『三流シェフ』(三國清三著/幻冬舎)という本を読みました。

 

著者の ”世界のミクニ”こと三國清三さんは、日本でもっとも有名なシェフのひとりです。

僕は、三國さんの店『オテル・ドゥ・ミクニ』で食事をしたことはないのですが、ちゃんとものが噛めるうちに、一度は行ってみたい店ではありました。

 

冒頭で、三國さんが、2022年の12月で『オテル・ドゥ・ミクニ』を閉めたのを知って、残念に思いましたし、三國さんがやろうとしている新しいレストランができるのを楽しみにしています。

 

この本では、北海道の漁村で貧しい暮らしをしていた子どもの頃の三國さんが、料理人の道を志し、札幌の名門ホテルから帝国ホテル、そして、フランスの名だたる店で修業をして、日本を代表する料理人にのし上がっていく半生が語られています。

 

1954年生まれの三國さんの働きかた、仕事への向き合いかたは、今の世の中でそう簡単に真似できるとは思えないし、経験してきた料理人の「修業」の厳しさは、2023年に読むと、「ひどい職場環境」だとも感じるのです。

親族に有名な料理人がいるわけではなく、強力な後ろ盾があったわけでもない三國さんは、まさに裸一貫から、自分の手でキャリアを切り拓いていきました。

 

三國さんは、要点をつく、というか、大勢のなかで、キーパーソン、決定権がある人を見つけ、その人に全力でぶつかっていき、突破口をつくっています。

 

中学校卒業後、働きながら調理専修学校夜間部で学んだ三國さんは、当時の北海道でもっとも格式が高かった札幌グランドホテルの厨房での修行を望んでいました。

しかしながら、グランドホテルへの就職には高卒以上の資格が必要で、その調理場を希望する料理人は大勢いたのです。

 

そこで、三國さんは、調理学校の研修で札幌グランドホテルを訪れ、厨房の見学をさせてもらった際に、思い切った行動に出たのです。

目指す厨房まで来たとき、最後尾にいた僕は隙を見てすっとステンレスの調理台の陰にしゃがみこんだ。
ホテルの人の説明が終わり、他のみんながぞろぞろと厨房を出ていく。

ぼくは自分の心臓の音を聞きながらじっと息をひそめていた。厨房は静かで、コックが何人か残っているだけだった。調理台に隠れながら、必死で動きを観察した。

どの人がいちばん偉いかを見極めなきゃいけなかった。
大波には正面からぶつかるしかない。相手が下っ端なら、ぼくは即座につまみ出されるだろう。直談判する相手は、権限のあるいちばん偉い人と決めていた。

奥の冷蔵庫の側に小さな机があって、そこに一人だけ背広姿の人が、背中をこちらに向けて座っていた。肩幅の広い人だった。注意して見ていると、冷蔵庫になにかを取りに行く他のコックが、すぐ前を通った方が近道なのに、その人を避けるように後ろを回っていた。

誰に話すべきか見当がついた。深く息を吐いて調理台を離れ、一歩足を前に出したところで、その人がくるりとこちらを振り向いた。

「君そこでなにやってんだ」

まっすぐにこちらを見ていた。その眼光に負けないように、下を向いてしまわないように、夢中に睨み返した。

「ここで働かせてください」

大きな声でそう言って、頭を下げた。

その人の名を、青木靖男という。
当時32歳。肩書きは、西洋料理部課長代理。

『佐久間宣行のずるい仕事術』(佐久間宣行著/ダイヤモンド社)にも、同じようなことが書いてあったのを思い出しました。

『ずるい仕事術』の「相談のゴールは『解決』にする」という項には、こう書かれています。

仕事の悩みがあると、あなたは誰に相談するだろうか。
先輩、上司、親、友だち……。

ちなみにそれで、問題はどれくらい解決してきただろうか。
悩みについての相談を、ただの愚痴やストレス発散で終わらせず、根本から解決したいと思っているなら、相談相手の選び方から変えてみよう。

「話を聞いてほしい人」ではなく「その問題を解決できそうな人」を選ぶのだ。

相談の目的は、問題解決。そうであるなら悩みをぶつける相手が問題を解決してくれることがゴールになる。つまり仕事の悩み相談とは、「動いてもらうためのきっかけづくり」。だから、悩んだ時はまず、「どうすればいまの問題を解決できるか」を考える。

そして、「だれにアクションを起こせば問題が解決するか」を考えて、これが叶うキーマンに相談するのだ。

それは直属の上司かもしれないし、クライアントかもしれない。間違いないのは、親友に相談して気持ちが晴れても、状況は変わらないままということだ。

相談の仕方にもコツがある。

まずは相談内容より先に、「なぜあなたに相談するのか」を伝えたい。

「これは○○さんにしか解決法がわからないと思うので教えてください」

「あのプロジェクトを経験されたと聞いたのでご相談させてください」

なぜ自分がその人を選んだかが伝わると、悩みの方向性も明確になるし、相手もより親身になる。今の自分にとって、「あなた」に相談することに意味があるとわかってもらうのだ。

「なぜあなたなのか」が腑に落ちて、真剣度合いが伝われば、心ある人ならあなたの話を聞くのみならず、すぐ具体的な解決に動いてくれる。

佐久間さんは「相談でやりがちなミスは、1〜2年次上の先輩に相談すること」とも仰っています。

「自分とそんなに経験も立場も変わらない人に、『愚痴』をダラダラ聞いてもらっても意味はない」と。

 

僕だったら、その場にいる年が近い話しやすそうな人に、「ここで働きたいんですけど……」とか「相談」してしまいそうです。

その人には、決める権限なんてありはしないのに。

 

偉い人に直接アプローチするのは怖いし、相手にしてもらえないのではないか、と思ってしまうのだけれど、いろいろな「成功者の話」を読んでいると、「大将に直談判する」という事例がよくあるのです。

偉くなっている人は、そういう「無謀でやる気のある若者」を好むことが多いし、それで門前払いされても、こちら側には、失うものはほとんどありません。

 

……と書いてはいるけれど、僕にはこれを「実行」するのは、頭ではわかっていても難しいのですが。

あの「世界のミクニ」は、若い頃、鍋を磨き、皿を洗う、というような調理場の下働きの仕事ばかりしていたのです。

料理の実力を問われる以前に、有力者からの紹介もない若手には、有名ホテルでは、そこにしか居場所がなかったから。

それでも、三國さんは、「なんでこんな仕事ばっかり」と腐ることはなかったのです。

 

札幌グランドホテルでの仕事について。

地下の洗い場に、いつも洗い物がたまっていた。宴会では何十人何百人分の料理を一斉に出さなきゃいけないから、調理中に洗っている暇はない。汚れた食器や鍋や、人が入れるくらいの大きな寸胴やらが流しにどんどんたまっていく。それを一日の仕事が終わった夜更け、若手のコックたちが厨房から降りて来て裸になって洗っていた。

ある時、思いついて青木さんのところに行った。

「飯炊き終わったら、洗い物やっていいですか?」

青木さんがニコリとした。

「そりゃみんな助かるよ」

その日から、飯炊きが終わると洗い物をやった。6時から始めて3、4時間、先輩方が降りて来る10時前までには一人で全部洗い終える。
先輩方はもちろん大喜びで、

「おうキヨミ、ラーメン食いに行こう」

すすきのにしょっちゅう連れて行かれた。
いい子ぶろうとか、先輩に可愛がってもらおうとか、そういう気持ちは、今思い返してもどこにもなかった。ぼくにとっては、要するに暇つぶしだった。

6時に仕事が終わって、その後することがなにもない。家に帰ってもテレビもなかったし、パチンコにも興味がなかったから一度も行ったことがない。そして洗い物は億劫じゃなかった。

大きな寸胴は、裸になって寸胴の中に入って洗った。洗い物ひとつてもコツがあるから、だんだん自分の手際が良くなるのがわかる。狭いアパートでぽつんとしているより、寸胴をピカピカに磨き上げる方がよほど楽しかった。洗い物をしても給料が増えるわけではなかったが、そんなことは気にならなかった。自分としては暇つぶしで、特別なことをしている気持ちはなかった。

そんな仕事ぶりが評価され、三國さんは札幌グランドホテルの社員に抜擢されたのです。

みんながやりたがらない仕事を引き受けて、手際よく、嫌な顔もせずにやっている若者を、偉い人たちも見ていたのでしょう。

 

三國さんは、その後の人生でも、新しい環境で「洗い物などの下働きを丁寧にやっていくこと」で偉い人に認められることが多かったのです。

三國さんは「下働きのプロ」を目指していたわけではなく、必要なときには周りから白眼視されても自分の存在を偉い人にアピールすることを忘れなかったし、厨房の中で自分の主張を通すためにケンカをすることも多かった、と述懐されています。

 

『すきやばし次郎』の小野二郎さんが、料理店にとっていちばん大事なのは「掃除」だと仰っていました。

いまは、長年の下働きや厳しい修行などは敬遠される時代ではありますが、美味しい、あるいは人を感動させる料理をつくる基本というのは「ひとつひとつのプロセスをおろそかにせず、丁寧に、手際よくやっていくこと」であるのは変わらないのだと思います。

 

フランスでの修業時代は、他の日本から修業に来た人がほぼ無給で働いていたのに対して、かなり良い給料をもらっていたそうです。

それは、お金へのこだわりというよりは、「フランスでは、高い給料をもらっている人間にならないと、重要な仕事を任せてもらえなかったから」ということでした。

 

この本の後半には、フランス料理のシェフとして実力をつけてきた三國さんが、修行先のカリスマ料理人、アラン・シャペルにかけられた、ある言葉をめぐる旅路が書かれています。

初めて声をかけられたのは、厨房に入って三ヶ月目のことだった。
僕はエクルヴィス(ザリガニ)のムースを盛りつけていた。めったにそんなことはないのだけれど、そのときムッシュ・シャペルが近づいてきた。

ぼくがつくっている料理を見て、一言こう言ったのだ。
「セ・パ・ラフィネ」
直訳すれば、洗練されていない、だ。

スプーンを持つ手が震えた。言葉の意味はわかったけれど、彼がなにを言いたいのかがわからなかった。洗練されていないから、作り直せとは言わなかった。ここをどうしろという指示もなかった。どういう意味か聞き返そうにも、ムッシュ・シャペルはそれだけ言うと、デシャップ(飲食店の厨房とパントリーの窓口に当たり、厨房内で調理された全ての料理が上がってくる場所)に戻ってしまった。

ぼくの作ったエクルヴィスのムースは、なにも手を加えられることなく、そのまま客席に運ばれて行った。シャペルは不出来な料理を客に出すようなことはしない。
「アラン・シャペル」の料理としては、文句がないということだろう。その後、ポワソニエ(魚料理担当)のポジションを外されることもなかった。

それなのになぜ、セ・パ・ラフィネなのか。
周りの料理人にも聞こえたはずだけれど、誰もなにも言ってくれない。
その日からずっと、そのことだけを考え続けた。
洗練されていないとはどういうことか。厨房で仕事をしていても、修道院の薄暗くて狭い部屋に帰っても、延々と考え続けた。

「厨房のダ・ヴィンチ」と称えられたアラン・シャペルのこの言葉の意味を、その後の三國さんはずっと考えてきたのです。

三國さんが長年の思索と研鑽の末に出した「答え」も、この本の中には書かれていて、それは、これから三國さんがやろうとしていることにもつながっています。

 

自分の料理の技術のことやレストランの成功についてはほとんど書かれていないのに、「三國さんはどんな仕事をしてきたか」が、伝わってくるし、「まだまだ、僕も頑張らなくては」と勇気づけられました。

三國さんのような働き方はできないかもしれないけれど「意志あるところに 道は開ける」のだなあ、って。

 

 

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(2024/3/26更新)

 

 

 

【著者プロフィール】

著者:fujipon

読書感想ブログ『琥珀色の戯言』、瞑想・迷走しつづけている雑記『いつか電池がきれるまで』を書きつづけている、「人生の折り返し点を過ぎたことにようやく気づいてしまった」ネット中毒の40代内科医です。

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