職場で妙にうまく自分の意見を通す人がいる。最近この人から本当に大切な事を学んだので、今日はそれについて書こうかと思う。

 

人間というのは面白いもので、同じことをやっても好かれる人と嫌われる人がいる。

貴方も「言ってることは正しいかもしれないけど、それにしてもコイツ、酷い言い方するなぁ」と思った事が一度や二度はあるだろう。

 

俗に言うところの「口のきき方に気をつけろ」というこの現象の正体が自分は本当に長い間よくわからなかった。そもそも「口のきき方」って単語自体が、なんか曖昧で要領を得ない。

そういう事もあって、冒頭に出した自分の意見を上手に通し続ける人が不思議で仕方がなかった。

 

ぶっちゃけた事をいうと、彼はそこまで人間的に魅力があるようにはみえなかったし、何かカリスマがあるような人でもない。

決して口ベタではないが、上手くも無い。

しかし気がつくと周囲とは軋轢を作らずに事を推し進めるのである。いったいどんな秘技を使っているんだ?と淡々と観察し続けたところ、やっとその正体がみえた。それは争わないである。

 

喧嘩になるから、それは言っちゃ駄目だよ

争わないがポイントだと気がついたのは、ちょっとした事がキッカケだった。

職場にて仕事の為の仕事のような業務が発生しそうになっていた際、僕がつい

 

「そんな下らない仕事をやる意味ってあります?って言いいませんか?」

「それぐらいハッキリしたモノの言い方しないと、もう通じないでしょ?」

 

と口にした際、冒頭の彼がこう言ったのだ。

 

「ケンカになるから、それは言っちゃ駄目だよ」

 

その時は正直「もうケンカになってでも押し問答しないと駄目だろ。なにコイツ日和ってるんだ」と思っていたのだが、それからしばらくするとその雑務は消滅していた。

 

僕を含め、ほとんどの人が雑務が自然消滅していた事に全く気が付かないまま数ヶ月が経過していたのだが、ふと「そういえばあの雑務、どうしたんだろう」と思い出し、件の彼に聞いてみたところ

「僕がうまいことやっておきました」と言ってのけたのである。

 

これには正直、かなり痺れた。久しぶりにコイツはスゲェなと思った瞬間であった。

 

犬の腹見せのようなコミュニケーションは、意外と効く

それから彼の言葉遣いを逐一観察し続けてみると、ある特徴に気がついた。それは犬の腹見せである。

 

彼は困った事を頼まれたりすると「ふざけないでください!そんな事はできません!」というような強い威嚇を相手には絶対にしなかった。

代わりに、本当に困った顔をするのである。そして肯定も否定もせずに、話をどうにか保留するような形で座礁に押し上げるのだ。

すると相手が不憫に思うからなのか、その話が消えるか、あるいは折り合いが付きそうな妥協案へと徐々に落ち着いていくのである。

 

これをみて、僕は今まで嫌なことをされたら、キャンキャンと吠えて威嚇する犬みたいな事を相手方にやっていたんだなという事に気がついた。

何か嫌な事をぶつけられた時に強く拒否したら、相手も必要以上にムキになってしまう。しかし件の彼のように、困った顔をして腹を見せられると、相手も

 

「あ、やっちまったな」

 

と勝手に反省して、勝手にマイルドになっていくのである。

 

多くの人は売られたケンカを買ってしまう

戦わずして勝つのが至上である。

これは孫子の兵法だが、いま思うに僕はこの言葉の意味がわかっているようでよくわかっていなかったのだと思う。

 

戦わずに勝つとは、何もムキムキ・マッチョになって筋肉を提示する事でもなければ、罠を張り巡らせて相手を落とし穴に落とす事でもない。

相手からのケンカを買わず、相手にケンカをふっかけない。

これが多分、真のポイントなのである。

 

人の気持ちは非対称

世の中には数多の面倒くさい人間がいる。彼らは無自覚にクソ面倒くさい事をぶつけてくるが、いま思うと彼ら自身は恐らく相手にケンカを売りつけている自覚は無い。

 

この事は逆の事を考えてみればわかるのではないだろうか?例えば、貴方が「口のきき方に気をつけろ!」と言われたら、たぶん

 

「ん?癇に障っちゃったか?そういう意図は特になかったんだけど」

 

と、自分が相手を加害したという自覚はそこまで持たないのではないだろうか?

 

人の気持ちは大変に非対称なものだ。

自分が特段相手を褒めたつもりがなくても、勝手に相手が喜ぶ事もあるし、自分が相手を貶したつもりがなくても相手が勝手に凹んでいるという事は、本当によくある。

 

このように我々は時に鈍感マンをやり、時に繊細チンピラをやって、勝手に一人で踊り狂っていたりする生き物である。

多感だった中高生の時期の事なんかを思い出してもらうと、見悶える人も多いのではないだろうか?

 

喧嘩を買わないし、売らないが理想なのだが…

それからしばらくして大人になると、我々はどんどんタフになり、また相手にちょっとづつ気を使えるようになるからなのか、他人とそこまで喧嘩をしなくはなる。

喧嘩しない社会は実にスムーズである。心が穏やかになるし、仕事の速度も早い。

 

しかしそれでも私達は時に無自覚に争いの種を撒いてしまうし、撒かれてしまう。ツイッターなんかをみていると、よく争いの種をポロポロと撒き散らしている人気者がいるが、あれに群がる人は何ていうか無惨である。

火事と喧嘩は江戸の花というが…なんていうかみんな本当にゴシップニュースに飛び乗りたがるし、レイドバトルに参入したがる。

 

さきほど、喧嘩しない社会は心穏やかだと書いたが、こうしてみると私達は心穏やかになりたいという欲が確かに心の中にあるはずなのに、その一方でわざわざ喧嘩の種を買ってきて心をざわつかせたいという欲があるようにもみえる。

 

一体何で、私達は戦わずして勝つが一番だと知りつつ、戦って負けるをやってしまうのか?

馬鹿だからだと言えばそれまでではあるのだが、僕にその答えを与えてくれた人がいる。ルネ・ジラールである

 

人は誰かの欲望を模倣してしまう

ルネ・ジラールの欲望の模倣理論は”欲望の見つけ方 お金・恋愛・キャリア”という本を読んで初めてしった。

欲望の模倣理論を一言でいえば、人は誰かが欲しがっているものを欲しくなるという理論である。

 

例えば進学校にいれば東大や医学部を皆が目指すから、自分もそういう場所に行きたくなってしまうし、ブランド物のバッグを持っている人が普通な環境にいれば、自分も自然にそういうものが欲しくなるといったようなロジックである。よくわからないけどメチャクチャにモテる男女の正体も、たぶんコレだ。

 

人間は己の中にゆっくりとだが濃いオリジナルな欲望と、ファストで誰かに惹きつけられがちな薄いタイプの欲望がある。

ルネ・ジラールの欲望の模倣理論は後者のファストなタイプの欲望を説明したものだが、この欲望の模倣理論から考えるに私達は血生臭い争いに勝ちたいという渇望を共通しているように僕には感じられるのである。

 

血祭りって、やっぱり超気持ちいい!

実際、少年漫画では能力者同士による激しい闘いが常に繰り広げられているし、少女漫画では意地悪の応酬を知恵や自身の美貌でもって打ち倒すシーンが何度も何度も描かれている。

それらをフィクションを通じて体験する事には、やはり何か筆舌に尽くしがたいものがある。ゾクゾクして気持ちがいい。

 

たぶん、私達は頭では「戦わずして勝つのが最高だ」とは理解できてはいるのだが、その一方で「悪い奴を血祭りにあげるのは超気持ちいい」と身体で深く理解しているのだ。

その捻れが争いのないスムーズな表社会を心地よく思う一方で、SNSやマスコミのニュースといった裏社会でゴリッゴリのバトルを繰り広げるというズレた行動原理に繋がっているのである。

 

血祭り欲求は、ちゃんと裏で消費する

個人的には、もうこの血祭り欲求自体はある程度は仕方がないものとして受け入れていくしかないように思う。

己の内側にも確かにあるし、他人という外側にも絶対にある。故に模倣の輪は止めようが無い。

やっぱり強い者同士の血みどろのバトルは心が湧くし、悪徳令嬢が性格の悪いライバルを蹴落とすのはスカッとする。

 

そういうものに感じる面白さは否定するような性質のものではないと思うし、フィクションを通じて消費できるというのなら、むしろ健全であろう。これはある種の自慰だと僕は思う。

 

しかしそれが実生活ともなると、話は別だ。職場で念能力バトルをやりたくなってしまったり、あるいは略奪愛をやりたくなってしまったりするのは、どう考えても「戦って負け」だ。

あるいは難しい政治の話を私生活フィールドに持ち込んで「世の中には世代間格差や男女差別があるんです!」と言ってしまうのは、まあ活動家ならまだしも市井の人々には虚無である。少なくとも幸福には程遠い何かであろう。

 

己の中にある血祭り欲求はキチンと認めてあげて、その上でそれは裏の中でちゃんと処理するべきなのだ。鮭の川登りのようにフィールドを遡上させていい事は一つもない。

 

表を裏に侵食させない

適材適所という言葉がある。これも本当に私達はわかったつもりになっているのだが、実際に適材を適所にキチンと置き続けられる人はほとんどいない。

マネジメントなんて言葉がある時点で、これが本当に高等技術である事が暗に示されている。

 

大切なのは、自身の幸福とゆっくりとだが濃い欲望の実現である。自分自身の怠惰な心に向き合って、時に愛でて時に鞭打って、理想の自分と現実の自分との間にあるものをどうやって埋めていくかというバトルにこそ、本当の戦争がある。

その戦いに勝つためにも、やっぱり下らない戦で戦ったら負けなのだ。戦うべき戦でキチンと戦い、戦うべきではない戦では鉾を収める。

 

戦わずして勝つなんてカッコいい事を素人が目指してはいけない。

戦ったらその時点で負けだというスタンスにこそ、私達は学ぶべきなのである。

 

 

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(文責-ティネクト株式会社 取締役 倉増京平)

 

 

 

【著者プロフィール】

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高須賀

都内で勤務医としてまったり生活中。

趣味はおいしいレストラン開拓とワインと読書です。

twitter:takasuka_toki ブログ→ 珈琲をゴクゴク呑むように

noteで食事に関するコラム執筆と人生相談もやってます

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