世の中には、なにかにつけ「適当にやっといて」と言う人がいる。
そのくせ、こっちが「こうかな」と考えて動いても、「いやそうじゃなくてさ」「こういうつもりだったんだけど」と後から文句をつけてくる。
みなさんも、「希望があるなら先に言えよ!」とイラついた経験があるんじゃないだろうか。
というわけで今回は、「適当にやっといて」という理不尽と対策について書いていきたい。
「適当にやって」と言ったくせに「そうじゃない」と否定する
「適当にやっといて」という言葉の理不尽さを初めて経験したのは、記憶を遡ると、おそらく高校時代に焼肉屋でアルバイトしていたときだ。
わたしはキッチン担当で、初めて盛り合わせメニューの注文を受けた。
リーズナブルな大衆焼肉チェーン店なので、やや値段が張る盛り合わせ系のメニューを選ぶ人はかなり少ない。
キッチン横のマニュアル表を見て、書いてあるとおりの種類・グラムの肉を用意する。が、どう盛り合わせるべきなのかがわからない。メニューはアップできれいに撮ってるから参考にならないし。
というわけで、店長に聞いてみた。
「どう盛り付けたらいいですか? このお皿も使ったことないからよくわかんなくて」
「適当でいいよ!」
なるほど、じゃあとりあえず種類別にいい感じに横に並べていこう。あんまり時間がかかると肉が悪くなっちゃうからパパっとやって……。
8割ほど盛り付けたところで、様子を見に来た店長が「いやいや、そうじゃないだろ」と言いながら新しいお皿を取りだし、わたしが盛り付けた肉を並べなおしていく。
「肉を盛り合わせるっていったら、こうやってバラみたいにするのが普通だろ」
……じゃあなんで最初からそう言ってくれなかったんだよ! 知らねーよ!
大学生時代、居酒屋バイトでも似たようなことがあった。
大雨で閑古鳥が鳴く23時前、一組のお客様がご来店。新人バイトだったのでお客様をご案内したことがなく、バイトリーダーという名の先輩に「どうすればいいですか」と相談。
「適当に案内して」と言われたので、お客様に「どこでもいいですよ!」と言ったところ、厨房に近い小上がり席にするとのこと。
お客様が席に着いたのを見たバイトリーダーがしかめっ面でやってきて、「あそこに客がいたら厨房も他の小上がり席も掃除できないだろ!」とご立腹。
……いや、だからそういうのは言えって!! わかんないから聞いたのに「適当でいい」って言ったのそっちだろ!!
というのをオブラートに伝えたところ、「適当だからってどこでもいいわけじゃない」らしい。
「適当に」って結局のところ、「俺が望むものを察してその通りにしろ」ってこと?
こと細かく指示しろとまでは言わないが、ある程度「こういうものを望んでいる」と言ってくれればいいじゃないか。
コミュニケーションが雑だから「適当でいい」で済ませてしまう
こういった人たちは、いったいなぜ「適当でいい」と言うんだろう。
おそらく全員に共通しているのは、コミュニケーションを面倒くさがっていることだ。
「肉を盛り付けろと言ったらバラのように華やかにするだろう」
「お客様を席に通すなら、まずこの席に優先的に案内するだろう」
このように認識のすり合わせをせず、相手も自分と同じ基準で判断するだろう、という甘い見積もりで指示を出す。
「相手は自分と同じイメージを持っているはず」と思っているから、想定外の行動をされると、「なんでそんなことをするんだ」と理解ができない。
もしくは単純に、いろいろ説明するのが面倒くさいからとりあえずやらせて、後からダメ出しすればいいと思っている。
しかし当然ながら、言われた側としては「ノーヒントで正解にたどり着け」と無茶振りされているのと同じだし、後からダメ出しされたらイラッとする。困ったものだ。
ではどうするか。
こういう「コミュニケーションが雑な人」に対しては、「これでいいですか?」と一度確認すれば、経験上わりとうまくいく。
肉の盛り合わせなら「種類別に横に並べる感じでいいですか?」と聞けばいいし、お客様を席に案内するなら「51か61卓らへんにしますね」と言えばいい。
「どうしたらいいですか」と聞くから「適当に」と返ってくる。
こちらから「これでいいですか」とプランAを出せば、イエス/ノー、もしくはプランBが返ってくるのだ。
後からなにか言われても、「一度確認したとおりにやったので」と言い返すための保険にもなる。
コミュニケーションが雑な人に対しては、こっちが一言付け足せばだいたいうまくいく。
「俺が求めているものを察するのがお前の仕事」という厄介な人
しかし大人になってから、「適当にやっといて」を使う人のなかでも、さらにタチが悪いタイプがいることを学んだ。
それは、「俺が求めているものを察するのがお前の仕事」というスタンスの人だ。
なんで俺が理解してもらう努力をしなきゃいけないんだ、お前が察するべきだろう。
俺の望みを理解できなかったお前が悪いから、俺が不機嫌になるのも当然。
お前がもっと努力をしていれば俺を満足させられたのに、使えないヤツめ。
こういう思考回路をしている。
以前とあるオフィスにお邪魔したとき、詳しい背景はわからないが、上司に注意を受けている若い部下がいた。
どうやら部下がで提出したプレゼンの資料が、上司のお気に召さなかったらしい。
「こんなんじゃなにも伝わらないだろ」
「どこを変えたらいいですか?」
「全体的にもっといい感じにさぁ」
「商品ロゴのカラーと色味を揃えたんですが、もうちょっと派手なほうがいいってことですか?」
「いやいや、それを考えるのがお前の仕事だろから」
「……はい、やってみます」
ざっくりとした上司の意見に対し、部下は具体的に「こうすればいいか」と聞きなおしている。それでもその質問に答えず、上司はあくまで「どうやったら俺が満足するか考えろ」と突き放す。
あんな上司の元で働きたくないなぁと思ったので、このやり取りは記憶に残っている。
いったいなぜ、ちゃんと指示してあげないのだろうか。
「適当にやって」は指示ではなくテスト
こういうタイプはきっと、相手を試しているのだ。
お前はもう3年も俺の下で働いている。俺がどういう資料を好むかわかっているはずだ。
資料をまとめるための知識・経験も与えた。それならもうできるだろう。
さぁ、俺を満足させる資料を作れるかな?
こんな具合に。
たとえば、恋人に「誕生日プレゼントなにがほしい?」と聞かれて、「なんでもいいよ(わたしのことが好きなら、なにを欲しいかわかるでしょ?)」と答える人と同じだ。
で、期待とはちがったプレゼントをもらったら、「わたしのことなにもわかってないじゃない!」「このブランドは嫌いって言ったの覚えてないの!?」「いつもシルバーのアクセをつけてるのにゴールドなんてありえない!」と怒り出す。
「わたしのことを理解しているかテスト」に不合格だった恋人はひどいヤツだ。わたしが怒るのも当然だし、相手は謝って一生懸命正解を探すべき。
こういう考えだから、「適当にやっておいて」を指示として受け取ると、ほぼ確実にコミュニケーションエラーが起こる。これは、「俺のことを理解してるかどうか」というテストなのだ。
テストをしているんだから、そりゃ「答えを教えてください」って言っても教えてくれないよな……。
ここで真意を汲み取って期待以上のものを用意できるのが有能なのかもしれないが、エスパーじゃないかぎりなかなかむずかしい。
こんな理不尽なテストをされた場合、どうするべきなのだろう。
「説明するのがお前の仕事」への対策
経験上、「察するのがお前の仕事」派への対策はひとつ。
「後だしには対応できませんよ」だ。
自分なりに一生懸命やります。でも正しい答えを導き出せるかはわかりません。うまくいかなかったら、それはヒントをくれなかったあなたに責任がありますからね。後からどうこう言われたって知りませんよ、必要なことは今言ってください。
相手はテストをしているのだから、「問題が成立するように条件付けするのが出題者の義務だぞ」と伝えるわけだ。
面積を求める問題で、辺の長さや角度の情報がなく、ただ三角形の図形を渡されても困る。説明がないのなら、こっちが勝手に条件を付けて解くからな。
後から「実はこれ10cmなんだよ」って言われても知らん。問題文に書いてないほうが悪い。
こういうスタンスでいくしかない。
もちろんこれは、わたしがフリーランスだから言えることであって、組織のなかではむずかしいかもしれない。
期待の現れとして、「うまいことやれ」と任されることもあるだろう。
でも「俺が求めるものを察しろ」という人に対し、「説明するのがそっちの仕事」と言い返すのは、時には必要だと思う。
プレゼンの資料でいえば、
「自分の認識ではこの資料で十分だと思っているので、具体的な改善点を言っていただけないかぎり修正すべき場所がわかりません。ご指摘いただけますか」
という感じだろうか。
「いちいち指示しないとなにもできないのか」「ちょっと考えればわかるだろ」「甘えるな」なんて言われそうだが、「自分とあなたのイメージがちがうので考えてもわかりません、教えてください」としれっと言い返せばいい。
だってわかんないんだもの、しょーがないよ。
こと細かく指示を求めると、相手も面倒になって「んじゃこことここだけ直しとけ」と合格基準を提示してくれたりもするし。
「適当にやっといて」と言うのは、お互い価値観のすり合わせが済んでいる間柄、もしくはどんな結果になっても文句を言わない覚悟がある場合のみにしておくべきだ。
そうじゃないのに「適当にやっといて」と言う人に対しては説明を求め、それでもダメなら、「後だしには対応しません」と言う。
実際にやるのはなかなか勇気が必要だが、「具体的な指示がないからとりあえずこうしますが、後から訂正は受け付けません」と事前告知すると、案外具体的な指示が返ってきたりもする。
【安達が東京都主催のイベントに登壇します】
ティネクト代表・安達裕哉が、“成長企業がなぜ投資を避けないのか”をテーマに東京都中小企業サイバーセキュリティ啓発事業のイベントに登壇します。借金=仕入れという視点、そしてセキュリティやDXを“利益を生む投資”とする考え方が学べます。

こんな方におすすめ
・無借金経営を続けているが、事業成長が鈍化している
・DXやサイバーセキュリティに本腰を入れたい経営者
・「投資」が経営にどう役立つかを体系的に学びたい
<2025年7月14日実施予定>
投資と会社の成長を考えよう|成長企業が“投資”を避けない理由とは
借金はコストではなく、未来への仕入れ—— 「直接利益を生まない」とされがちな分野にも、真の成長要素が潜んでいます。【セミナー内容】
1. 投資しなければ成長できない
・借金(金利)は無意味なコストではなく、仕入れである
2. 無借金経営は安全ではなく危険 機会損失と同義
・商売の基本は、「見返りのある経営資源に投資」すること
・1%の金利でお金を仕入れ、5%の利益を上げるのが成長戦略の基本
・金利を無意味なコストと考えるのは「直接利益を生まない」と誤解されているため
・同様の理由で、DXやサイバーセキュリティは後回しにされる
3. サイバーセキュリティは「利益を生む投資」である
・直接利益を生まないと誤解されがちだが、売上に貢献する要素は多数(例:広告、ブランディング)
・大企業・行政との取引には「セキュリティ対策」が必須
・リスク管理の観点からも、「保険」よりも遥かにコストパフォーマンスが良い
・経営者のマインドセットとして、投資=成長のための手段
・サイバーセキュリティ対策は攻守ともに利益を生む手段と考えよう
【登壇者紹介】
安達 裕哉(あだち・ゆうや)
ティネクト株式会社 代表取締役/ワークワンダース株式会社 代表取締役CEO
Deloitteにてコンサルティング業務に従事後、監査法人トーマツの中小企業向けコンサル部門立ち上げに参画。大阪・東京支社長を経て、2013年にティネクト株式会社を設立。
ビジネスメディア「Books&Apps」運営。2023年には生成AIコンサルティングの「ワークワンダース株式会社」も設立。
著書『頭のいい人が話す前に考えていること』(ダイヤモンド社)は累計82万部突破。2023年・2024年と2年連続で“日本一売れたビジネス書”に(トーハン/日販調べ)。
日時:
2025/7/14(月) 16:30-18:00
参加費:無料
Zoomビデオ会議(ログイン不要)を介してストリーミング配信となります。
お申込み・詳細
お申し込みはこちら東京都令和7年度中小企業サイバーセキュリティ啓発事業「経営者向け特別セミナー兼事業説明会フォーム」よりお申込みください
(2025/6/2更新)
【著者プロフィール】
名前:雨宮紫苑
91年生まれ、ドイツ在住のフリーライター。小説執筆&
ハロプロとアニメが好きだけど、
著書:『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』(新潮新書)
日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち (新潮新書)
- 雨宮 紫苑
- 新潮社
- 価格¥760(2025/06/04 01:15時点)
- 発売日2018/08/08
- 商品ランキング288,556位
ブログ:『雨宮の迷走ニュース』
Twitter:amamiya9901
Photo:Brett Jordan