アメリカ大統領選で、なぜ“優勢だったハリス氏”が敗れたのか。

識者とされる人が連日、多くの意見を述べている。

 

バイデン政権下での激しいインフレや経済政策の失敗が、勝敗を分けたという意見。

移民に寛容な民主党の主張が有権者に刺さらなかった、という趣旨の論評などが、特に目立つだろうか。

 

そんな中、とても印象深い日経新聞の記事を見かけることがあった。

“ハリス氏自滅、「嫌なヤツ」に賭けた有権者”と題した記事がそれで、最初の大見出しが以下である。

“気高い理念より明日の生活”

要旨、高学歴のリベラルな人たちと民主党が“貴族化”し、労働者階級から嫌われたというような内容だ。

 

記事の内容や選挙結果について、当否を述べるつもりは一切ない。しかしそもそも論として、この見出しには強い違和感を覚える。

これではまるで、“ハリス氏は人として気高く、正しい理念を説いている”ことが、疑う余地のない前提になっているように読める。加えて、ハリス氏と民主党を支持しない人は逆説的に品性が低く、正しさよりもカネを優先したと言っているようなものだ。

 

リベラルの著名な論客が、ハリス氏の敗北が決まった際に要旨、こんな発言で炎上していたことも記憶に新しい。

「トランプ氏が勝った州は大学進学率が低く、ハリス氏が勝った州は高い」

頭の悪い有権者がトランプ氏を支持し、知性ある人はハリス氏支持だったとして、こんな選挙結果はおかしいと批判する趣旨だ。

 

おもしろいことに、こういった日経新聞の分析、あるいはリベラルとされる人の発言にこそ、トランプ氏が勝利した理由が色濃く表れているのではないのか。

そしてハリス氏が負けた本質的な理由も、実はここにこそある。

 

「寿司屋だけは譲れへん」

話は変わるが、もう随分昔、20代の頃のこと。

友人との飲み会で、ノロケだか悩みだかわからない、こんな話を聞かされることがあった。

 

「俺の彼女、すごいインドア派でな。海とかスノボに誘っても、全然一緒に行ってくれへんねん」

 

そしてその彼女、学生時代はずっと吹奏楽部だったという。映画や読書が趣味で、同じ本を皆で読み、書評を述べ合うような会にも参加しているそうだ。

なるほど、大学時代にボートでインカレまで出た友人とは、少なくとも趣味は合いそうにない。

 

「そら仕方ないやろ。お前の体力とノリで海に誘われたら、俺だって少しひくわ。で、彼女はお前に、一緒に読書の会に入ろうとか誘ってくるんか?」

「さすがにそこは、空気呼んで何も言ってこーへんよ。誘っても絶対に行かへんってわかってるんやろ」

 

「そうか。であればお前も、あまり無理に外遊びに誘ってあげんほうが良いと思うぞ」

 

それでもまだ、好きな子と同じ趣味で楽しみたいだの、ブツブツ言い続けている。世の中によくあるカップルの悩みなのだろうが、漠然とした違和感を持ったまま、その日は別れた。

それから数ヶ月後のこと。同じ友人と飲んでいると、今度はこんなことをいい始めた。

 

「聞いてくれ。俺の彼女、ナマモノが全然ダメやねん。寿司で食べられるの、卵焼きだけやっていうんやぞ?」

「食べ物の好みは仕方ないやろ。生魚がダメな人ってけっこう多いぞ。寿司屋は諦めろ」

 

「そうはいかんわ。俺の寿司好きはお前もよく知ってるやろ。デートで寿司屋だけは譲れへん」

「ちょっと待て。お前彼女を連れて、無理やり寿司屋とかに行ってへんやろな?」

 

すると彼は、一品料理も充実している寿司屋で自分は寿司、彼女は一品料理を食べる形で妥協して、デートしているという。

さらにこんなことまで、付け加えた。

 

「そうそう、先日初めて彼女連れてくら寿司にいったねん。生魚でも美味しいものあるからって、生サーモンを食べさせてみたんよ」

「…それで彼女はなんて言ったねん」

「これならなんとか食べられる、美味しいって言ってくれたよ。結局、美味しい寿司を食べたことなかっただけなんちゃうかな」

 

その時の彼女の、引きつった悲しそうな顔が目に浮かぶ。

きっと大好きな彼の好みに合わせて、一生懸命、嫌いなものを食べたのだろう。そして友人は、そんな事実にも気がつけていない。

 

「おい、悪いことは言わんから、価値観の押しつけはやめろ。そのやり方で付き合ってると、きっと長続きせーへんぞ」

「大丈夫やって、むちゃなことせんから。やっぱり恋人って、同じ趣味の人と付き合うと長続きするっていうやん。そこをなんとかしたいだけや」

「…」

 

やはり伝わらないかと、頭を抱える思いでその日も別れた。

そしてそれから程なくして、友人は彼女と別れたと聞かされることになる。そりゃあそうだろう。彼は自分のやっていることが暴力に近いことを、まるで理解していない。

 

そんな彼と数年ぶりに会った時に、当時の話になることがあった。すると彼は、なぜ彼女と趣味を共有したいと考えていた自分を止めたのかと、質問してくる。

「そやな…。俺、昔からお前にはいろんなイタズラされたけど、虫とゴキブリネタだけは絶対に手を出さんかったよな。なんでや?」

「そらそうや。大嫌いなん知ってるし。それはさすがにシャレにならんことくらいわかってる」

 

「そうやねん。人って『されて嫌なことは、やっちゃダメ』ってことはすぐわかるんや。小学生でもわかる。でもそれ以上にやったらアカンことが、あると思うんや」

「なんやそれ?」

「『好きの押し付け』や。自分が好きなんだから、あなたも好きでしょ?好きになって!は、本当にマズイ」

「…」

 

そして、趣味にしろ食べ物にしろ、人には変えがたい好みがあること。

それを否定されることは時に、人格否定に繋がるくらいに傷つくこと。

それでも自分の“好き”を押し付けようとすることは、もはや暴力に近いのではないかという持論を説明した。

 

「お前、発狂するくらい納豆嫌いやったよな。好きになった女性が、大の納豆好きやったらどうする?そんな彼女の勧めで頑張って一口食べたのに、『なんだ、美味しい納豆食べたこと無かっただけじゃない。これからも食べようね』って言われたら?」

「…発狂して別れるわ」

「そう、そういうことやねん」

 

そして友人が言っていた、“同じ趣味の人と付き合うと長続きする”についても、こんな事を話した。

「俺はどちらかというと、『嫌いが同じ』か、『許せない価値観が一致する』ほうが、長続きする人間関係やと思う。誰かの『好き』を、無理に上書きする必要なんか、ないんちゃうかな」

 

「…いろんなことを無邪気に考えすぎてたような気がする。ありがとう、少し目がさめたわ」

「偉そうなこと言ってるけど、俺も同じようなことをして失敗したねん。お互いに反省やな…」

その後、彼は別の女性と結婚し、もう25年になるはずだが今も、とても夫婦仲が良いと聞いている。もしかしたら、あの時のアドバイスを参考にしてくれたのかもしれないと、内心少しだけ、誇りに思っている。

 

「まともなリーダー」はやらないこと

話は冒頭の、アメリカ大統領選についてだ。

“気高い理念より明日の生活”

“トランプ支持者は低学歴”

なぜこんな言葉にこそ、ハリス氏の敗因が色濃く表れていると考えているのか。

 

そもそも論として、学校勉強が優秀な人にこそ政治的に正しい選択ができるという評価は論外だ。

民主主義を破壊するほどに有権者や労働者を侮辱しており、選民思想という言葉も生ぬるいほどに自分は特別と考え、リベラルでない人は頭が悪いというおぞましい発想でしかない。

そして日経新聞の見出しと合わせ、それこそが、こんな価値観の発露ではないのか。

「私が正しいと思っていることを正しいと思わないのはおかしい」

 

“好きの押し付け”という暴力である。

自分が好きな何かを好きにならない相手は間違っていると言う前提で、価値観を押し付けようとする試みだ。

しかしそれがどれほど暴力的なことであるかは、友人との古い思い出話でも、よくわかるだろう。

 

「正しいことは正しいのだから、押し付けてでも実現する必要がある」

リベラルとされる一部の人たちからは、そんな価値観を感じさせる発言もよく聞く。そしてここにも、ハリス氏が敗れた本質的な理由が色濃く詰まっている。

 

世界的なベストセラーでビジネス書の名著、『人を動かす』(D・カーネギー)を引用するまでもない。

人は説得では絶対に意見を変えず、“正論”で論破したら余計に自説に固執することくらい、まともなリーダーであれば誰だって経験則で知っているだろう。

 

「正しいことは正しいのだから、押し付けてでも実現する必要がある」

などとやれば、敵を増やすだけに決まっているではないか。価値観が対立し、普遍的な正しさがあるのかすらわからないポリコレなど、なおさらである。

そしてハリス氏は、討論会の時にも憐れんだような冷笑を浮かべ、トランプ氏を見つめていた。トランプ氏の発言の当否はともかく、「絶対正義」を確保したつもりになっているリベラルがなぜ退潮しているのかの原因が、ここにすべて現れている。

 

「好きの押し付け」で、誰かの人権や価値観を弾圧していることに気がついていない傲慢さである。

こんなものは、本当のリベラルではない。

 

そしてマスメディアがよく言う、「社会の分断」の遠因もここにある。

「好きの押し付け」や「正しさの押し付け」をすればするほど、押し付けられた方は反対の方向に先鋭化していく。それをメディアが批判するなど、文字通りマッチポンプである。

そんなことを如実に感じたアメリカ大統領選挙だったと言えば、言い過ぎだろうか。

 

 

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【プロフィール】

桃野泰徳

大学卒業後、大和證券に勤務。
中堅メーカーなどでCFOを歴任し独立。

主な著書
『なぜこんな人が上司なのか』(新潮新書)
『自衛隊の最高幹部はどのように選ばれるのか』(週刊東洋経済)
など

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