世の中のフェミニストたちに伝えたい。主張せずとも女性の権利が保護される、楽園のような男女平等の舞台が存在するということを。

 

その舞台とは、麻雀卓である。

私の大学生活は、麻雀で始まり麻雀で終わった。卒業に5年かかったことすら、麻雀に由来するといっても過言ではない。

 

当時、公務員だった父から、

「留年だけでも恥ずかしいのに、その理由が麻雀だなんて、こんな情けないことはないぞ!」

と、大目玉を食った記憶がある。

 

そもそも、私が麻雀と出会ったきっかけはアルバイトだった。飲食店やコンビニといった、ありきたりな職種ではなく、なんというか、昔ながらの大学生らしい「粋なバイト」を求めていたのだ。

そんなある日、私は大学裏の商店街で「アルバイト募集中」の貼り紙を目にした。求人が貼られた緑色の看板には「雀荘」という文字が光る。

 

(・・麻雀か。なんとなくカッコいいな)

 

麻雀など打ったこともなければ見たこともない、完全なるずぶの素人だが、何事もスタートはこんなもんだ。

こうして私は、タバコのヤニで黄ばんだ不健康な空間で、粋な(?)アルバイトを始めたのである。

 

高額な勉強代

雀荘でのバイトを始めて数か月は、働けど働けどなお我が生活楽にならざり、だった。

深夜に麻雀を打つ「徹マン」専門のアルバイトゆえに、稼ぎはいいはず。なのになぜ、バイト代がマイナスなのだろうか。

 

 

私のバイト先は「セット麻雀」のため、一人でふらっと訪れる客はいない。その代わりに、友だちやサークル仲間を集めて、4人セットで入店するのがお決まり。

そのため、「フリー麻雀」のようにメンバーが足りない卓へ店員が入ることはないのだ。

 

とはいえ、「雀荘の店員が麻雀を知らない」というのは非常にカッコ悪い。客からも舐められるだろうし、トラブルがあった際の対応にも困る。

そこで私は、麻雀を勉強することにした。

 

まずは書店で、麻雀のルールや点数計算についての解説書を購入した。次に、プレステの麻雀ゲームを購入し、バイトと睡眠時間以外を麻雀学習に費やした。

そしてある程度のルールを覚えたところで、さっそく実践へと移ったのである。

 

「ゲームの麻雀がどれほど役に立たないかを、しっかり学ばせてやるからな」

 

まだ始まってもいないのに、突如、商学部の樋口先輩に凄まれた。

この人はカネにがめつい策士である。見た目は紳士だが、真面目にヒトを欺くし、全力でカネをむしり取るメンタルの強さを持っている。

 

とはいえ、そんな樋口先輩から学んだことは多い。中でも記憶に残っているのは、この二選だ。

 

「本気で麻雀が上手くなりたければ、高レートで打て。人間は痛い思いをしなければ、本気になどならないのだから」

「場を乱すな。自分の順位変動に影響のない手で、他人の勝負の邪魔をするな。その行為は、巡り巡って自分の流れを乱すことになる」

 

いま振り返っても、この世の本質を突く名言といえる。勝負の世界に限らず、仕事でも趣味でも当てはまることだからだ。

そして、この名言に見事コントロールされた私のバイト代は、樋口先輩らの懐へと消えていったのである――。

 

(高額な勉強代、いつか必ず取り返してみせるぞ・・・)

 

「中」をポンしなかった罪の重さ

「なんで鳴かねぇんだよ?鳴けばアガれただろ!」

 

南3局終了後、法学部の池山先輩に怒鳴られた。彼が捨てた「中」をポンしようか迷った末に、スルーした私。

それについて池山先輩は、なぜ「中」をポンしなかったのかと、鬼の形相で問い詰めてきたのだ。

 

「だって、鳴くより門前で手を育てろって、先輩たちがいつも言ってるから」

 

私はもっともな答えを返した。そうだ、いつもあんたたちが「簡単に鳴くな!」「安目でアガるな!」と、うるさく言っているじゃないか。だからこそ、「中」をツモるまで我慢していたのだ。

それを今さら、手のひらを返すかのように「なんで鳴かなかった」はないだろう。

 

すると池山先輩はこう言い放った。

「おまえが飛んだらオレの3位が確定する。どうにかしてアガらせようと『中』を出したのに、ポンしなきゃ意味ないだろうが!」

 

私はギョッとした。池山先輩は、私が「中」を2枚持っていることを知っていたのか?!なぜ??

 

「ほかの字牌はある程度出てただろ。それと、おまえが右端に字牌を2つ並べてるのが分かった。そこだけ不自然に隙間あいてたからな」

 

悔しいがその通りである。何が何だか分からなくならないように、字牌を右端に固めておいたのだ。

おまけに、どうあがいても「中」のみが精一杯だったので、せめて鳴かずに門前で揃えようと粘っていたのだ。

それをすべて見抜かれていたとは――。

 

そして究極の悪夢は、断トツの樋口先輩が満貫(マンガン)をツモってしまったため、持ち点が千三百点しかない私は飛んだのだ。「飛ぶ」とは、持ち点がマイナスになることを意味し、そうなると自動的に対局は終了する。

こうして、私が飛んだことで池山先輩の3位が確定し、彼はブチ切れたのだ。

 

「樋口先輩の勝ち逃げを阻止するのと、オーラスで親が回ってくるオレはそこが勝負だった。つまり、何がなんでもおまえは『中』でアガるべきだったんだよ!」

 

その言葉を聞いた私は、脇汗ぐっしょりになった。私は、そんな深いことを考えながら麻雀を打っていない。手元の牌を眺めながら「どんな手ができるのかなぁ」と、次のツモを楽しみにしている程度で。

 

無論、卓を囲む3人の実力は把握している。理論派の樋口先輩、勝負師の池山先輩、そして実直な安部先輩。彼らに比べて私だけが突出して下手であることも、十分承知していた。

 

なおかつ私は、持ち点が少ないことには気付いていたが、それでもアガればどうにかなるだろうと、楽観的に捉えていたのだ。

ましてや、池山先輩が私をアガらせるために「中」を放出していただなんて、知る由もなかった――。

 

池山先輩の恨み節を聞きながら、樋口先輩と安倍先輩が、集めた牌を中央の穴へと落とし込んでいる。

樋口先輩にとっては「してやったり」だろうし、安倍先輩の顔には「初心者アルアルだ」と書かれている。

 

いずれにせよ、私だけが場の流れに気付くことができず、アガり損ねただけでなく勝負の機会すらも手放してしまったのだ。

 

麻雀の恩恵

このように、麻雀に関して自慢できる思い出がまったく見当たらない私だが、たった一つだけ、麻雀のおかげで人生が好転した出来事がある。

 

大学5年の春過ぎ、就職活動で奔走する私は、とある企業の最終面接に臨んでいた。

大学生活で学んだことを、役員の前で発表するのが面接での課題だが、見ての通り学業から学んだことなど皆無の私は、ポケットに忍ばせた麻雀牌を握りしめながら祈った。

 

(私にはこれしかない。コイツに人生を捧げてきたんだ)

盲牌(モウパイ)ができる字牌を7つ、カチャカチャとかき混ぜながら出番を待っていたのだ。

 

盲牌とは、指先で牌の表面をなぞることで、その牌を識別する行為である。

ちなみに、対局中に盲牌をすることはルール違反であり禁止されている。にもかかわらず、ツモ牌を先に触る輩は存在するが、そういう人間は遅かれ早かれ、卓を囲む機会は減るだろう。

 

(よし、面接中の会話に困ったら、これらの牌を並べて盲牌を披露しよう。盲牌こそが、私が大学生活で学んだ唯一無二の特技なのだから!)

 

 

こうして私は、めでたく内定を勝ち取ったのである。

ちなみに採用のポイントは、面接官の中にたまたま麻雀好きな役員が居たからである。

 

・・・やはり麻雀とは、人生の縮図なのだ。

(了)

 

 

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【著者プロフィール】

URABE(ウラベ)

早稲田卒。学生時代は雀荘のアルバイトに精を出しすぎて留年。生業はライターと社労士。ブラジリアン柔術茶帯、クレー射撃元日本代表。

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