歯列矯正

女の人が歯列矯正をするという。老後に備えてのことだという。

見た目で女の人の歯列が乱れているという印象はないが、下の歯がどうにかなって、舌と当たって痛いことがあるという。老後になったら、さらに悪化するかもしれないから、矯正をするという。

 

「君もしたほうがいいのでは」と言われる。

歯列矯正。それが必要なことは、それはひと目でわかることだ。

おれはあまり歯を見せて笑わない。おれはそもそもあまり笑わない。それでもわかるくらい歯がガチャガチャだ。

 

歯の噛み合わせ。おれにとって、「噛み合わせ」ということ自体が存在しない。「歯を噛み合わせてください」と言われても、「こっちのポジションですか? それともこっち?」と、三通りくらいある。噛み合っていない。

 

ずっと噛み合っていなかった。顎が小さいのだ。歯並びの悪さは子供のころからわかりきっていた。親も矯正を勧めた。が、おれは断固として拒否した。

おれは歯医者が嫌いだった。嫌いどころか、もう、手を使って拒否するくらいだったので、レクター博士のようにネットで拘束されて虫歯の治療をするくらいだった。そのくらい歯医者が苦手だった。

 

いや、過去形ではない。今も歯医者と注射は苦手の苦手だ。歯医者に行かなくて済むように、おれは念入りに歯のケアをする。たぶん、虫歯はない。

二年に一度くらいは歯科検診に行く。前に行ったときは、「よくケアされていますね」と驚かれたくらいだ。うれしくもあり、うれしくもなく。とにかく、歯医者は怖い。

 

その歯医者にも勧められたことがある。歯列矯正。でも、お高いんでしょう?

 

髪の毛一本でも嫌な世界

いきなりだが、歌人の穂村弘にこんな短歌がある。

「髪の毛がいっぽん口に飛び込んだだけで世界はこんなにも嫌」

おれにはあまり文学的な素養も知識もあまりないのでよくわからないが、髪の毛がいっぽん口に入っただけで嫌な感じになるのはわかる。なんて素直な解釈。

そうだ、ちょっとした、身体への影響だけで、世界というものへの印象も変わってしまう。そういうことだろうと勝手に思う。

 

して、女の人は舌が歯に当たることが嫌だといった。彼女にとっては、「世界はこんなにも嫌」ということだったろう。

舌が歯の尖ったところに当たる? おれにとっては日常茶飯事というか、それがおれの身体ということになる。

おれって、人が嫌がる状態を常に抱いて生きていたということ? 常に髪の毛の束を口の中に突っ込まれて生きていたということ?

 

追い打ちをかけることも聞いた。女の人の担当医が、二年前くらいに歯列矯正をしたという。紺屋の白袴、医者の不養生、よくわからないが、そういうことらしい。

その結果、「精神的なイライラが消えて、肩こりの調子もよくなった」ということらしい。

 

無論、歯列矯正をする顧客へのサービストークという可能性もある。が、それはそれであるんじゃねえかなと思う自分もいる。

おれの人生は、おれの歯並びによって左右されてきたのではないか? と。

 

噛み合わせの悪い人生

おれの性質として、「集中力のなさ」、「持続力のなさ」、「気分の移り変わりの早さ」などが挙げられる。おれ調べ。

そこに、おれの歯の噛み合わせの悪さが影響していなかったと言えるのか?

答えはイエスともノーとも言えるだろう。だが、歯の噛み合わせがよかったら、ちょっと違ったかもしれないとも思える。

 

この移り気な性質、思考が飛び飛びになる性質、集中力のない性質。これに歯の噛み合わせが影響していないといえるのか。

たとえば、アスリートなどは積極的に噛み合わせを矯正したりするという。力の入り具合、集中力……。

 

もし、おれの噛み合わせがよかったら。もし、それによってインプットの能力が人並みになっていたのなら。インプットの量によってアウトプットの質も上がっていたのなら。

 

別の人生あったかもしれねーよなー。

そんなことを思う。髪の毛いっぽんで嫌になる世界。噛み合わせが悪くて、舌が歯の尖ったところにあたる世界。それが常にある身体、感覚、認識、世界。ありえなかった、そうでない世界。

 

そんなことを想像せずにはおられない。クレオパトラの鼻ではないが、噛み合わせがよかったおれの人生というものもあるかもしれない。

ひょっとしたら、今とまったく変わらないものだったかもしれない。しかし、そうでない人生もあったかもしれない。

 

美しい歯列。歯を見せてもまったく後ろめたさのない心情。笑顔を見せて。自己肯定感。自信。他者との付き合い。そんなことにも影響するだろう。

 

そしてなにより集中力。精神の安定。そこに影響したかもしれない。

歯の噛み合わせだけで、おれが双極性障害にならなかったとは言えないかもしれない。いや、歯のせいで双極性障害が引き起こされるという話は聞いたことがない。でも、もっとマシな人生を送っていた可能性もある。

 

世界がそんなにも嫌、でもなかったかもしれない、とそんな夢想をする。

 

ちょっと嫌なことばかり

しかし、世界を嫌なものにしてしまうことは、もっとたくさんある。

おれ自身のことをいえば、たとえば睡眠時無呼吸症候群持ちだ。顎の小ささは歯並びだけじゃなく、そんなことにも影響する。

 

おれはマウスピースを着用することで症状を抑えている。

しかし、寝る前にいちいちマウスピースをはめたり、起きたら洗浄剤に漬けたり、面倒くさい。そして、なにより、快眠という感じがない。日中に眠らない程度に眠るだけだ。

 

さらには、双極性障害(躁うつ病)がある。

症状が出てないときはいいかというと、そうでもない。おれは常に抗精神病薬の影響下にある。医師の表現を借りると、「脳の組成が変わるからね」ということだ。

朝、しんどくて、それでも身体が「動いてしまう」ときなど、これは薬に動かされているなと感じる。もとから脳が妙だから薬など飲んでいるのだが、薬を飲んでいる脳も妙だ。

 

それに、躁とうつばかりではない。いきなり極度の不安に襲われることもある。なんに対する不安か。

そりゃあおれみたいなものには日々の不安も人生の不安もある。でも、これといった対象がないのに、突然、心臓がばくばく言い出して、手に汗がにじむ。身体がふるえる。そんなことがある。抗不安薬を飲む。効くこともあれば、効かないこともある。

 

つまりはおれは、歯並びの悪さと同じく、脳の調子もちょっと変だし、嫌な感じなんだ。恒常的に嫌だ。口の中に髪の毛百本。

 

いや、ここに精神の話を持ち込むべきじゃなかったか。

でも、たとえばむかし、原因不明の蕁麻疹になったこともある。慢性蕁麻疹。蕁麻疹が出ているのは嫌な感じだ。

 

むろん、おれの嫌な感じなんて大したことないよ、おれのほうがすごいよ、という持病や障害を持っている人も多いと思う。

それはわかる。わかるが、おれにはおれの嫌な感じがあって、嫌な世界がある。あなたにはあなたの世界がある。人には自分の世界がある。

 

なんで苦しまなきゃいけないんだ、と言う人もいるだろうし、いない人もいるだろう。自分なりの答えを見つける人も、見つからん人もいるだろう。

でも、いずれにせよ、なんだかんだいって、無ければ無いほうがいい。世界を嫌にしてしまうことは無いほうがいい。

無くせるものであれば、無くしたほうがいい。

 

していなかったもののアドバイス

というわけで、子供を持つ人にはこうアドバイスしたい。

「習い事をさせる前に、歯列を矯正させるべきだ」。

 

勉学にしろ、スポーツにしろ、それを習うまえに、習う体勢が整っていなければ、あまり効果がないかもしれない。その体勢のひとつが、歯の噛み合わせじゃあないのか。

集中力、精神の安定。ストレスや不眠などからも開放される。とにかく、なにかを習う前に、それを受け取る精神、身体を整えておくべきだ。これである。

 

というか、子供に限らない。青年期だろうと、中年だろうと、老年だろうと、やれるならやったほうがいい。そうに違いない。

……といったところで、これは「クソバイス」にすぎない。というのも、おれ自身は歯列矯正を受けていないし、受けた結果よかったという経験もしていない。ただ想像するだけだ。

 

このような「クソバイス」に意味があるのかどうか。おれにはよくわからない。

失敗した人間が、失敗の理由を探してみて、そのひとつを挙げてみる。反面教師。とはいえ、そこに説得力があるのか、という話だ。

 

どこまで「健康であれ」と言えるのか

というか、どこまで人が他者に対して、「健康であれ」と言えるのだろうか。

パターナリズム? というの? 余計なお世話、というの? わかんねえけど、まあ、おれはまだ小学生だか中学生のころ、親の「矯正したらどうか」という提案を、歯医者が怖いという理由で断った。とうぜん、金も親が出してくれたわけなのに、それを蹴った。おれは、その提案を「余計なお世話だ」と思ったに違いない。

 

今、この人生の状況を考えると、なんてもったいない拒否をしたんだと思わざるをえないが、そのときのおれにはそれで正しかったともいえる。その正しさをどれだけ他人が否定できるのか。

 

さっきおれは「子供の歯を矯正させろ」などと書いたが、親にそれをする権利があるのかどうか。

提案くらいならいいかもしれない。それに、「死んでも東大に行け」とか、「不細工だから美容整形しろ」に比べたら、まだましなようなことにも思える。とはいえ、どこで線引きすればいいのだろう。

 

親子関係から、さらに展開させて、たとえば国家が個人に推奨することとしてはどうなのか?

たとえば、喫煙や飲酒の習慣を国民にやめさせようというのは。まあこの二つについては、医療費と税金を秤にかけて、みたいなところもあるだろうが。

 

えーと、じゃあ、健康のために運動しましょう、みたいなことは普通に呼びかけてくる。それこそ、ナッジ(おれたちは「ナッジ」を知らなくてはならないみたいなことを使ってやってくるかもしれない。

ナッジといえばリバタリアン・パターナリズムであって、……やっぱりパターナリズムなのか。

 

おれが「歯の矯正はよい」(だろう)と言うことと、人に「矯正すべきだ」と言う間には大きな溝があって、これがまた、国家権力などが言うと話はさらに変わってくる。なかなかに難しい。愚行権ってなんなんだろうな。いつか勉強してみよう。

 

というわけで、おれは単に「歯を矯正すればよかったし、おまえもしたほうがよい」という、日常で感じる不具合について語ろうとしたが、変なところに着陸した。これもまたおれの噛み合わせの悪さのなすところである。

それじゃあ、マウスピースして寝るので、おやすみなさい。

 

 

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【著者プロフィール】

著者名:黄金頭

横浜市中区在住、そして勤務の低賃金DTP労働者。『関内関外日記』というブログをいくらか長く書いている。

趣味は競馬、好きな球団はカープ。名前の由来はすばらしいサラブレッドから。

双極性障害II型。

ブログ:関内関外日記

Twitter:黄金頭

Photo by :Yingpis Kalayom