え? ちょっと待って。
何が起こったんか分からんのやけど、マジで。
勤め先に退職の報告をして、後任の紹介をしたら、まさかの「承認できない」ってどういうこと?
いや、辞めるし。決めるのお前らじゃないし。
なんで自分らが選べる立場やと思ってんの?
つーか、私が連れてきた後任が気に入らんって、本気で言ってる?
普通に求人を出して、応募なんてあるわけないやろ。今どき真っ当な会社の普通の求人にも応募が無いんやで? あっちでもこっちでも人手不足の悲鳴が上がってるのに。
お前らの会社だって、万年人手不足で、求人広告だしっぱなしやないかい。
私が見つけた後任は、経験者で即戦力なんやけど? これ以上の適任者は他に居らんのやけど?
勤め先の商店街組合の理事会にて、
「皆さま、私事ではございますが、このたび一身上の都合で、こちらの事務局を退職させていただくことになりまして…」
と話しはじめた私は、てっきり退職の報告と後任の紹介、そして引き継ぎ期間と退職時期などの説明をすませたら、それでお役御免だと思っていた。
晴れて私は自由の身になるのだ。
後ろ髪なんて引かれない。なんたって私は、商店街に山積していた問題の全てを片付け終えて、たつ鳥跡を濁さず出ていくのだから。
長年にわたり、まともに管理されず荒みきっていた街並みを修復し、清掃し、必要な設備を新たに整えた。
めちゃくちゃだった会計も労務も、過去数十年分の資料に目を通して問題を洗い出し、関係者のご協力を得ながら是正した。
収入を増やして、コストカットを断行し、黒字化への目処も立てた。もうやり残した課題はない。
と、言いたいところだが、実はある。
目に見える問題を片付け終えた後は、まだ表面化していない問題に手をつけたかった。機能不全に陥っている組合の終活である。
昭和から続く昔ながらの商店街が、息を吹き返す未来は来ない。平成に高度化(アーケードやカラー舗装道路を整備して、各店舗の改装もすること)しているとはいえ、すでに設備や店舗は老朽化が目立ち、多くの店主や地主は高齢化している。定期開催してきたイベントも、次世代の担い手が居らず、継続が難しくなっているのだ。
組合も、まず婦人部が解散し、続いて青年部が解散し、今や本体の屋台骨もガタガタだ。
理事のなり手も減る一方である。
仕方のないことだった。左うちわだった昔の商店主たちとは違うのだ。郊外の大型商業施設とネットに買い物客を奪われ、不景気と人手不足にあえぎ、今では経営者たちも現場を駆けずり回って働いている。組合の活動なんぞに時間を割いている余裕はない。
しかし、そうであるなら実情に合わせ、組織を縮小すべきだろう。
法人格である必要はあるのか。事務局を閉鎖すべきではないのか。昔から続く上位団体や取引先との関係を、見なおす時期に来ているのではないか。
私は進撃の事務員として、働き始めて早々から様々な提案をしてきたけれど、「つきあい」「因習」「現状維持バイアス」というウォール・マリアを突破できなかった。
この街には「問題が片付いたのなら、これまで通りでいいじゃないか」と言う人しか居ないのだ。
「だーかーら! 今まで通りを続けていくのは無理だっつってんだろー!!」
と、私一人が吠えたところで、誰の心にも響かずじまい。
「面倒な問題に向き合わないといけないなら、よそに引っ越すわ」
「この先そんなに長く商売を続けるつもりは無いから、それまで何とかなればいい」
「いつまで生きているかも分からないんだから、このままがいい」
そっすか。分かりました。もう好きにして。私は付き合えませんからね。
超大型巨人が現れて壁を壊してくれるのを、空を見上げながら待っていられないもの。
積年の問題を片付けて、事務局の仕事も整理したことで、どうにか後任も見つけられた。
はぁ、これでようやくオサラバできる。と、思ったのに…..
「残ってくれないかね? この事務所の賃貸契約を解約して、登記をうちの店に移したらいいから。そしたら家賃がいらなくなるだろう? やたらお金のかかるクリスマスイベントだって、もう止めていい。
そうやって浮かせたお金で君のお給料を上げるから、考え直してくれないか?
君が来てから、せっかく街が良くなったのに。こんなに街のために働いてくれる人はいないと思っていたのになぁ」
いやいや。私はね、ただ1日も早く辞めたい一心で、仕事に励んでいただけなんです…。
浮いた家賃分で給料を上げると言われましても、転職先の給料の方がはるかに高いんですが?
今さらそんなことを言い出すなら、どうして私が大きな成果をあげた時に、ボーナスを出さなかったんですか?
事務所の解約は、私がここで働き始めてすぐに提案しましたよね? だけど、ダメって言いましたよね?
クリスマスイベントの中止もお願いしましたよね?なのに、何をさしおいてでもやるってことになりましたよね?
あれですか。アナタたちって、「話があるの」と訴える妻をずーっとスルーしておいて、いざテーブルに離婚届が広げられると、泡食って妻の機嫌を取り始めるタイプなんですか?
「財布を預かっている身として、それには反対です。ようやく黒字化したところで人件費を上げてしまったら、事務員の給料と社会保険料の負担で、また赤字に転落してしまいますよ?」
黙る理事一同。
「だいたい、街のために使うお金が足りていないのに、事務員に貴重な予算を費やしてどうするんですか?
このさき収入が増える見込みはありません。この地域全体の人口が減っていくのですから、商店だって減っていきます。組合員と収入が減っていく事態に、今から備えなくちゃいけません。だから、現状のアルバイト代でも納得してくれる方に来ていただくのがいいんです」
目を伏せる理事一同。
「でも、その後任の人には他にも仕事があるんだろう? この事務局には、週2日しか出勤できないと言うじゃないか」
えっ? 隣の商店街だって、パートのおばさんが事務所に来るのは週2日だけですけど?
「事務員さんが事務局にほとんど居なくなると言うのはねぇ…」
「特に問題はないはずです。私もこの事務局に詰めてることはありませんでしたし、業務の大部分はデジタル化と自動化を済ませてあります。フルリモートでもいいくらいですよ」
「パソコンがあれば仕事はできると言っても、それではなぁ。妙に実体が無いような気がするんだよ。いつでも専業の事務員さんが事務所に居るというアナログな良さを、僕は無くしたくないねぇ」
はへっ?
アナログな良さって何デスカ?
いや、あなた方はアナログな働き方をして欲しいかもしれませんが、もう今の時代にアナログな働き方をしたい労働者なんて居ませんよ?
ていうか、これからの時代に実体のある事務員なんて、居なくていいくらいです。事務職はAIに淘汰される仕事ランキングの上位に入っているんですから。
あぜんとする私に、もう一人の大御所が口を開いた。
「まあ、新しい人はその働き方でいいとしても、君と同じだけ働くわけではない人に、同じ給料を出すというのはどうなんだろうね。これからは日給にして、来た日数分だけ払うくらいでいいんじゃないか?」
ぷちっ。
あっ、いま理性の糸が切れる音がしたわ。
「何を言っているんですか!? 私の働きぶりは、ここの給料にはとうてい見合っていません!
私はいただいてる給料の何倍も働いてきたんです。あなた方は現場の仕事量を分かってない!
私が問題を片付け、業務の整理と効率化を計り、やっと給料に見合うところまで仕事を減らしたから、後任が見つかったんですよ! 私と同じ働きを他の人に期待するのは間違いです!」
まあ、たとえ給料に見合わなくても猛烈に働き、成果を上げてきたからこそ、その働きぶりを見ていた人たちから「うちの会社へ来ないか?」とオファーが絶えなくなったので、働き損ではなかったけれど。
人手不足の地方では、気の利いた人材は取り合いなのだ。いや、もはや気の利かない労働者ですら取り合いになっているのだ。
今や選ばれる立場なのは、労働者ではなく、経営者の方である。それなのに、働き手から選ばれる努力を怠り、まだ人を低賃金で便利に働かせようと考えているなら、お前らの脳みそバグってっからな。
旧世代の理屈が通用しないと分かっている若い理事たちが、
「ご本人が辞めると言っているのを、引き止められませんよ。ここまで環境を整えてくれて、後任の方も無理なく働けると言っているのだから、何も問題はないはずです。あったとして、それはおいおい解決に取り組めばいいじゃないですか」
と助け船を出してくれたが、大御所たちの説得には至らなかった。そして、まさかの不承認のまま散会である。色々すげぇ。
もちろん、承認されずとも私は辞めるし、彼らに選択肢はないのだが、時代の変化に全くついていけてない経営者たちの様子には頭を抱えてしまった。
あの人たち、これから日本が猛烈な勢いで縮むことを、本当に分かっているのだろうか?
それは地方から始まるのだ。もうアナログな良さにこだわっていい時代ではない。
必要なのは、徹底的な合理化である。これからは少ない人間で社会を回していけるよう、あらゆることをスリム化していくことが急務なのだ。
なんて言ってみても、何も聞こえないのだろう。
目に見える景色が平穏さを保っている限り、きっと彼らは変われない。
今からそう遠くない将来に「不都合な現実」という超大型巨人がついに姿を表して、否応なく壁を壊していくのを待つしかないのである。
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【著者プロフィール】
マダムユキ
最高月間PV40万のブログ「Flat 9 〜マダムユキの部屋」管理人。
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