20代半ば、一切経験がないまま、わたしはフリーライターになった。
正確にいえば、趣味で書いていたブログで注目していただいた時期だったので、その波に乗って「ライター」を名乗り始めた感じだ。
10年前は空前のブロガーブームで、新卒フリーランスがもてはやされ、みんなが「自分らしく」を大合唱していた。
御多分に洩れず、わたしも「自分にしかできないこと」を探していたし、文章で「自分」という個性を全面的に出すことこそが自分の生きる道だと思ったのだ。
でも今月で33歳になる今日この頃、当時を思い返すと、「あのころは若かったなぁ」と思わず苦笑いしてしまう。
そもそも「自分にしかできない仕事」なんてないし、「自分がやりたいこと」ばかり考えている時点で、その仕事はいい結果に結びつかないのだから。
「自分にしかできないことをしたい」vs.「自分を捨てろ」
みなさん、鈴木敏夫氏をご存じだろうか。
スタジオジブリの代表取締役社長を務め、『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』『ハウルの動く城』などのプロデューサーを任されていた方だ。
本記事では、プロデューサー補として鈴木氏の薫陶を受けた石井朋彦氏が著した、『自分を捨てる仕事術』という本を紹介したい。
この本はタイトル通り、石井氏が鈴木氏に「自分を捨てろ」と言われるところからはじまる。
「若いっていうのは、まわりからは何も期待されていないということなんだ。それを自覚することがいちばん大事。若いときにしかできない仕事というものがある。それは、自分の意見を持たないこと」(……)
当然、反発はありました。
ぼくは、かなり重症な、プライドの高い自意識過剰な若者でした。自分の意見を持たないなんて、生きている意味がない。「自分にしかできないこと」「自分らしさ」「自分だけのアイデア」を発揮することこそ、仕事において、人生においてもっとも重要なことだと考えていたのです。
石井氏のように、自分にしかできないことを見つけたい、それをまわりに認めさせたい、という願望はだれしもがもっている。
若ければなおさらだ。
わたしもそうだった。
みんながリクルートスーツを着てあくせく就活をしているあいだ、自分は海外に行って、ブログで世界に自分を発信するぜ!他の人とはちがうんだ!と、かんたんにいえば調子に乗っていた。
とくにいまの時代はみんな「多様性」が大好きだから、「まわりと一緒」よりも「自分だけ」という言葉に惹かれる人は多いだろう。
でもそれって、仕事において、本当に大事なことなんだろうか。
仕事で自分の意見を通せれば、それは成功といえるんだろうか。
仕事において、「だれが言ったか」は本当に大事なのか
石井氏が最初に任されたのは、会議の手配をして、議事録を書くことだった。
ただ全員の発言を書きとるだけでなく、相手の身振り手振り、さらにはテンションといった細かいことも、できるだけ正確に書き込んでいく。
「自分の意見は考えなくていい」と言われていたから、ただひたすら、その場で起こったことをメモしていった。
その結果、どうなったか?
その場にいるだれよりも、議論の全体像を把握できるようになったそうだ。
もし自分の意見を出すことを目的としていたら、「Aさんの意見は気に入らない」「Bさんと意見が近くて気が合いそうだ」のように、主観で判断していただろう。
しかし石井氏は「意見するな」と言われていたので傍観者に徹した結果、自分の好き嫌いではなく、その議論においてなにが大切か?を考えられるようになったという。
鈴木さんは、ゼロから1を発想するタイプのアイデアマンではありません。みんなの意見やアイデアを総合的に判断し、もっとも優れたもの、その場に必要なものを、順列に組み立てます。
当初は、そこに反発していました。
「自分の意見」「オリジナリティーあふれるアイデア」を生み出すことがクリエイティブだと思い込んでいたぼくは、自分の意見を横取りされたかのような感覚になったのです。
鈴木さんは、ぼくが不満そうな顔をしていると、こう言いました。
「だれが言ったとか、どうでもいいじゃん」
まさに、目からウロコだった。
昨今のSNSでは、「なにを言ったかよりもだれが言ったかが大切」「だから影響力をつけろ」が通説になっている。
でも、本当にそうなんだろうか。
実際、フォロワーが数十人のアカウントのポストが1万いいねをもらうことだってあるじゃないか。
そりゃまぁ、インフルエンサーならそうかもしれない。でも組織のなかで動く人やそこらへんの一般人であれば、「だれが言ったか」なんてそんなに大事じゃない。
そもそもその人のことなんて、ほとんどの人は興味がないんだから。
「斬新な意見でまわりをあっと言わせる」ことだけがクリエイティブ、ましてや仕事の成果というわけではないのだ。
成功や自己実現にこだわると、心が狭くなる
本書のAmazonの商品の説明欄には、「20代の、右も左もわからない仕事人はもちろん、30代後半から40代の、多少の成功体験のあと『自己流の壁』にぶつかっている人に、ぜひ読んでいただきたい本です」と書いてある。
実は、わたしがこの本を手に取った理由が、まさにこれだった。
30代になって、自分の成長が頭打ちになっていると感じていたから。
ライターを名乗り始めたころは、書きたいことが明確にあって、なりふりかまわずそれを書いていた。批判コメントも多くいただいたけど、「いいや、わたしが伝えたいのはこれなんだ!」と突っ走っていた。
でも年齢や経験を重ねると、「ちがう視点からしたらそう見えるよな」とか、「こういう伝え方をしたら誤解されそうだなぁ」とか、いろいろ考えるようになってくる。
それ自体は悪いことではないんだろうけど、そのぶん、記事のメッセージ性が落ちているような気もしていた。
「わたしが書きたいことはなんだろう?」
「自分が成長するためにはどうすればいいんだろう?」
そんなことをぼんやりと考えていたとき、この本に出会った。
そして気が付いたのは、結局仕事とは、「だれかのためにする」ということ。
「自分が伝えたいこと」「自分の成長」ばかり考えていたから、つまずいたのだ。
鈴木さんも宮崎さんも、自分のためにではなく、まわりのために、そして最終的には、作品を見てくれるお客さんのために映画と向き合っている。
それに対してぼくは、「自分のやりたい企画」「自分がいいと思うアイデア」に個室していた。(……)
よく鈴木さんは、
「自分のことばかり考えている人が、鬱になるんだよ」
と言っていました。
自分のモチベーションとか、成功とか、自己実現とか、そういうものにこだわりすぎる人は、どんどん心が狭くなる、というのです。
ライターであれば、「多くの人に読んでもらいたい」と思うのは当然だ。そのためにどうすればいいか、と頭をひねるのもまた当然。
でも読んでもらいたい理由が、「自分のメッセージを伝えたい」ではダメなんだと思う。
自分が認められたいから、自分に共感してもらいたいから、自分を理解してほしいから。
そうやって考えていたら、いつまでも「なんで伝わらないんだろう」と悩むことになる。なんでわかってくれないんだ、なんで評価されないんだ、と。
そうじゃなくて、まず「自分」というものを横に置いて、「なにを伝えるべきなんだろう?」と考えるべきだったのだ。
自分らしさは、知識と経験を身につけた後に確立するもの
「他人のために」とか、「相手が望んでいることを」とか、言葉でいうのは簡単だ。
でもやっぱり人には「認められたい」「褒めてもらいたい」「評価されたい」という気持ちがあるから、どうしても「自分が」というエゴが出てしまう。
それが、自分のやることが正しいと自己流に固執したり、自分のアイディアこそが一番だと押し通そうとしたり、自分よがりの言動につながっていく。
しかも自分自身は努力しているつもりだから、まわりが見えなくなっていることに気が付かない。で、狭くなった視野のなかで、進むべき道を見失ってしまう。
そんなときはどうするか。
答えはかんたんで、自分がどうこう、というのは忘れて、他人から学べばいいのだ。
石井氏の例でいえば、鈴木氏の仕事術や哲学を学び、会議で多くの人の言動を観察することで、大量のインプットをした。
その経験や知識を核に、他人のためにできることをしていった結果、「あなたに仕事を任せたい」という人が現れ、いまに至る。
そういう蓄積がないまま「自分」を全面に押し出しても、それは薄っぺらな虚像でしかない。核となるものが、あくまで「自分にはこういうことができるんだ」という虚栄心や過剰な自意識でしかないから。
そもそも、「自分らしさ」を出すのなんて、あとからいくらでもできることだ。
5年、10年と仕事をして、そのあいだに身につけた知識と経験で「自分」が確立されていく。「自分らしさ」を追い求めるのは、他人から学んだ基礎ができあがってからでいい。
なにも身につけてないくせに「自分が自分が」って言ってちゃ、そりゃ限界がくるよなぁ。
自分らしさを追い求めるなら、まず「自分」を捨てること
結局のところ、「自分らしさとはなにか」という答えを持っているのは、自分ではなく他人なのだ。
自分らしさなんて考えなくとも、まわりが勝手に「あなたはこれが得意でしょう?」「これができるでしょう?」と、わたしらしさを見つけてくれる。
「いやいや自分はこういう人間だ」と言ったところで、まわりが「ちがう」と言えば、それはきっとちがうのだろう。少なくとも、仕事においては。
「おわりに」を書きながら、鈴木さんの言葉をまたひとつ思い出しました。
「人は、自分のために他者を必要とするし、他者に必要とされる自分が自分なんだよ」
自分を捨て、他者の生き方を真似、自分に本来備わっているものを見据える。
そのために人は、だれかを必要とするのだと思います。
だからこそ一度「自分を捨てる」必要があり、「だれかを真似る」ことで自分を知り、他者に対する尊敬の念も獲得する。それが、人生における「学び」であり、仕事を楽しむ唯一の方法です。
たくさん学んで、真似して、視野を広く保つ。
そのなかで、「これは譲れない」とか、「この道のほうがいいんじゃないか」とか、そういうものがしぜんと見えてくる。
それが、「自分らしさ」なのだと思う。
あくまで相対的なものであって、最初から自分のなかに備わっている確固たるなにか、ではないのだ。
自分らしくとか、自分にしかできない仕事とか、そういうのは結局全部「自分のため」にすること。
他人から学ぶよりも「自分らしいもの」ばかり追い求めて自己流に走ったら、「自分はこうしたいのに認められない!」という自己中ループにハマってしまう。
「自分」に固執せずに他人に求められていることを考えろ。
改めて書くと当たり前だけど、なんやかんや「自分は自分は」になっちゃってたんだなぁ、といま反省中である。
「最近行き詰ってるなぁ」というときほど、他の人はどうやってるんだろうとまわりを見まわし、学び、「自分」をいったん捨てることが大切なんだなぁ、と思う。
ティネクト(Books&Apps運営会社)提供オンラインラジオ第4回目のお知らせ。

<本音オンラインラジオ MASSYS’S BAR>
第4回テーマ 地方創生×教育
2025年ティネクトでは地方創生に関する話題提供を目的として、トークイベントを定期的に開催しています。地方創生に関心のある企業や個人を対象に、実際の成功事例を深掘りし、地方創生の可能性や具体的なプロセスを語る番組。リスナーが自身の事業や取り組みに活かせるヒントを提供します。
【ご視聴方法】
ティネクト本音オンラインラジオ会員登録ページよりご登録ください。ご登録後に視聴リンクをお送りいたします。
当日はzoomによる動画視聴もしくは音声のみでも楽しめる内容となっております。
【ゲスト】
森山正明(もりやま まさあき)
東京都府中市出身、中央大学文学部国史学科卒業。大学生の娘と息子をもつ二児の父。大学卒業後バックパッカーとして世界各地を巡り、その後、北京・香港・シンガポールにて20年間にわたり教育事業に携わる。シンガポールでは約3,000人規模の教育コミュニティを運営。
帰国後は東京、京都を経て、現在は北海道の小規模自治体に在住。2024年7月より同自治体の教育委員会で地域プロジェクトマネージャーを務め、2025年4月からは主幹兼指導主事として教育行政のマネジメントを担当。小規模自治体ならではの特性を活かし、日本の未来教育を見据えた挑戦を続けている。
教育活動家として日本各地の地域コミュニティとも幅広く連携。写真家、動画クリエイター、ライター、ドローンパイロット、ラジオパーソナリティなど多彩な顔を持つ。X(旧Twitter)のフォロワーは約24,000人、Google Mapsローカルガイドレベル10(投稿写真の総ビュー数は7億回以上)。
【パーソナリティ】
倉増 京平(くらまし きょうへい)
ティネクト株式会社 取締役 / 株式会社ライフ&ワーク 代表取締役 / 一般社団法人インディペンデント・プロデューサーズ・ギルド 代表理事
顧客企業のデジタル領域におけるマーケティングサポートを長く手掛ける。新たなビジネスモデルの創出と事業展開に注力し、コンテンツマーケティングの分野で深い知見と経験を積む。
コロナ以降、地方企業のマーケティング支援を数多く手掛け、デジタル・トランスフォーメーションを促進する役割を果たす。2023年以降、生成AIをマーケティングの現場で実践的に活用する機会を増やし、AIとマーケティングの融合による新たな価値創造に挑戦している。
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(2025/6/16更新)
【著者プロフィール】
名前:雨宮紫苑
91年生まれ、ドイツ在住のフリーライター。小説執筆&
ハロプロとアニメが好きだけど、
著書:『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』(新潮新書)
ブログ:『雨宮の迷走ニュース』
Twitter:amamiya9901
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