『映画を早送りで観る人たち』(稲田豊史著/光文社新書)を読みました。

僕自身、20年以上もネットに接してきて、どんどん、「ひとつのコンテンツに集中できる時間」が短くなってきているのを感じています。

2時間の映画を、映画館でならなんとか最後まで集中して観ることができても、自宅でアマゾンプライムやネットフリックスで観るときには、「1時間ずつ2日に分ける」ことが多いのです。

YouTubeの動画も、20分くらいまでなら躊躇いなく再生できるけれど、30分を超えるものは、長いな……と思ってしまいます。

 

年齢とともに短気になり、集中力が続かなくなってしまったのか、取り入れたい情報があまりに増えてきていて、短時間で済むものを優先するようになってしまったのか。

 

テレビゲームでも、サブクエストのような「メインストーリーとは関係ないプレイ時間を長くするためのオマケ要素」とか「エンディングの後の『真エンド』」とか、「めんどくさいし、付き合いきれないけど気になるからそんなの要らない、と思うことが多いのです。

人生あと何本ゲームをクリアできるかわからないから、さっさと次に行きたい。

 

僕のこれまでの考えは、「映画とかドラマのような映像作品というのは、すべての映像に監督、あるいは演出家の『意志や意図』が込められているものだし、何気ない会話や沈黙などの『間』も含めて味わうべき」だったんですよ。

それでいくと、2時間の映画というのは「2時間で一気に観てもらうように作られている」はずで、2日間に分けるというのも「邪道」ではあります。

まあでも、平日に2時間を確保するのは、なかなか難しいことではありますよね。

 

著者は「気がつくと、ネットフリックスやパソコンで配信される映像を観る際に1.5倍で観られるようになっていた、と述べています(著者が調べてみたところ、アメリカのネットフリックスがAndroidのスマホやタブレットでの再生の際に再生速度を選択できる機能を搭載したのが2019年8月だったそうです)。

 

僕自身は、これまで、配信のドラマやアニメ、映画を1.5倍で視聴したことはないのですが(あまりにつまらかったので、途中をとばして結末だけ確認したことは何度もあります)、著者が提示しているデータを見ると、「映像コンテンツを早送りして観る人」は、いまや、「せっかちな少数派」ではないのです。

「AERA」2021年1月18日号には、ある種の人々にとって我慢ならない記事が載っていた。タイトルは「『鬼滅』ブームの裏で進む倍速・ながら見・短尺化 長編ヒットの条件とは」。
そこには、映画を通常の速度では観られなくなったという男性(37歳)の、「倍速にして、会話がないシーンや風景描写は飛ばしています。自分にとって映画はその瞬間の娯楽にすぎないんです」という声が紹介されていた。

同記事中、別の女性(48歳)は、Netflixの韓国ドラマ『愛の不時着』を「主人公に関する展開以外は興味がないので、それ以外のシーンは早送りしながら」観たそうだ。
この記事に怒り、嘆き、反発した人は多かった。
正直、筆者も胸がざわついた。というより、居心地が悪かった。なぜなら、かつて自分にも倍速視聴にどっぷり浸かった時期があったからだ。

10秒間の沈黙シーンには、10秒間の沈黙という演出意図がある。そこで生じる気まずさ、緊張感、俳優の考えあぐねた表情。それら全部が、作り手の意図するものだ。そこには9秒でも11秒でもなく、10秒でなければならない必然性がある(と信じたい)。

それを「飛ばす」「倍速で観る」だなんて。
(中略)
マーケティング・リサーチ会社のクロス・マーケティングによる2021年3月の調査によれば、20〜69歳の男女で倍速視聴の経験がある人は34.4%、内訳は20代男性が最も多く54.5%、20代女性は43.6%、次いで30代男性が35.5%、30代女性が32.7%だ。男女を合算すれば、20代全体の49.1%が倍速視聴経験者だという。

これを多いと見るか、それほどでもないと考えるか。少なくとも「仕事で致し方なく」だけでこれだけの比率にはならないだろう。調査対象に映像業界従事者がそれほどまで多いとは思えない。

では、仕事が絡まない学生ならどうか。2021年12月、筆者は青山学院大学の2〜4年生を対象に授業を行い、受講者のうち128名を対象としたアンケートを行った。結果は、倍速視聴を「よくする」「ときどきする」が66.5%。「あまりしない」も足せば87.6%にも及んだ。先の「20代全体の49.1%が倍速視聴経験者」に比べてずっと高い。

中学生、小学生の僕の子供たちをみていても、動画を途中で飛ばしたり、速度を上げて観ることに抵抗は全くなさそうなんですよね。

 

こんなふうに、視聴者が自分の好きな観かたをするようになる、というのは、「インターネット以前から」の制作者にとっては、想定外の状況のはずです。

 

「そんな『あらすじで読む文学作品』みたいな鑑賞のしかたで、自分の作品を語ってほしくない」という人も多いのではないでしょうか。

僕は長年いろんなコンテンツに触れてきたけれど、映画もアニメもゲームも、「あらすじ」にしてしまえば「なあーんだ!」みたいな感じになりがちです。

ディテールとか世界観とか役者さん、キャラクターの微妙な感情の動きこそ、「コンテンツの魅力」なのだと思うのです。

 

とはいえ、これだけさまざまな作品が世の中に溢れ、サブスクリプションで定額見放題、という状況だと、早送りせずに観ていては、みんなの話題についていけなくなるのも事実です。

作品そのものを味わうよりも、話題に乗り遅れないのを優先する、という考え方もあるのでしょう。

Dさん(男性・大学3年生)は映画やドラマの倍速視聴はあまりしないものの、持論がある。
「人間が能動的に集中できる時間は90分だという説があって、僕はわりとそれを信じてるんです」
だとすれば、平均2時間前後という映画の尺は人間の集中力を超えている。
「ごくたまに早送るのは、日常のことを淡々と話しているシーンです。あまり頭に入ってこないので」
先ほどのAさんも、「どうでもいい日常会話とか、ただ歩いているだけのシーン」は飛ばすという。“どうでもいい日常会話”──なかなかのパワーワードだ。
長い会話を早送る人は多い。Eさん(男性・大学2年生)もそのひとりだ。
「会話の中の情報さえ取りこぼさなければ、それでいいと思っています。心情ものとかじゃない限り、別に飛ばしてもいいかなって」
会話と情報交換は果たしてイコールなのだろうか。「心情もの」とそうでないものの区別は、どの時点で、どのような基準でつけるのか。疑問は尽きない。
Eさんに「10秒の沈黙には5秒でも15秒でもない、10秒の意図が作り手にあるのでは?」と聞いてみたところ、にべもない答えが返ってきた。
「僕が長ったらしいなと感じたということは、作り手の意図が僕に伝わっていなかった。通じていなかった証ですよね? 意図が感じられなければ、飛ばすまでです」
何が悪いんですか、という顔をされてしまった。
Eさんのような意見は珍しいものではない。「間を楽しめるほど表現に凝った作品がないので、飛ばすのは仕方ない」「喋るのが遅い登場人物や、たいして興味のない登場人物のシーンは飛ばす」。このような声は枚挙に暇がない。
自分の好きな作品ですら10秒飛ばしを多用するというある大学生は、自らの試聴スタイルを「そのコンテンツにおいて必要ない、面白くないと感じる部分を、動画編集における“カット”の感覚でやっている」と説明した。

もはや、視聴者は制作者の思い通りには観てくれないし、これからも「倍速視聴や飛ばしながらの視聴の割合」は増えていくのではないか、と思われます。

これだけコンテンツが飽和していると「つまらないものを観ると、時間を損したような気分になる」のもわかるのです。

そういう「ながら観」や「最低限のストーリーだけ追う」のに慣れてしまうと「集中して対峙しなければならないコンテンツ」は、つい、避けてしまいがちになりますし。

 

最近の映画は、なんでもセリフで説明してしまう。なんでこんなに「わかりやすく」するのだろう。観客の理解力を信頼していないのだろうか?

僕もそう思うことが多かったのです。

でも、こういう視聴者・観客の「傾向」に対して、制作側も適応していかざるをえないのかもしれません。

「シャレード」というシナリオ用語がある。オードリー・ヘプバーン主演の映画『シャレード』(1963年)に登場するジェスチャーゲームも由来とする言葉で、「間接表現」のことだ。目で見てわかることは、いちいちセリフにしなくていい、すべきではないという理論である。
古典的名作『ローマの休日』(1953年)にも「シャレード」が使われている。
オードリー・ヘプバーン演じるアン王女が各国の要人たちと次々握手・挨拶をするが、明らかに退屈している。ただし、「ああ、退屈だわ」といったセリフやモノローグは言わせない。その代わりに、カメラが彼女のドレスの中、足元を撮る。彼女はうんざりして足をモジモジさせ、片方の靴を脱ぎ、足が靴を見失う。やがて着席時に靴をスカートの外に置いてきてしまうのだ。
このシーンはアン王女がだらしないと言いたいのではなく、彼女が退屈していることを、セリフを使わずに表している。これがシナリオ技術というものだ。しかし「好きだったら、そう言うはずだし」と口にする視聴者が、どこまでその意図を解せるか。

先日、テレビ放映されていましたよね、『ローマの休日』。

歴史に残る名作だということは知っていても、実際に観たのは初めて、という人も多かったのではないでしょうか。

初見の若者たちには、この映画は「伝わった」のだろうか。

いや、そう言う僕も「自分に『いやこれは素晴らしい映画だから』と自分に言い聞かせつつ、スマホをいじりながら観ていた」ことを告白しておきます。

コンテンツの制作側も、最近は「早送りや飛ばし視聴をする人も多い」という前提で、「そういう視聴方法でも楽しめるコンテンツ」を作るようになってきているようです。

 

僕自身も「空気が読めない人間」なので、偉そうなことは言えないのですが、エンターテインメントに限らず、「察してもらう」ことを期待しづらい時代になってきているような気がします。

相手にストレートに伝えなければわかってもらえないけれど、ストレートに言うと「傷つけられた」と気分を損ねてしまう。あるいは「そんなふうに言われたことはない」と拒絶されてしまう。

どうすればいいんだろう?と困惑することばかりです。

僕の先輩たちも、僕に対して、同じように悩んでいたのかもしれませんけど。

 

 

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(2022/11/25更新)

 

 

 

【著者プロフィール】

著者:fujipon

読書感想ブログ『琥珀色の戯言』、瞑想・迷走しつづけている雑記『いつか電池がきれるまで』を書きつづけている、「人生の折り返し点を過ぎたことにようやく気づいてしまった」ネット中毒の40代内科医です。

ブログ:琥珀色の戯言 / いつか電池がきれるまで

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