この国の命運を握る大問題、少子化。

どうにかしようとたくさんの人が四苦八苦しながら、原因の分析・対策が進められている。

 

が、少子化の原因としてあまり挙げられていないけど、「これも大きいよなぁ」と思うことがある。

それは、「子どもがいないから少子化になる」ということだ。

 

……どこぞの世襲議員みたいな構文になってしまったが、まぁ聞いてくれ。

子どもがいないのが当たり前になって、日常生活から子どもが排除された結果、「子どもがいる生活」が想像できなくなっちゃったんじゃないかな、と思うわけだ。

 

「いつか子ども」をが現実になったきっかけ

わたしの同級生が第一次?出産ブームを迎えたのは、26~28歳くらいのときだったと思う。

 

ドイツから日本に一時帰国したら、「子どもが小さいから会うのはむずかしい」と言う子がチラホラいて、「早い子はもうママになってるのか~」なんて驚いたものだ。

 

とはいえ当時のわたしは大学を卒業したばかりだったから、「いつか子どもを」と漠然と考えてはいたものの、「まだまだ先の話」という感覚だった。

それは数年経っても変わらず、30代になっても「いずれはね~」くらいの気持ちで、なんとなーく子どもの件は先延ばしになっていた。

 

そんなわたしが32歳になって出産に前向きになった理由はかんたんで、「まわりに子どもが生まれたから」。

兄夫婦に子どもが生まれ、高校時代に一番仲が良かった子も母親になった。同年代のご近所さんにも子どもが生まれたし、ゲーム友だちも出産を機にゲームをやめた。

 

おめでたの知らせを立て続けに聞くと、「自分もそういう年齢になったのか」と感慨深くなるのと同時に、しぜんに「そろそろ自分も」という気持ちになったのだ。

 

そして、子どもを授かった。

まわりが幸せそうに赤ちゃんを育てているのを見た結果、「自分もこういう生活をしたいな」と思った結果だ。

 

32年間の人生で、実は一度も赤ん坊を抱いたことがない

ここでちょっと聞きたいんですけど、わたしと同世代、もしくはさらに年下の人って、赤ちゃんを抱っこしたことあります?

わたしは現在32歳だが、実は生きてきて、一度も赤ちゃんを抱っこした経験がない。触った記憶もない。

 

親戚づきあいもあんまりなかったし、そもそも親戚ではわたしは一番年下だったし。

近所づきあいといってもただ会釈するくらいだし、まわりの友だちも、お茶に赤ちゃん連れてこないし(気を遣うらしい)。

そんななかで、自分が身ごもって24時間365日世話をして、おっぱいをあげて、うんちがついたおむつを替えて……と想像するのは、なかなかむずかしい。

 

幸いわたしはまわりでおめでたが続いたから、その人たちの話を聞いて、「そんな感じなんだなぁ~」と、母親になる自分を想像する機会に恵まれた。

でもいまの出産適齢期世代って、赤ちゃんと関わったことがない人、たくさんいるんじゃないかな。そもそも最近では、公園で走りまわる子どもすらいないし。

 

子どもが存在しない生活圏で暮らしているのに、子どもを産んで育てることをリアルに考えろ、と言われてもね……。想像できないことを実行するのは無理だよ。

 

子どもをもつことに現実感がわかないのは、生活圏から子どもが消えたからじゃないかなぁ、と思う。

それが、冒頭で書いた「子どもがいないから少子化になる」ということだ。

 

子連れを隔離した先にあるのは、大人専用の社会

子どもの絶対数が減り、子どもの有無は個人の選択であって他者が強制すべきではないという価値観になった結果、「子どもは大人の社会になじまない異物」として、どんどん生活圏から追放されていった。

 

子どもは公園で遊ぶな。幼稚園は騒音。子連れ様はそういうレストランに行け。混んでいる電車にベビーカーで乗るな。

 

「電車に子連れ専用車両を作れ」なんてのが代表的だ。これはたしか2022年にXのトレンドに一度挙がっていて、実際に新幹線で導入された例がある。

ほかにも、「子連れ専用カフェがほしい」とか、「優先エレベーターではなくベビーカーと車椅子専用のエレベーターにしてほしい」なんて意見も見たことがある。

 

いたるところで、子どもと子育て世代のゾーニングが進んでいる。

この考え自体は理解できるし、すべてがまちがっているとは思わない。

多目的トイレや優先席など、子ども自身や親も、そっちのほうが助かる場面はあるだろうから。

 

でも極端なゾーニングを進めると、「子どもが存在しないことを前提とした大人専用の社会」になってしまう。

そうするとわたしのように、赤ちゃんを抱っこしたこともなく、日常生活でもほとんど子どもを見かけないまま、出産適齢期を迎えることになる(地域や家族構成なんかにもよるんだろうけど)。

 

で、子どもと関わったことがない人が「子どもを産んで育てることを現実的に想像できるか」というと……まぁむずかしいよなぁ。

 

子どもという異物が日常生活から排除されていく

以前に勃発した「幼稚園は騒音か否か」という議論のとき、「昔は寛容だった」という主張をよく見かけた。

 

でも、それはちょっとちがうんじゃないかなーと思う。

昔だって子どもは叫びながら走り回ったはずだし、物を壊したり、ケガしたりしていたはずだ。ほら、のび太はしょっちゅうかみなりさんに怒られていたじゃないですか。

 

別に、大人たちが極端に子どもに対して優しかったわけじゃないと思うんだよ。

ただ子どもがたくさんいたから、生活の中に子どもがいるのは当然で、子どもが騒いだり物を壊すのは「あるある」だっただけ。要は、慣れの問題だ。

 

そもそも子どもは労働力でもあったから、特別扱いしていなかっただろうし。

でも子どもが減るにつれて、しぜんと「大人中心」が当たり前になっていき、子どもが良くも悪くも珍しくなってしまった。

 

こうなったらあとはもう、多数決だ。

子どもが身近にいる人といない人。後者が増えれば、子どもは当たり前の存在ではなく「異物」になる。異物を排除したくなるのは、人間の性。

 

だから公園では、子どもがボール遊びすらできず、遊具が撤去されたのだ。

まぁ逆に、子どもは特別だから、「子どもがやったことだから許して」「育児中なんだからしかたないでしょ」と平気な顔をして迷惑をかける親もなかにはいるみたいだけど……。

 

子育ては「当たり前」から「趣味」になった

でね、わたしは最近、思うんですよ。

「子どもを生むかは個人の選択」といういまの価値観は、言い方を変えれば「自分の勝手で子どもをつくったんだから、まわりに迷惑をかけないようにひっそり育てなさいよ」になるんだなって。

 

子育てはもはや、趣味の領域だから。

やってもやらなくてもいい。やるのはそれが好きな人。

自分が好きでやってるんだから、まわりに迷惑かけないで。こんな感じ。

 

その考えが根底にあるから、「子どもや子連れを迷惑だと思う人にも配慮しろ」「隔離しろ」になるのだ。他人の趣味を支援してやる義理はない、と。

 

で、趣味って話なら、子育てじゃなくたっていい。

その趣味にはウン百万かかります、20年間は放棄できません、自分の時間はがっつり削られキャリアにも影響します、うっかりしたら人が死にます、なんていわれたら、「他の趣味でいいや……」となるのも当然だ。

 

もちろん、子どもを産む・育てるのは個人の選択であって、他人がとやかく言うことではない。

でもその結果、子育てが趣味と同じような位置づけになり、「趣味で他人に迷惑をかけるな」と子どもが隔離されるのであれば、ちょっと話は変わる。

 

子どもがいなくて当然の生活を送っている若者たちが、「よし、子どもをつくるぞ!」なんて気持ちになるわけがないから。

産んだとしても、大人専用の社会では肩身が狭くて育てづらいしね……。

 

子どもが少ないからこそ、「特別」にならないように

そもそもの話、子育てしやすい社会、なんて大層な御旗を掲げなくても、日常生活に当たり前のように子どもがいる社会なら、子育ては問題なくできるはずなんだよ。

親のキャリアは別として、いままではずっと、大人も子どもも同じ空間で生活してきたんだから。

 

それなのに、子ども専用の遊び場を作ってそこで遊ばせろとか、子連れ専用車両を作ってそれを使えとか、すーぐに子どもを隔離しようとする。

子どもを隔離したら日常から子どもが消えて、「子育てとは何か」を想像できる人が減っていくだけなのに。

 

……なんて書くと、「子どもをかわいくない、泣き声をうるさいと思う自分の気持ちは無視するのか!!」と怒られそうだけど。

 

いろんな人がいる社会のなかで生きている以上、多少はしょうがないよ。

電車で足を広げている男性を邪魔だなぁって思ったり、香水がきつい女性をくさいなぁって思ったりはするけど、だからって「気に食わないから隔離しろ」とは思わないもの。

 

それなのになんで、子どもだけは特別扱いして隔離しようとするの?

うるさくて邪魔な子どもを排除したら、次はだれを追放するの?

 

子どもはもちろん、いろんな人がいろんな事情を抱えて生活しているんだから、それを受け入れてお互いちょっとずつ妥協して成立するのが「社会」なんじゃないの?

 

日常生活から完全に子どもが消えたら、だれも子どもをもつことが想像できなくなるよ。ただでさえ、自分が生活するので精一杯なのに。

だからいくら絶対数が減ろうとも、子どもはそこらへんにいて当たり前、同じ社会、生活圏で暮らしている存在であるべきだと思うのだ。

 

 

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安達 裕哉(あだち・ゆうや)
ティネクト株式会社 代表取締役/ワークワンダース株式会社 代表取締役CEO
Deloitteにてコンサルティング業務に従事後、監査法人トーマツの中小企業向けコンサル部門立ち上げに参画。大阪・東京支社長を経て、2013年にティネクト株式会社を設立。
ビジネスメディア「Books&Apps」運営。2023年には生成AIコンサルティングの「ワークワンダース株式会社」も設立。
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(2025/6/2更新)

 

 

 

【著者プロフィール】

名前:雨宮紫苑

91年生まれ、ドイツ在住のフリーライター。小説執筆&写真撮影もやってます。

ハロプロとアニメが好きだけど、オタクっぽい呟きをするとフォロワーが減るのが最近の悩みです。

著書:『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』(新潮新書)

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