先日、友人の会社経営者と飲んでいた時のことだ。

 

長年の仲良しだという女性の方に向き直ると、唐突にこんなことを質問する。

「なんで中国は福島原発の処理水に文句を言うの?おかしいやん。中国のほうが高濃度のトリチウム水を排出してるんだよ?」

 

話を向けられたのは、日本に長く住む中国籍の女性である。

 

いや、いくら長年の友人でも、それはちょっと無茶な質問だろう…。

いったいどう回答するのかと、ハラハラしながらやり取りを見守る。

 

「そんなの、バカ正直に発表するからに決まってるでしょ!発表したんだから、文句を言われても当然!」

 

その発想はなかった。

恐らく多くの日本人に同じ質問をしても、この回答は少数派ではないだろうか。

 

こういうところが異文化との出会いかと、妙に感心する。

しかしこの後、彼女が説明した「黙っておくべき理由」に、さらに驚くことになる。

 

「なにかおかしい…」

話は変わるが、かつて地方のメーカーでCFO(最高財務責任者)をしていた時のことだ。

大規模な資金調達の必要があり、株主や株主候補を回り出資の要請をすることがあった。

 

しかし回る数が多く、一人ではなかなか十分な時間を確保できそうにない。

そのため、既存株主であれば大丈夫だろうと都銀出身の経営企画担当者に説明に行くよう依頼し、仕事を分担することにした。

 

しかし程なくして、不穏な空気が流れることになる。

大株主で、盤石の信頼関係ができているはずの企業の常務がカンカンに怒っているのだという。

 

こんな増資は裏切りだ、ふざけるな、という激しい怒りであることが漏れ聞こえてきた。

それでも彼は何度か足を運び、一生懸命説明していたようだが、最後には出禁を言い渡されてしまった。

 

「桃野さん!これ、桃野さんの立てた資本政策がおかしいんじゃないですか?常務、ものすごくお怒りですよ!」

 

いったいなんでそんなことになるのか、もしかしてなにかの嫌がらせなのか、全く意味がわからない。

私は平謝りの電話を入れるとすぐに、体一つでその日のうちに急行した。

 

「俺は会社を助けて、個人的にキミのこともかわいがってきた自負があるぞ!なのにこの増資計画はなんや!裏切りやろ!」

応接に入るなり、書類の束を机に叩きつけ激しい怒りをぶつけてくる。

聞いていた以上の勢いにたじろぐが、しかし理由が全くわからない。

 

「常務、申し訳ございません。恥ずかしながらなぜお怒りなのか理由を理解できておりません。よろしければ教えて頂けないでしょうか」

「当たり前やろ!業績が上向いてるのに、なんで評価額を40%も下げて新株を発行するねん!応じられるか!これでウチ、数億円の評価損を計上することになるんやぞ!」

 

「…え?」

「…ん?」

 

「あの、常務…。株式分割の予定を入れてます。ほら、ここ…」

「え…?あ、ホンマや」

 

「ですので新株は、前後で20%上積みになる評価額です。この計画でご協力をご検討頂きたいのですが…」

「ふざけんな!経営企画のやつは、口頭でハッキリと、『株価はディスカウントです、申し訳ございません』って説明しよったぞ!!」

 

「完全に私のミスです、説明不足で本当に申し訳ございませんでした!」

 

1株を2株に分割する工程を入れるので、もちろん株価は見かけ上、半額のディスカウントになるわけだが、株数が2倍になるので評価損など出るわけがない。

増資の実務を扱ったことがなくても、都銀出身であればそれくらいのことわかるだろうと思い込んでいた私の、完全な采配ミスだ。

 

この後、振り上げた拳を下ろしてもらうのに苦労したが、なんとか円満に話を終わらせ、最後には近くの居酒屋で一杯ごちそうにまでなって、仕事は無事完了することになる。

 

振り返れば冗談のような話だが、しかしこの時の経験は今も、強烈に記憶に刻み込まれている。

どれだけ慎重に念入りに準備した仕事でも、“失敗”とは、こういった本質的ではないところを起点に発生してしまうという恐怖を思い知らされたからだ。

 

登場人物に誰一人、悪意を持っている者もいなければ、人を傷つけようと思っている者もいない。

にもかかわらず、登場人物全員がお互いに悪意を疑う結果になり、仕事は破綻寸前にまで追い込まれた。

そして多くの失敗や人間関係の破綻は、実はこの程度のボタンの掛け違いから発生してしまう。

 

「なにかおかしい」と思ったらすぐに直接、話をすること。

先入観を排除し、相手の言葉の裏にある真意を探る努力を怠らないこと。

そんなことを学ぶことができた貴重な想い出として、今も心に焼き付いている。

 

「中国の人」

話は冒頭の、中国籍の女性についてだ。

「そんなの、バカ正直に発表するからに決まってるでしょ!発表したんだから、文句を言われても当然!」

そんな言葉の後に、彼女は何を語ったのか。

 

「李さん、少し教えてください。それは“正直は必ずしも美徳ではない”という意味ですか?」

「桃野さん、それは少し違います。わからないことをわからない形で発表するから間違ってるんです。それなら、黙ってたほうがマシなんです」

 

「というと?」

「だって、トリチウムと言われて何%の人が、それがなにか説明できますか?80%以上の人がわかりませんよね?」

 

「…その通りですね」

「人はわからないことは怖いんです。子供はオバケを怖がります。だから、分からない情報を理解できない形で発表して、怖がる方が悪いというのは間違っています」

 

正直私はこの説明を聞くまで、

(中国の人の常識では、きっと黙っておけばバレないという趣旨なのだろうな)

と、誤認していた。

 

さらに言えば、中国政府は処理水の安全性を理解した上で国民を煽り、政治的なカードにしているというのが一般的な理解だ。

そんな先入観から、黙っておけば得をするのに余計なことを言う方が悪い、という趣旨と読み誤っていた。

 

しかしわからない形で情報を発信し、それで義務を果たしたと考えているのであればそれはおかしい、という批判であれば、それは聞くべき言葉だ。

 

実際にSNSでは、著名な社会学者が「トリチウムが生物濃縮する」と、通常では想定できないリスクで政府を批判し、大きな話題になった。

知性が高いと想定される人ですら、である。

 

であれば、安全性の問題とは別に「怖がる方が悪い」という考えは決して容認すべきではないはずだ。なぜか。

多くの人が、それを“言われる側”になったことがあり、そしてその時に大きなストレスを感じたことがあるはずだからだ。

 

「わからない部下が悪い」

「理解できない社員の頭が悪い」

 

こんな言葉で、無能な上司や経営者に苦しんだ経験がある人は、きっと多いだろう。

言うまでもなく、理解できない言葉で説明し、部下がそれを理解できないのであれば、それはリーダーの責任である。

 

“わかろうとしない人”のことは、ここでは議論しない。

理解しようと努力しても難しい人、地元の水産業者・農業者など、実利を失い納得できない人を一緒くたにすべきではない、ということである。

 

改めて今回の“異文化交流”では、「中国の人」という先入観から、最初の言葉の意味を捉え損なった。

 

「都銀出身のエリートであれば、増資の実務くらい知っているだろう」

そんな思い込みで仕事を壊しかけた時から全く成長できていない自分に、冷や汗をかいた。

 

言葉の背景を探り、質問を一つ追加するだけでも結果は全く異なることに改めて気がつかせてくれた李さんには、本当に感謝している。

 

なお余談だが、この飲み会ではこの後、こんな微笑ましい会話があった。

 

「そうだ桃野さん、聞いて下さい。昔、北海道直送の毛ガニを食べさせる大阪のお店に李さんをお連れした事があるんですね?」

「美味しそう、ぜいたくで羨ましいっす!」

 

「ぜいたくなんてもんじゃありません。1杯6万円です」

「ひゃー…」

 

「するとその帰り道、彼女なんて言ったと思いますか。『信じられない!バカじゃないの!もう二度と行かない!』って言ったんです…。ひどすぎますよね?」

 

“思い込みはダメ!”と言っておきながら何だが、大陸や台湾の人は、一度でも「身内認定」した相手には本当に愛情深い人が多い。

そのため、多くの日本人的な感性では時に、人間関係の距離感がバグっていると思うことがある。

そんな経験を何度かしたことがある私には、この感覚はすぐに理解できた。

 

「いえいえ、それは多分違います。それは李さんの愛情ですよ」

「え、なんでですか?」

 

「商品不相応のお金を、大事な人に使わせたくないという価値観だと思います。形式的な礼儀よりも、相手のことを大事にしたいという想いの現れです。李さん、あってますか?」

「そう、桃野さんの言う通り!なんでわからないの?」

 

情報があふれる令和の時代でも、それを使いこなすのは本当に難しい。

しかし、だからこそ楽しい。

 

 

 

 

【プロフィール】

桃野泰徳

大学卒業後、大和證券に勤務。
中堅メーカーなどでCFOを歴任し独立。

私はいい歳をして今でもエビフライが大好きなのですが、なぜ外食やスーパーで売ってるエビフライは、「パン粉(エビ入り)」なのかといつも腹立たしく思っています(泣)
薄衣のエビフライを、どこかの会社さん、本当に冷凍食品で売ってください!

twitter@momono_tinect

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Photo by:Juairia Islam Shefa