大規模な仕様変更などで現在、ユーザーに混乱が目立つTwitter(現X)。

オーナーであるイーロン・マスク氏は、Xだけでなく、テスラやスペースX、直近話題のブレイン・マシン・インタフェース開発企業のNeuralinkなどの経営も担っており、多忙を極める身です。

 

しかしそんな状況でありながら、2023年5月の報道によれば、マスク氏は、テスラ社の全ての新規採用について、自身の承認がなければ認めないという方針を示しました。

 

全ての新規採用に関与する姿勢に、その必要はあるのかと多くの人は疑問を抱くでしょう。しかしこの方針の根底には、マスク氏の経営戦略にも繋がる、ある採用観が見えてきます。探ってみましょう。

 

成功のためには、採用は絶対に妥協しない

企業を立ち上げる際、「最低でもA評価でなければ入隊させない」ということを実践してきた―これは2008年のWeb 2.0 Summitでの発言ですが、ここからはマスク氏の採用に対する強いこだわりが見えてきます。

 

彼はスタートアップを将来的に優れた大企業に育てるためには、このルールを厳格に守る必要があると考え、「特殊部隊戦略」と呼びました。同時に「非常に厳しい環境を乗り越え、最終的に影響力の大きな企業に育て上げるためには、極めて高い能力を持ち、組織のために命をかけて働く人材を集める必要がある」とも発言しています。

 

実は、“成功のためには、採用は絶対に妥協しない”という考えは、組織づくりにおいて非常に重要な鉄則です。

 

たとえ自社が今、人材不足だとしても、採用基準を緩めてはいけません。なぜなら、妥協して基準に満たない人材を採用してしまえば、後々組織に好ましくない影響を与えてしまうからです。

 

例えば、採用した人材への育成コストが想定以上にかかることで現場の負担が増したり、その人材がカルチャーに合わない場合は職場の人間関係を乱したりする可能性があります。これらが重なると、現場の士気が下がったり、業務の品質が落ちたりするなどの問題が生じるおそれがあるのです。

 

組織で発生する問題の中には、元をたどれば採用の失敗が原因である場合があります。マスク氏の姿勢は、おそらくこうした採用の妥協によるマイナスの影響を考慮してのことでしょう。

 

最初に人を選び、後から目標を決める―『ビジョナリー・カンパニー2』との共通点

さて、ここまでマスク氏の採用観を見てきましたが、経営の観点からも彼の思想を紐解いていきましょう。

 

参考にするのは、ジム・コリンズ著『ビジョナリー・カンパニー2 飛躍の法則』で示されている原則です。多くの経営者に読まれ、絶賛されている経営の名著のひとつである本書のなかでも、採用の重要性が説かれています。有名な一節「だれをバスに乗せるか。最初に人を選び、その後に目標を選ぶ」をご紹介します。

 

ここでは、飛躍を導いた指導者は、次の3つの真実を理解している、と言います。

 

第1に、成功を収めるためには「何をすべきか」よりも「誰を選ぶか」を先に考えるべき、ということです。そうした組織であれば、行き先を柔軟に変えることもでき、環境変化にすぐに対応できるでしょう。

 

第2に、適切な人材が組織に参加してくれれば、動機付けや業務管理などの問題はほとんど発生しないということです。組織に相応しい人材は自らの意欲を持ち、最高の成果を出すために行動してくれるのです。

 

第3に、不適切な人材が多い組織は、たとえ優れた方向性や計画があっても偉大な企業にはなりえないということです。偉大な人材が揃っていなければ、どれだけ素晴らしいビジョンがあったとしても、意味を持ちません。

 

お分かりの通り、先ほど見てきたマスク氏の採用観とは、共通点が多いでしょう。さらに本書では、「疑問があれば採用せず、人材を探しつづける」とも述べられており、採用は妥協してはいけないことが強調されています。

 

ただ、ここまで見てきて、ふとこう疑問を持った方もおられるでしょう。「採用にコミットする重要性はわかったが、なぜ、マスク氏自ら関わり続けるのか?」という疑問です。

 

あくまで推測ですが、マスク氏が採用に関わるのは、経営戦略上の理由があるのではないかと考えます。

 

マスク氏が採用にコミットする理由とは?―経営戦略の一端に迫る

環境変化が激しい現在、優れた戦略だけで競争を勝ち抜くのは困難です。つまり、競争優位性の源泉はその実行を担う人材にあるのです。採用によって事業の成功可否が決まると言っても過言ではありません。

 

しかし、採用が経営上重要と言いながらも、組織の規模が大きくなると、経営者は見るべき範囲が広がり、やむを得ず採用現場から遠ざかってしまいます。代わりに、採用責任者や担当者に任せるようになりますが、その際、発生するのが採用のジレンマです。

 

採用責任者や担当者も「採用は妥協してはならない」とわかっていながらも、その厳格さを保てずに妥協してしまうことがあります。それは「人手不足を埋めるために急いで採用しなければならない」という焦りによるものです。

 

経営からは事業成長には人材が不可欠だと言われ、現場からは待つ余裕がないから急いで人材を採用してくれとの要求が寄せられます。採用責任者や担当者は、こうしたプレッシャーに挟まれるのです。しかし、どんな魅力的な企業でも優秀な人材を採用するのは簡単ではありません。

 

こうしたプレッシャーの中で不意に「採用後に育成すれば良い」という甘い囁きがあると、いつしかその厳格さは失われていきます。結果は想像にかたくなく、やがて組織は平凡化し、弱体化していくという訳です。

 

こうした背景を踏まえるとマスク氏は「非常に厳しい環境を乗り越え、最終的に影響力の大きな企業」を実現するための経営戦略において、自らが採用の強いリーダーシップをとることが重要だと考えていると捉えることができます。

 

イーロン・マスク氏は一見破天荒な行動をとる人物ですが、彼の思想を探ってみると、実は経営の基本原則に従って行動していることがわかります。今回のテスラにおける採用への関わり方も、極めて原理原則に基づいていると言えるでしょう。

 

経営者が採用に本気で取り組んでいるかどうかが、企業の将来を決めるのです。それはマスク氏がこれまで手掛けた事業を見れば、火を見るよりも明らかです。

(執筆:太田 昂志

 

 

 

 

 

【著者プロフィール】

グロービス経営大学院

日本で最も選ばれているビジネススクール、グロービス経営大学院(MBA)。

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