先日、精神科に限らず「カウンセリング」なる行為について適切な注意喚起をしていると感じるポストをで見かけた。

ここで、すきえんてぃあさんがおっしゃっている「精神療法」とは、精神科医が患者さんと診療上の目的から会話するもの、あえて雑駁な言い方をすれば精神科医によるカウンセリングみたいなものと考えていただきたい。

そのカウンセリングが侵襲的であるとは、患者さんに負荷をかけたりダメージを与えたりする場合があるということだ。

 

「手術と同じく」という比喩も事態をよく示している。たとえば開腹手術は腹部を切るわけだから、患者さんの身体にダメージを与える。もし患者さんの身体がダメージに負けてしまったら死んでしまうかもしれない。

同様に、カウンセリングも患者さんの心身にダメージを与える側面があり、であるなら、それは適切かつ患者さん自身の回復に資するものでなければならない、というわけだ。

 

カウンセリングに関しては、しばしば「傾聴」ということがいわれている。傾聴といって私が真っ先に思い出すのは、カール・ロジャースの来談者中心療法だ。

患者さんのなかでも口をきくエネルギーがそれなりに残っている人は、話を聞いてもらうことを心地よく感じる。最近の進化心理学では話をきいてもらうこと、目と目をあわせることでも人間は脳内麻薬的な物質が分泌されると知られているので、傾聴されれば患者さんは気持ちいいだろう。

 

すきえんてぃあさんはそのあたりを「術野の消毒」と比喩しているが、確かに傾聴はカウンセリングが佳境に入っていく下準備としてあって良いものだと思う。

精神科医や心理師なら、ただ傾聴しているのでなく何を話しているのか・どう話しているのかを意識し、所見としてまとめながら傾聴するだろう。

傾聴は情報収集の一環にもなり得るし、クライアントとセラピストとの関係性にポジティブな影響を与えることが多い。

「与えることが多い」などとわざわざ書くのは、傾聴も過ぎればかえって面倒なことになる場合があること、傾聴をとおして気持ちよくなりたいだけの患者さんに傾聴するのはあまり意味のないことで、実地の精神医療ではそんなことに時間を使う余裕が乏しいことを踏まえてのものである。

 

さて、傾聴などを経由したうえで、やがてカウンセリングは山場や谷底にたどり着くだろう。世の中にはカウンセリングとは気持ちよくて副作用が少ないものと思い込んでいる人がいるが、私が見たところ、そんなカウンセリングはあまりない。

傾聴だけから成るカウンセリングが存在するならそうかもしれないが、そんな傾聴だけのカウンセリングは床屋で肩もみや耳かきをしてもらって気持ちよくなるようなもの、それこそ、「術野の消毒」程度のものに過ぎないと思う。

 

カウンセリングの山場や谷底で登場するのは、患者さん自身のあまり直視したくないものや、わかっちゃいるけどやめられないものや、今まで盲点となっていて気付かなかったもの、等々だ。

患者さんが今まで直視していなかった事柄や話し合ってこなかった事柄には、そうするだけの理由や背景が伴っている。

普段は避けていたり気付いていなかったりすることに患者さんが直面すれば、もちろんストレスが伴う。長年引っかかっていたことを話題にしたり苦手意識を思い出したりするのも、いい気がするとは限らない。

 

そうした難しい話をやっていく際にいくらか援助になる、というかカウンセリング過程がコースアウトしてしまうリスクを減らす一助になるのは、さきほど挙げた傾聴を含め、それまでに積み重ねておいたやりとりの量だ。

やりとりがうまく積み重なっていた場合、いくらかでも信頼関係ができあがっていようから、少しは込み入った話がしやすくなる。

 

相手が精神科医や心理師だからといってはじめから全裸のごとく話始める患者さんも稀によくあるが、そういう人は心配だ。

少し信頼関係ができあがってから本題を少しずつ明らかにしてくれるぐらいの患者さんのほうが、やりとりしていて頼もしいように思える。で、そうして積み重なった信頼関係が、カウンセリングの山場や谷底を通過する際には助けになる。

 

関連して、山場や谷底にさしかかるタイミングにも気を配りたい。身体の手術においてもタイミングが大事だと聞く。

身体が侵襲に耐えられるタイミングなら手術に適しているが、身体が侵襲に耐えられないタイミングでやる場合は、術中に耐えられないリスクや術後の回復がうまくいかないリスクが高くなる。

それに似て、カウンセリングも山場や谷底に相当するやりとりをするためには諸条件が整っていなければならない。

 

たとえばうつ病のどん底と言える病状の人に、世間の人が空想するようなカウンセリングを始めるなど、無意味というより有害ですらある。そんなのは、術野を消毒もせず身体の状態も顧慮せずに大規模な手術を始めるようなものだ。

 

うつ病のどん底に期待されるのは、心身を守ること、回復への保証について伝えること、自殺はしないことを押しつけがましくないかたちで確かめること、等々だろう。

同様に、急性期の統合失調症による幻覚や妄想が著しく、それによって恐慌や興奮に陥っている患者さんにもカウンセリング「らしい」ことを始められない。

まずは恐慌や妄想や幻覚や妄想をいくらかでも改善させなければ、会話が患者さんに入っていけないだろう。統合失調症の場合、思考障害といってそもそも思考全体が混乱し、頭のなかの交通整理がついていない症状もしばしば伴う。

そうした、本当の本当に心身の状態が悪い時に、カウンセリングのような会話式のやりとりが助けになる範囲は思うほど広くない。

 

そのカウンセラーは有益か?有害か? (AI含めて)

こんな具合に、精神医療の現場で繰り広げられる心理療法や精神療法、雑駁にいうところのカウンセリングは、必ず気持ち良いわけでも、必ず安全なわけでも、なんら副作用がないわけでもない。

だからまともな精神科医や心理師なら、多かれ少なかれカウンセリング的な行為のベネフィットだけでなくリスクやコストについてもいつも考えているはずだ。

患者さんの悩みや問題の核心に迫るような瞬間においてはとりわけそうだと言える。少なくとも何の懸念も持たずに心の開腹手術に相当するような、侵襲性の高いカウンセリングをやるべきではない。

 

ときには「この患者さんのこの問題は(今は)触れない」という判断も必要だろう。そうした判断のできる/できないも術者の技量のうちではなかったかと思う。

 

さて、このことを踏まえたうえで世にはびこるさまざまな自称カウンセラーについて考えてみたい。

 

あれこれの自称カウンセラーたちのカウンセリングは安全だろうか? 副作用のないものだろうか? 侵襲性のないものだろうか?

もしそれが、傾聴だけから成っているなら比較的有害度は低そうに思える。が、傾聴ばかりに傾いたカウンセリングにも問題点はあり、傾聴されて気持ち良くなることにだんだん頼り始めたり、傾聴されているのをいいことに自分だけの思い込みが間違っていないと思いこんだりする人もいるかもしれない。

まっとうなカウンセラーなら、そうした状況に対してなんらか歯止めをかけるよう意識が働くだろうが、他所の界隈には、そんなことお構いなしの自称カウンセラーもどうやらいるようである。

 

世の中には、カウンセリングとかカウンセラーと銘打たれたやりとりや人物がごまんと存在している。化粧品を買う時、金融商品を買う時までカウンセリングという言葉を用いているのを見ると、私は気味が悪くなる。

しかしカウンセリングという言葉が古代ローマのコンスルに由来していることを思えば、それらの言葉が広く使われることを悪くいうことはできない。

 

だが、そうした数多存在するカウンセリングとカウンセラーがどれぐらい安全なのかは、私のいる位置からはわからない。

たとえば美容の領域、たとえば金融の領域におけるカウンセリングは、必ず安全で、副作用がなくて、侵襲性のないものだろうか? そうではないと思う。金融の領域でたとえるなら、カウンセリングは人の財布の中に手を突っ込んでぐるぐるかき回してみせたうえで自己決定を促すことではないのか。

それは本当に安全で、副作用がなくて、侵襲性のないものと言い切れるのだろうか?

 

世間では、カウンセリングという言葉に「安全」「気持ちよさそう」「副作用がなさそう」といった先入観が、べったりとこびりついているようにみえる。

そのうえで、インターネットを介してずぶの素人がカウンセリングをやると言い出したり、患者さんが患者さんにカウンセリングをやると称しているものもあるようだ。

さらにAIを使ってカウンセリングを受ける、といった話も増えている。AIはいっけん無害そうにみえるが、ユーザー自身とAIとの関係性を調整する機能がないから、それはそれで、傾聴オンリーのカウンセリングに似た副作用をもたらす気もするし、いざそうなっても誰も止めてくれない・止められない気がするので心配である。

 

こうしたわけだから、カウンセリングだから安全、カウンセリングだから副作用や侵襲性はないと思い込むのは即刻やめていただきたい。カウンセリングも、それはそれでリスクをはらんだ行為であることは今日は憶えていただけたらと思う。

 

 

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(2026/7/1更新)

 

 

 

【プロフィール】

著者:熊代亨

精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。

通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)など。

twitter:@twit_shirokuma

ブログ:『シロクマの屑籠』

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Photo:Priscilla Du Preez 🇨🇦