高3のこの時期に突然の進路変更宣言
高校3年生の上の子が、この時期になって突然、進路変更をしたいと言い始めた。
それまで国公立大学の理系学部を受験する予定だったのが、美大に行きたいと言う。
本人はちゃんと絵を描いてきたわけでもないし、美大の美の字もこれまで聞いたこともなかった。
ただ、思いつきで言っている感じではなかったし、決意は固そうだ。
それから毎晩、家族会議が続いた。
が、結局は本人の意志が決まっているので、答えははじめから出ているようなものだ。
念のため、それが一時的な気まぐれではないかとか、受験から逃げたくて言っているのではないかとかを確認する作業をしただけだ。
もっと言えば、ぼくは、好きにしたらいい、と思っている。
もう18歳だ。
自分の進む道は自分で決めればいい。
だが、どうも近年は、親が大学受験にも口を出すようだ。
かく言うぼくも、少し前までは、子どもがあまりにも受験について情報を集めないので、予備校等の受験説明会に連れて行って、一緒に話を聞いていたりした。
だが、そういうことをすると、子どもはそれ以上自分で何かを調べようとしなくなる。
受験に対して受け身な姿勢のままで、固定されてしまう。
どうやら固定されてしまったことに本人も、親も気づかないまま、数年すごしてきてしまって、そしてこの土壇場での進路変更になったわけだ。
もっと早くに変更していれば、色々と対策することができた。
美大に必要な実技の訓練もさっさと始めることができた。
「たられば」はいくらでも言える。
だけど今は、本人がそう決めたのだ。
じゃあ、進めばいい。
そう思う。
◆しかもデザインの仕事とか…うーん
ところでなぜ美大に進みたいかというと、デザインの勉強をしたいらしい。
これについても、もちろん言いたいことは山ほどある。
まずは、やっぱりAI時代だということ。
簡単なビジュアルを作るだけなら本当にAIで十分な時代になってしまった。
広告会社で働いているぼくが、毎日のようにAIでイラストを作成し、音楽を作り、アイデアの壁打ちもしているのである。
当然ながら、企業の広告やマーケティングの担当者は自分で制作ができてしまう。
あるいは、受発注は引き続き発生するとしても、AIをうまく使いこなせる新しいプレイヤーが参入して、あっという間に状況が変わってしまうだろう。
まあ、AIは、本質的なアイデアを考えるのはまだ苦手だと感じる。
人間に対する理解が浅い。
もっと言えば、人間の欲望、執着、汚い部分、しょうもなさ、といったあたりへの視点が弱い。
AI自身が何かを欲望することができないからなのかもしれない。
だが、それは人間でも同じかもしれない。
そこまで到達できているプロの制作者がどのくらいいるのか、という話である。
…というと、ぼくは到達できている、と言っているように聞こえるかもしれないが、ぼくもその領域に踏みこむことができたり、できなかったりをずっと繰り返している。
また、そうやって苦心して出したアイデアであっても、状況によってはAIに負けることもあるかもしれない。
特に、公共性の高い仕事や、各方面に気を使うあまりに思いきったことができない仕事で、クライアントが勝負しない場合は、「そんな仕事、それこそAIでいいんじゃないの?」と思ってしまったりする。
まあ、本来はそういう現場でこそ、それでもアイデアで突破しようと悪あがきするのが楽しかったりするのだが。
…昔話はやめよう。
とにかくAIのおかげで、表面的な「デザインっぽい」仕事というのはどんどんなくなっていくだろう、ということだ。
そして、それがもう一つのぼくが言いたいことだ。
結局、AIによって「なんとなく仕事っぽかったもの」がなくなっていくように思う。
意思決定者が、判断するための情報収集や、論拠・根拠等を用意する作業。
関係者のスケジュールを調整したり、情報を整理したり、会議の準備をしたりする作業。
担当者の忍耐力を試されるような、ひたすら同じことを繰り返し続ける不毛な作業。
これらのいわゆる「ブルシットジョブ」がなくなったとき、ぼくらは自分の仕事は一体何なのか?ということを突きつけられるようになる。
今までは「とりあえず、これやっといて」と押しつけられてきた、そんな仕事がなくなる。
となると、より本質的なことだけが残っていく。
今、何をやればいいのか、という気づき。
これをやるべきかどうか、という判断。
そもそも自分は何をするべきか、という問い。
誰もが主体者となる。
「代理店」とか「代理人」みたいな仕事なんて、全部なくなる。
そう思うのだ。
…いや、まあごちゃごちゃ書いたが、要は「こんな時代にデザインを仕事にしようとするとかマジ??」と父親としては焦っている、とうことである。
◆「受験代理人」からの脱却
ただまあ、そんなことを今、子どもに言ったところで、だから何だと思うだろう。
それでいいのだと思う。
デザインをやりたい。
それでいい。
その瞬間、その人は主体者になっている。
少なくとも、親が言うから受験する。という「受験代理人」ではなくなっている。
ぼくなんか、自分が本当にやりたいことに気づいたのは21歳の時だ。
高校生のあいだにやりたいことが見つかったのだから、もう何も言えることはないのだ。
もちろん、そのやりたいことはまた変わるかもしれない。
それも、別にかまわない。
大事なのは、まずはそうやって一歩、自分の足で踏み出すことだ。
一度それができれば、そのまま突き進むことも、方向転換することも、なんだってできる。
この一歩が、すごく大きいのだと思う。
よく、自分は「やりたいこと」なんてない、という人がいる。
若い人だけではない。
ベテランになっても、そんな人はいっぱいいる。
ぼくだって、周りからはわりと「やりたいこと」がある人だと思われているけど、本当は「いやあ、実はそこまで何が何でもやりたいことがあるかというと微妙だなあ…」と思うのである。
じゃあ実際のところ「やりたいこと」って何なのだろう?
◆そもそも「やりたいこと」とは何か
ぼくが思う「やりたいこと」というのは、要は、それをするためにすでに何らかの行動をはじめているかどうか、ということだ。
「あーいつかカフェとかやってみたいんだよねえ」とか「そのうち独立できたら、なーんてね」とか言っているあいだは、「やりたいこと」ではないと思う。
カフェがやりたいと思って、とりあえず間借りで週末だけのカフェをやってみた。
独立の練習と思って、とりあえず個人で仕事を受けてみた。
その瞬間、それは「やりたいこと」に転じる。
なんというか、そういうことは、無理してやるものではないと思う。
それどころか、止められても、反対されても、それでも勝手に始めてしまうもの。
だから、何もすごいことでも、賞賛されることでも、なんでもないと思う。
ぼくも、広告会社に入社してから、仕事の隙を見つけてはコピーを書く練習をしていた。
すると、いろんな人たちからたくさん嫌味を言われた。
早くあきらめろとか、そんなことするヒマあったらもっと目の前の仕事しろとか、いいかげんにしろとか。
でも、止められなかったのだ。
一番しんどかったのは、ぼくだ。
自分の執着と折り合いをつけて、さっさと目の前の仕事に向き合うべきじゃないかとずっと思っていたから。
でも、あきらめられなかった。
なので「あきらめること」をあきらめるしかなかった。
そんなもんだ。
とても褒められるようなことではない。
だけど、あれから20数年経って、自分の子どもが「やりたいこと」と向き合っている様子を見ていると、当時のことを思い出さざるをえない。
そして、その思い出は妙にキラキラと輝いて見えるから厄介だ。
まあ、悪い気はしないが。
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(2026/6/2更新)
【著者プロフィール】
著者:いぬじん
プロフィールを書こうとして手が止まった。
元コピーライター、関西在住、サラリーマンをしながら、法人の運営や経営者の顧問をしたり…などと書こうと思ったのだが、そういうことにとらわれずに自由に生きるというのが、今ぼくが一番大事にしたいことなのかもしれない。
だけど「自由人」とか書くと、かなり違うような気もして。
プロフィールって、むずかしい。
ブログ:犬だって言いたいことがあるのだ。
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