どうもしんざきです。最近ようやく「店でちゃんと挽いてもらったコーヒー」の美味しさに気づき、遅まきながら人生初のコーヒー店通いを始めています。人生には色んな沼があるものですね。カフェインを摂り過ぎないように気をつけます。

この記事で書きたいことは、大体以下のようなことです。

 

・中学受験の際、長女と次女の成績が一時期伸び悩んでいました

・二人で問題を出しあってきゃっきゃ遊んでいるのをみて、作問学習が有効かもなーと思いつきました

・「相手が間違えそうな問題を作る」というテーマでちゃんと作問をさせてみたら、その科目の成績がだいぶ伸びました

・作問学習は一般的なものですが、特に「間違わせ方を考える」ということを意識するのは、間違わせ方のパターンを学べるという点で試験対策に非常に有用です

・一歩進んで、「出題者の意図を考える」というところまで行けると、仕事をする上でも重要なノウハウになります

・出題者、依頼者の立ち位置に立って考えることで、「抜け・漏れが発生しそうなポイント」「間違えやすいポイント」への鼻が利くようになります

・要件の怪しいところを早めに掘り出すテクニック大事ですよね。若手さんにも伝えています

 

以上です。よろしくお願いします。

さて、書きたいことは最初に全部書いてしまったので、後はざっくばらんにいきましょう。

 

しんざき家の長女次女は双子で、それぞれの理由で中学受験を希望しまして、今年の春先まで二人そろって中学受験生でした。

幸い二人とも希望の中学にいけることにはなりまして、親としては相当ほっとしました。

 

育児の苦労というものは過ぎてみるとあっという間に薄れてしまうもので、中学受験についてもたった数ヶ月で既に大変さを忘れつつあります。とはいえ、思い返してみると「二人同時の中学受験」というものはそこそこ大変だったような気がします。

 

その為、自分の忘却対策ということもあり、この記事では長女次女の受験勉強の頃にちょっとした成果があった工夫について書いていこうと思います。

 

長女と次女は双子ではありますがお互いあんまり似ておらず、長女が内気で次女が社交的と性格もだいぶ違うのですが、受験に際する得意科目も違いました。

具体的に言うと、長女は算数が得意で理社が苦手、次女は国語や歴史が得意で算数がやや苦手でした。ほぼ正反対なわけです。

 

どんな子どもでもそうだと思いますが、進み具合、伸び具合というのは子どもそれぞれでして、伸びる時期もあれば停滞する時期もありますし、やる気が出る時期もあればサボりたくなる時期もあります。受験って長距離走ですから、ずっと全力疾走だと最後までもたないということもあり、途中で気合いが抜けるのも悪いことばかりだとは言えません。

 

当時、長女次女は中だるみの時期まっさかりで、勉強にも身が入らないし宿題もやりたくない、という風情でした。

得意科目にせよ苦手科目にせよ、塾のテストでも成績が伸びず、大丈夫かなーとは思いつつも様子を見ていました。この辺、ただ「勉強しなさい」と言えばいいという話でもなく、下手に口出しをしても子どもが反発して親子ともども疲弊するだけなので、タイミングというものが重要です。

 

で、ある時、珍しく二人並んでテスト問題を開いてきゃっきゃ楽しそうにしているので、どうしたのかなーと思ってみていると、お互いの得意分野についての問題を出し合っては、出来た出来ないで盛り上がっているのです。

御成敗式目がどうとか、六波羅探題がどうとか聞こえたので、まあ鎌倉時代の歴史の範囲だったのでしょう。

 

で、補習塾の講師時代、「お父さんお母さんに出す問題を作ってみよう」というやり方で、勉強に対するモチベーションが出来た子が何人かいたことを思い出しました。更にさかのぼってみると、私自身、「自分で問題を作ってみる」という勉強のやり方はしばしば行っていました。

 

長女次女、どちらも勉強好きとは言い難いのですが、なぞなぞやクイズは昔から大好きで、特に「出題して答えてもらう」ということが楽しいタイプなので、これちゃんとやればいい勉強になるんじゃないかなーと思いました。学習進度がちょうど同じくらいの子が四六時中一緒にいる、というのはなかなか得られないメリットです。

 

二人が落ち着いたタイミングで、ちょっと声をかけてみました。

 

私「クイズしてたの?」

長女「してた!さっきから引き分けばっか」

私「そのテストこの前やったばかりだし、大体覚えたって言ってなかった?」

次女「うん。全部答えられたよ」

私「じゃあ、問題集に書いてない問題自分で作ってみたら?」

長女「えー。問題の作り方なんてよくわかんない」

私「どうやって間違わせようかなーって考えるといいんだよ。上手くひっかけて間違わせたら勝ち」

 

こう言ってみると「面白そうだ」と思ってくれたようで、二人とも乗り気になりました。幾つか適当に作問してみせたら「出来そう!」と思ってくれたようなので、折角だから以前使ったクイズアプリを使って、問題集もちゃんと印刷してクイズ大会形式にすることにしました。うちの子の場合、形をちゃんと整えると大体やる気になります。

 

元々、「問題を作る」こと、つまり作問が学習の方法として有用であることは、色んな研究で確認されており、論文もたくさん出ています。以下は愛媛大学の方の論文の引用です。

「作問学習」の効果に関する実践的研究

多くの学習者にとって問題とは受動的なものであるが,このような学習者にとって問題を作成することは問題に対して能動的になる体験であり,自身の行う問題解決や
学習に対する態度も改善されるとされている。

で、「間違わせ方を考える」というアプローチ。これが教育者であれば「間違わせたら勝ち」というスタンスにはもちろん問題があるのですが、子どもの学習の上でそんなことは関係ありません。

特にうちの子は勝負ごとが大好きなので、「勝ち負け」があることがモチベーション的に極めて重要です。

 

その上で、「どうやって間違えさせよう?」と考えることには大事な意味がありまして、

・「間違わせ方」のパターンを学び、特に選択問題に強くなれる

・正解だけではなく間違いの選択肢も考える上で、広い範囲の知識や考え方になんとなく触れられる

・出題者の視点を意識することによって、題意をより深く読み解くことが出来るようになる

これくらいのメリットはあると思うんです。

 

まず一つ言えることとして、出題者の視点で見ると、「間違わせ方」を考えるのって結構難しいんですよね。

例えば選択問題を作る際、回答者に「引っかかってもらう」為には、ある程度ちゃんと選択肢を考えなくてはいけません。「どう考えてもこれ違うよね」という選択肢ばかりだとあっさり解かれてしまって面白くありませんし、かと言ってあまりに正解に近い選択肢ばかりだと、勘頼みの間違い探しになってしまって問題としての価値がありません。出題者としては、出来れば「あー言われてみるとそうだ、引っかかった!」と感じて欲しい。

 

飽くまで例えばの話なんですが、日本史で選択問題を作るとしましょう。ちょうどさっき鎌倉時代の話が出たので、ここでは「承久の乱について、次のうち正しい記述を選びなさい」という問題にしてみましょう。

で、正解の選択肢は「1221年に鎌倉幕府の軍と後鳥羽上皇の軍との間で起こった戦争で、幕府側が勝利を収めたことによって、幕府の支配が畿内や西国にも強く及ぶようになった」という文章にしてみましょう。

 

じゃあ、この問題の「間違いの選択肢」って、どんなものがいいでしょう?言い方を変えると、出題者としては、回答者にどんな勘違いをして欲しいでしょう?

 

一例として、「違う時代の別の乱(例えば応仁の乱とか)について記述する」というパターン。「登場人物や場所の一部が違う(後鳥羽上皇じゃなくて後醍醐天皇になっているとか)」というパターン。「乱の経緯は正しいが結果が違う(幕府側が敗北した、ということになっているとか)」というパターン、あるいは逆に、「結果は正しいが経緯が違う」というパターン。

 

こういう「間違いのパターン」を自分で考えてみると、「思った程間違わせ方のパターンって多くないな?」ってことも分かるし、「じゃあどこに注意して読めばいいのか」ということも分かりやすくなるんですよ。

 

出題者だって同じ人間なんで、そんなにいくつもいくつも間違いのパターンを考えられるわけじゃありません。

結果、問題を解くとき、「あ、この問題は、こういう間違わせ方をさせようとしているな」という勘が働くようになる。これは、別に選択問題だけの話ではなく、数学の文章題だって、現代文の読解だって同じことです。

まず、これがすごーーく効果として大きいんですよね。

 

次に、「問題を考えるには、問題を解く側以上にその範囲について理解していないといけない」という話。

 

先ほどの承久の乱で言うと、当たり前のことですが、そもそも承久の乱についてちゃんと知っていないと正解の選択肢は作れませんし、一方後鳥羽上皇以外の「勘違いしやすそうな歴史上の人物」を知っていないと、「あー引っかかった!」という選択肢は作れません。いくらなんでも登場人物が織田信長や豊臣秀吉じゃ、一瞬で「違うやん」と切り捨てられてしまって面白くないでしょう。

 

「この知識、問題作りに使えないかな?」という、いわばネタ探しのスタンスが、勉強のモチベーションにつながりやすいんですよね。

 

いざ問題を作るとなると、ただ「問題を解く為に暗記する」よりも、一段深く、広く、かつ積極的にその分野に触れることになります。自分が間違った問題について、「これはなんで間違いだったのか」ということを考える助けにもなります。これが二つ目のメリット。

 

そして、「出題者の視点を意識出来るようになる」という点。

ただ「解く」側の視点しか持っていないと、問題を飽くまで「解かなければいけないハードル」としか意識出来ないんですよね。だから、問題文を読み解く時も「何を尋ねられているのか」という意識に固定されてしまいやすいし、読み方も表層的になりやすい。

 

キャッチボールで言えば、ボールを受け取るだけで、投げる経験をしていないようなものですよね。視点が固定されていると、文章に対する理解も浅くなりやすいんです。

 

一方、問題を作る、つまり「投げかける」側の体験をしていると、先ほどの「間違わせ方」のように、「この文章を書いた人にはどんな意図があったのか?」「この文章は何を伝えたいのか?」ということをより具体的に理解出来るようになる。いわば、題意についての解像度が上がりやすくなる。

この辺り、作問学習、特に「間違わせ方」に着目した作問の重要なメリットだと思います。

 

長女次女にはこの「問題の作りっこ」が結構刺さったらしく、この後受験の終盤まで、色んな問題を作っては相手に投げつけあっていました。思った以上に熱が上がったので、私も結構びっくりしました。

別にこのやり方だけが刺さったというわけではなく、本人たちの努力も工夫も色々あっただろうと思うんですが、ほどなく長女次女の勉強へのモチベーションは徐々に上向いて、受験も成功に終わったと、そういう話なわけです。

 

***

 

もちろん、これはしんざき家でたまたま刺さったひと工夫であって、色んな家庭で一般的に使えるという話でもないんです。向いている子もいればそうでない子もいます。最初に書いた通り、しんざき家の場合は双子がそろって受験することになり、すぐ近くに学習進度が近い相手が常駐していたということも大きかったでしょう。

 

とはいえ、「出題者の視点になる」「出題者の意図を読む」という思考法は、大人になっても割と重要で、使う機会が多いスキルです。特に、「クライアントから何かを依頼された時」「仕事の要件をヒアリングする時」といったタイミングで、依頼者の立場に立って物事を考えられるかどうか、というのは非常に大きいです。相手の意図を読み取る時にも、要件の漏れを探す時にも、「依頼側の視点」というものは役に立ちます。

 

受験勉強での経験が社会人としてのスキルに直結する、なんて言う気は全くありませんが、とはいえ自分の経験に関して言うと、「立場の入れ替え」を頻繁に経験していた、というのは仕事の上でもそこそこ大きかったように思います。

 

今後も「問題を作る側」に立つ経験は子どもにもさせてあげたいですし、また職場の新人さんたちにも、折に触れて「依頼側」に立つ経験はさせてあげたい、と。

そういう話だったわけです。

 

今日書きたいことはそれくらいです。

 

 

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【著者プロフィール】

著者名:しんざき

SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。

レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。

ブログ:不倒城

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