こう」とする日本語ハードウェアのわたしたちとはちがう部分なのだ。
日本語は共感ベースの「聞く」重視、ドイツ語は納得ベースの「話す」重視
わかりやすくいえば、日本語は共感ベースで、ドイツ語は納得ベースなんだと思う。
日本語では、「こういう事情で、これがこうなって、だからこうだ」という順番で話を組み立てるから、最後まで「聞く」ことが前提。
最終的に、相手が「うんうんなるほどね」と共感すれば、「伝わった」ことになる。
一方ドイツ語では、「これはこうだ。だってこういう事情でこうなったから」という流れで話す。
相手が「どういうことだ」「そうは思わない」と口を挟み、反論されたら「データを見ればわかるけど」「そうじゃなくて」とさらに言葉を返し、「話す」ことで補足していく。
最終的に、相手が「ははぁなるほどな」と納得すれば、「伝わった」ことになる。
要は、共感ベースでは「聞く」ことが大事で、納得ベースでは「話す」ことが大事、ということだ。
そして「結論から話す」は、共感ベースより、納得ベースのほうが親和性が高い。
共感ベースでは最後まで話を聞くのが前提だから、結論が先でも後でもどのみち変わらない。
だったら、過程を共有してから結論を出したほうが、うまく意思疎通できる。
たとえば「結論から言うと、契約は失敗しました」なんて言ったら、なんだか開き直ってるように聞こえないだろうか。
その時点で「なんだそれは!」って怒られたら最悪だし、説明しても「言い訳するな!」って言われたら……とか思っちゃわない?
過程を共有しないと、「相手はどう思うだろう」「こういう言い方は傷つくかな」なんて考えちゃうんだよね、日本語ハードウェアだと。
でも納得ベースなら、まず結論を伝えて、相手が納得するまで後から情報を補足していけばいいから、「相手がどう受け取るか」は心配しなくていい。納得いかなければ、どうせ向こうがアレコレ言ってくるから。
たとえば「契約は失敗しました」って言ったら、「どういうことだ」と言われる。
で、「実はこれがこうで」「それはおかしいだろう」「仕方なかったんです、というのも……」「なぜこうしなかった」「いやだから」「それはおかしい」「そうじゃなくて」のように、相手がどんどん口を挟んで説明を求めてくる。
で、こっちもそれに反論する。
その後の議論もセットで、「結論から話す」が成り立っているのだ。
話を最後までじっと聞いて、最終的に「同意」を求める日本語ハードウェアとは、そもそもそこがちがう。
だからわたしは、共感ベースである日本語は、「結論から話すのに向いていない」と思うのだ。
日本語と相性がいいのは「結論から話す」より「最後まで聞く」
もちろん、日本語というハードウェアで、「結論から話す」というソフトを起動できる人もいる。
訓練することで、結論から話せるようにもなるだろう。
でも日本語ハードと相性の悪い「結論から話す」ソフトをインストールするより、日本語ハードの強みをいかせるソフトを動かすほうが、汎用性が高いんじゃないか?と思う。
日本語ハードが「聞く」ことを重視するなら、「うまく話す」ソフトより、「うまく聞く」ソフトのほうが相性がいいはずだ。
つまり、「最初に結論を話す」より「最後まで話を聞く」ことを出発点として、まずは相手の話を聞く。
日本語ハードの人に対して、「結論から話せ」と要求するより、「ちゃんと最後まで聞くからゆっくり話していいよ」と言ったほうが、意思疎通がうまくいく気がするから。
少なくともわたしは、「結論から話して」と言われるより「最後まで聞くよ」と言ってもらえるほうが、気持ち的に楽だ。
もし話がまとまっていなくて脱線する、事実と感想が混ざる、時系列が狂う、なんて場合は、「つまりこういうこと?」「それはだれが言ったの?」「いまいつの話してる?」と適宜確認し、相手が言いたいことを最後まで言えるようにフォローすればいい。
聞き上手が多い日本語ハードの人たちにとって、こういう「うながし」は、たぶんそれほどむずかしいことじゃない。
もちろん、話を整理して簡潔に話せるに越したことないけどね。
「聞く」を重視する共感ベースの日本語ハードなら、「どう話すか」より「どう聞くか」に軸足を置いて考えたほうが、コミュニケーションは円滑に行える。
だからわたしは、「結論から話す訓練をする」より、「最後まで落ち着いて話せる環境をつくる」ほうが大切だと思うのだ。
ちなみにドイツ語ハードの思考回路だと、黙って最後まで話を聞いていると、「なんでなにも言わないの? 寝てるの? 自分の意見がないの?」と言われるので、言語と思考回路の結びつきは想像以上に強いらしい。ちゃんと話聞いてたのに……。
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【著者プロフィール】
名前:雨宮紫苑
91年生まれ、ドイツ在住のフリーライター。小説執筆&
ハロプロとアニメが好きだけど、
著書:『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』(新潮新書)
ブログ:『雨宮の迷走ニュース』
Twitter:amamiya9901
Photo by Giulia May