就職氷河期世代
就職氷河期世代、というものがある。内閣府の定義によると、大卒者は「1970年(昭和45年)4月2日から1983年(昭和58年)4月1日まで」に生まれたもの、高卒者は「1974年(昭和49年)4月2日から1987年(昭和62年)4月1日まで」に生まれたものを指すらしい。いま、Wikipediaを読んで知った。
とはいえ、おれ自身が就職氷河期世代であるということは知っていた。おれは1979年(昭和54年)の生まれだ。
大卒だろうと高卒だろうと氷河期真っ只中だ。凍え死んだ世代の一人だ。それは知っていた。
おれは「知っていた」と書いた。おれは就職氷河期世代の人間の一人として「生きてきた」わけではない。
おれにとって就職氷河期とは、あくまで他人事だ。おれに「就活で何百社も落とされた」とか、「仕方なく非正規雇用についた」というエピソードはない。おれは人生で履歴書を書いたこともないし、就職面接を受けたこともない。
おれは就職氷河期世代と、同じ世代だ。ただ、それだけだ。
ドロップアウト
おれの最終学歴は高卒だ。中高一貫の私学を出た。出たあとどうしたか。一年くらい大学に通っていた。なので、非公式な言い方では大学中退ということになる。
おれが入ったのは慶応義塾大学文学部だった。入学式で学部長だかだれだかがこう言った。
「文学部は就職に不利だと言われるが、諸君らは大学の名前で就職できるから安心したまえ」。
「諸君ら」がどうなったかはしらない。
ひょっとしたら、学部長だかの言うとおり、慶應の卒業者は就職氷河期でも問題なく就職できたのかもしれない。それはよく知らない。だが、おれは就活中らしい上級生のこんな会話を聞いた。
「アコムってところに行ったけど、金融系と思ったらサラ金だったの」
アコムだったか、プロミスだったかは覚えていない。ただ、おれのなかでそこはサラ金だった。サラ金。今だったら消費者金融というのだろうか。
ともかく、慶應の就活生がサラ金を知らないのか。そして、そんなところに就職先を求めるのか、と、意外に思った。
たぶんだが、その当時、リアルタイムではまだ就職氷河期なんて言葉はなかったように思う。
少なくとも、就職氷河期にいるとは自覚していなかった。
もっとも、おれはその自覚をすることなく、就職氷河期からドロップアウトした。ドロップアウトしたのは大学だが。
おれはフランス語の活用が覚えられなかったし、語学のクラスで「二人一組を作って」と言われて、相手がいなかったし、「大学にもなってこんな幼稚園みたいなことをさせられるのか」と絶望した。おれは大学に行かなくなった。おれは大学を辞めた。
大学を辞めたおれはひきこもりのニートになった。ひきこもりのニートになるくらいは実家が太かった。
「このままひきこもっていても、この鎌倉の実家の土地を売れば遊んで暮らせるのでは?」などと思っていた。
おれにはニートの才能があったので、なんの気兼ねもなくダビスタなんかをしながら暮らしていた。
が、親が事業に失敗した。実家がなくなった。一家離散となった。おれにもなにもなくなった。
なくなって、一人暮らしを始めることになった。不本意だ。不本意ながらそうなった。
生きるために働くことになった。自分の身分が何なのかわからなかった。生きるために最低限の金だけ現金で渡された。
初めて銀行口座を作ったときは感動したし、その後けっこう経ってからクレジットカードを作れたときは恩義すら感じた。おれは楽天カードを愛している。いずれにせよ、おれはおれが正社員というものになったのがいつなのかよくわかっていない。そうなる前にちゃんと納税していたかというと怪しいが、納めるだけの税金があったのかどうかもわからない。
最初は洗濯機すらなかった。近くにコインランドリーもなかったので、ユニットバスで服を手洗いした。そのアパートは水道代定額だったので、そういうこともできた。そんな生活だった。
ずっとパソコンも持っていなかった。おれが自分のパソコンを持つことができたのは、おれがブログをはじめたずっとあとだ。おれは会社のパソコンでブログを書いていた。
べつに苦労話をしているつもりはない。単なる事実だ。そしてこれは、就職氷河期世代とはなんの関係もないと思っている。
おれのは自己責任だし
さて、就職氷河期論となると、「自己責任論」が出てくる。とくに下の世代から出てくる。
「いつまで世代論で政治や社会に文句を言っているのか。就職氷河期世代でもちゃんと就職して結婚して子供を作り、資産を形成している人もいる。自分の能力や努力が足りなかったのをいつまで人のせいにしているのか」と。
そういう意見に対して、氷河期世代は大卒者の就職率などを出して反論する。就職活動の悲惨さを述べる。どうしようもない時代に左右されたのだと主張する。
おれはというと……、なにも言えない。おれがまともな人生から脱落したのは、おれが「もう大学に行きたくない」という自己の決断であった。
フランス語の活用を覚えようとする努力を怠ったのだし、友人を作れるという才能に欠けていた。おれには努力するということが物心ついたあとからいっさいできなかったし、なにかになりたいという意志も欠いていた。
おれはまったくの無能な人間であって、なおかつ努力する才能もない。日本経済、社会情勢、そんなものと関係なく、勝手に没落した。社会の底に落ちた。それはおれの自己責任にほかならない。
というわけで、下の世代から投げつけられる自己責任論、それに対する反論について、おれはなにも言えない。
おれと同じ世代にいた人間がすべておれのような怠惰な無能であったわけがない。向上心と性能があった人間も多くいただろう。そういう人間が、ほかの時代であれば得られたであろう人生を得られなかったケースも少なくないだろう。
でも、おれはそれを自分事として語れない。おれには友人というものもいないので、直接見聞きした話も語れない。
「そうだね、この世代の自己責任だよね」ともいえないし、「いや、時代のせいなんだよ」ともいえない。「おれは自己責任で社会の底辺に行って、貧しい人生を送ってきたけれど、ほかの人は……知らねえや」となる。
おれは世代自体からドロップアウトしてしまったので、「氷河期世代の敗者」ですらない。そもそも氷河期の戦場に立っていないのだ。もちろん、立たなかったのも自己責任だ。おれはそういう人間だ。
氷河期世代には報いがあっていい
なにごともすべて世代論で語るのは無理がある。人には人それぞれの人生がある。高度経済成長で成長できなかったやつも、バブルの恩恵を受けられなかったやつもいる。たくさんいる。もちろん、氷河期世代で勝ったやつもいる。それなりにいる。全滅ではない。
全滅ではないが、かなりの損耗率だ。軍隊では何%が損失すると全滅扱いになるのか忘れたが、かなりやられた世代だと思う。世代というものにやられた世代だと思う。
それでおれは「氷河期世代」という言葉には反応してしまう。どの世代でもいえることだが、生まれる前に「自分はこの世代に生まれたいです」と選択して生まれてきたやつは、人類史上一人も存在しない。いや、なんかの宗教のだれかにはそういう話があるかもしれないが、おれは知らない。
おれはたまたま同世代である氷河期世代に同情の気持ちを持ってしまう。たまたま同世代だったからだ。もっとも、おれは同情されてしまう側ではあるので……世代の外側から共感する感じだろうか。うまく表現するのはむずかしい。
おれは土俵にすら乗らなかった人間だからなにも言う資格はないかもしれない。それでも、なにやら苦労が多かったよな、と。いや、おれはその苦労、とくに就活の苦労を知らないのだけれど。
なので、なにか世代という偶然に振り回されて、不利な人生を送った人間にはなにか助け舟があってもいいような気がする。もちろん、下の世代からこういう発想がよく思われないのはわかっている。個人の努力も、世代の努力も足りなかったのだろう。人数はいるくせに、なんて役立たずでお荷物の世代なのだろう、と。
しかし、戦争に動員された世代に同じことを言えるだろうか。まあ、言えるやつは言えるか。そもそも、戦争の時代と不景気の時代を比べるなと言われるか。それでも、時代の不幸はあって、なにか救われてもいいような気がする。
……とはいえ、令和の現代日本がだれかに報いを与えたり、救いを与えたりできるほど恵まれた時代だろうか。そんな余裕ねえよと言われたらそれまでだ。そんな時代を作ったのはおまえら氷河期世代だろと言われたら、さらに返す言葉もなくなる。つらいなあ……。
けど、どのみち人生なんてコントロールできねえよ
昔のおれ、今のおれ。令和最新版のおれとなると、避けて通れないのが病気の話になる。おれは希少がん(NET-G1)になった。なってそれなりに大きい手術をして、一時的に人工肛門もつけた。いまはそれを閉鎖したあとの後遺症というか、LARSという病のなかにある。
で、がんを経験して人生観が変わったのか。がんサバイバーとしてだれかになにか言いたいことがあるか。
……ちょっとなにか、人生観が変わったとか、がんサバイバーとして人に説教できるような余裕はない。今のところはない。でも、ちょっと思ったことはある。新たに気付いたというより、確信が増したということだ。
それはもう、単純で当たり前な話だ。「人生はコントロールできない」ということだ。
自分が大腸内視鏡検査を初めて受けるときに、がんである可能性なんて露ほど思っていなかった。それが希少がんだった。死ぬよりなりたくなかった人工肛門にもなったし、LARSとかいう排便障害持ちになるとも思っていなかった。そんなもん、わからんとしか言いようがない。
ただ、おれは双極性障害という精神障害持ちだが、そうなるとも思っていなかった。思っていなかったが、精神のどこかがおかしいという感覚を抱いて生きてきたところはある。なので、精神科のクリニックに通うようになることも、手帳持ちになることも、それほど特別なこととは思わなかった。
が、希少がんは違った。「ああ、人生ままならないな」と思った。
「人生思い通りだ!」と思ったこともないが、まあそれでもここまでコントロールできないものに人生左右されるのかという話だ。ほっといたら希少がんが進行して死んでいたかもしれない。検査したのも偶然、希少がんだったのも偶然。ぜんぜんどうにもならない。
だからあなたが、氷河期世代科どうかも知らないし、そんな世代論どうでもいいが、まあ人生そんなにコントロールできねえよということは言っておきたい。
「わりと自分は勝ち組かも」と思っている人間も、健康診断一つで地獄に落ちることもある。それを忘れるな。
もちろん、自分で自分の人生の選択をコントロールして、成功した人もいるだろう。失敗した人もいるだろう。でも、どうにもならんこともある。そういうことだ。運命は残酷なので、氷河期世代で辛苦を味わって来た人間が、さらにがんになることだってあるだろう……。
結局、人生でいちばんたいせつな生命ですら、自分ではコントロールできないんだよ。
コントロールできることとできないことを見極める賢明さがあったところで、コントロールできないものはできない。人生は思っているほど人間のものではない。
まあ、それでもおれは今日という日まで生きてきた。それでも、生きてはきた。
明日死ぬつもりもない。けれど死ぬかもしれないと思っている。おれはそうだ。あなたはどうだろう?
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(2026/3/10更新)
【著者プロフィール】
黄金頭
横浜市中区在住、そして勤務の低賃金DTP労働者。『関内関外日記』というブログをいくらか長く書いている。
趣味は競馬、好きな球団はカープ。名前の由来はすばらしいサラブレッドから。
双極性障害II型。
ブログ:関内関外日記
Twitter:黄金頭
Photo by :Davide Cantelli




