この記事で書きたいことは、大体以下のようなことです。
・娘が、「黒板をノートにまとめるのは無駄」という動画を見て「これホント?」と聞いてきました
・「板書にも色んなやり方があるし、向き不向きもメリットデメリットもあるけれど、極論で否定してる動画は鵜呑みにしない方がいいと思う」と答えました
・書き写すことだけが目的化したノートは不効率かも知れませんが、「視覚で受け取ったものを手で書き写す」だけでも一定の効果はあります
・もちろん、板書のやり方によってはより効率的に学習に活かすことができます
・ただし、人によって向き不向きが大きいところなので、色んなやり方を自分で試行錯誤して、自分なりのセオリーを確立していくべきです
・勉強法に限らず、セオリーや常識を否定して「〇〇はやっても無駄」「××してはいけない」と極論で否定して「気付き」を誘導する言説は受けやすく、作られやすいです
・どんな動画も疑ってかかるのはコストが高すぎますが、「これ普通のことだよな」という話を否定されているな、と思った時は、心理的ガードを一段上げた方がいいかも知れません
以上です。よろしくお願いします。
さて、書きたいことは最初に全部書いてしまったので、後はざっくばらんにいきましょう。
ちょっとしたことなんですが、子どもと話した時に考えたことについて書きます。
子どもたちが「これホント?」「これどう思う?」と言いながら動画を見せにくることが、ちょくちょくあります。
もちろん、本人的にも冗談半分というか、単におもしろ動画を共有したいだけという場合もありますが、割と真面目に「これって信用できる?」と聞いてくることもあります。
で、「これデマ」「これは諸説あるやつ」「これはただの都市伝説」とか即答できるものもあれば、私自身ちゃんと調べたり考えたりしないといけないものもあるのですが、せっかく親を頼ってくれているのだから、なるべくちゃんと検討して、その上で自分の意見を言うようにしています。
いやーホント、世の中色んな情報がありますよね。ネコちゃん動画だけなら平和なんですが。
で、ちょっと前の話なんですが、次女が学校の勉強についての動画を持ってきて、「これホント?」と聞いてきました。
いわく、「黒板に書かれたことをノートに写すのは無駄」だと。
もちろんノートの取り方なんて「諸説ある」の代表格みたいなもので、単に「ノートを丸写しするのは不効率だよ、ポイントだけ書こうね」的な内容なのかとも思ったのですが、結構過激派の方のようで、「ノート自体が不要、ノートにまとめるなんて意味ない」「勉強できる人は授業でノートなんてとってない」「教科書と参考書で十分」というくらいまで主張されている感じでした。
うーん、と思いまして、その時は大体こんな風に答えました。
・板書にも人によって向き不向きがあるし、効率的なやり方や不効率なやり方があるのは確か
・でも全部まとめて「無駄」と言い切っちゃうのは極論過ぎなので鵜呑みにしない方がいい
・ただ丸写しにするだけでも無意味ということはない、「受け取ったことを自分の手で出力する」こと自体が大事
・ただ、色んなやり方があるので、色々試して自分なりのやり方を見つけるのが一番いい
・この動画に限らず、「普通のやり方」とか「みんな信じてること」を否定するコンテンツは、受けやすいのでたくさん作られがち
・ただ、「普通のやり方」になってるのはそれだけの理由があるので、「そうなんだ!」って納得しないで用心した方がいい
一旦、上記のような話をしたら次女は納得してくれました。一番言いたかったのは最後の二つなんですけどね。
まず第一に、「板書というものは、たとえ黒板丸写しだけでも決してバカにしたものではない」という話があります。
よく「漢字は手で覚える」なんて言いますが、「手書き」の効能については色んな研究がありまして、同じ内容でも紙媒体に書くことによって記憶に定着しやすい、ということは大筋明確になっているようです。論文が色々ありますが、一例として東京大学の研究を挙げてみます。
~使用するメディアによって記憶力や脳活動に差~
もちろん、ただ漫然と「黒板に書かれたことを書き写す」よりも、「内容を理解して、ポイントだけ書き記す」ということができればそれに越したことはなく、「要約」がいかに重要かは言うまでもありません。
極論、「後から読み返して思い出せる」最低限のキーワードだけ書いておけば良い、という考え方は分かりますし、実際私自身もそれに近いやり方を実践してました。
まあ、字が下手過ぎて私以外誰にも読めないんですが。
冒頭の動画について、「勉強できる人はノートなんてとってない」という話が出ていた、と書きました。
これについては本当に人それぞれで、私は昔東大に通ってましたが、周辺でも「ノートをとらない人も確かにいたが、要約して書いている人もいたし、きちんと丁寧にノートをまとめる人もいた」という次第で、本当に千差万別でした。
もっとも、「全く何も書かない」という人は見かけなかった記憶があります。つまり、程度の差こそあれ、『何かしら書く』という行為自体は多くの人が必要としていたということです。
少なくとも、単に「授業を聞くだけ」「プリントを読むだけ」よりは、「書き写すだけ」だろうがノートをとった方がなんぼか学習効果が高い、ということまでは言えそうです。
とはいえ、授業によっても、先生によっても、生徒によっても違う話でして、そもそも単なる方法論なのでそこまで重要な話ではありません。
どちらかというと、重要なのは「常識やセオリーをばっさり否定して、気付きを誘導するコンテンツ」との向き合い方、付き合い方の方なんですよね。
普段からSNSに触れている人にとっては今更の話かも知れませんが、世の中には「気付き」を誘う情報が溢れています。中でも、「既存のセオリーや常識を否定して、「そうだったのか!」と思わせるコンテンツ」というのは、どんなプラットフォームでも大人気です。
どうも人間って、「固定観念を否定される」「常識を否定される」時、妙な気持ちよさを感じる場合があるみたいなんですよ。
「今まで俺が信じていたのは間違いだったのか!」ってヤツ。
まず、「皆が信じていることを否定される」というだけでもフックになりますよね。「え、そんなことある?」とまず疑ってしまうので、その中身を確認したくなって、ついついクリックしてしまう。
で、そこまで深くは理解していなかったけど、「そういうものなんだ」と思っていた既存の認識について、「実はそれは間違っていたんです!」と言われる。すると、「そうだったんだ!」という気付きを得られる。この瞬間がとっても気持ちいいわけです。
昔、出版社でアルバイトをしていたことがあるんですが、その時にも「読者に「そうだったんだ!」と思わせろ」という話は頻繁に聞きました。
どうも、昔から定番のセオリーであるようなんですね。
動画にも限りませんし、「気付き」を誘う情報にも限りません。近年のWebには、デマや誤情報が溢れていますし、ある程度ガードを上げて触れないといけない情報も溢れています。
とはいえ、それら全てについて、「これ本当?」「これは信じていい情報?」というのをチェックして回るのも大変な手間ですし、情報確認にばかりリソースを注ぎ込むわけにはいきません。
私自身は、「ガードを上げる」ための基準として三つのフィルターを設けていて、
・自分の行動や健康に直接関係する情報、特に医療関係の情報かどうか
・誰かを誹謗する・貶める情報かどうか
・既存の常識や定説を否定して、「気付き」を誘導している情報かどうか
これらに抵触する場合は、ある程度慎重に受け取るようにしています。
医療関係の誤情報の悪質さは今更語るまでもありませんし、直接的に誰かを誹謗するデマというのは、これまた非常に悪質です。
「気付き」については上記した通りでして、このフィルターはそれなりに妥当だと自分では思っており、この方針で損をしたという記憶がありません。
そのため、子どもたちにも折々、こういう考え方で情報に触れるといいよ、という点は伝えていきたいと思っています。
デジタルネイティブでもある子どもたちが、上手い具合にWebの情報と付き合っていければいいなあ、と考えるばかりです。
今日書きたいことはそれくらいです。
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著者名:しんざき
SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。
レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。
ブログ:不倒城
Photo:Amel Majanovic









