数万年前、農耕という究極のテクノロジーを獲得して以来、狩猟採取に比べて圧倒的な生産性の高さから、人類のほとんどは生まれた土地で暮らし、働き、死ぬようになった。

したがって、農耕が始まって以来、近代までは基本的に多くの人は農民をはじめとした一次産業の生産者として「生まれた土地」に人生を縛られていた。

 

ところが18世紀から19世紀の産業革命とともに出現した「工場」は「生まれた土地」から人を引き離した。工場は農村から大量の人を吸い上げ、農業で生計を立てるよりも遥かに豊かな都市での暮らしを約束した。

「都市」と「労働者階級」は産業革命の嫡子であり、この頃から我々の知る「会社勤め」が出現した。だが、その頃の「会社勤め」は、現在の会社勤めとは全く様子が異なり、「農村で飢えるよりは工場で働いたほうがマシ」と言った程度だったため、次第に資本家と労働者の間に深刻な対立を引き起こした。

その頃の人々は工場労働者として「資本」に人生を縛られており、人生の選択の自由はそれほどなかったと言える。

 

時が経ち、工業の生産性が激増するに伴い、工場における肉体労働者、すなわち「資本に縛られた」工場労働者、すなわちブルーカラーは減少する。

変わって出現したのがホワイトカラーだ。

営業、事務、購買、企画など、「作って売る」だけでは効率の面でも、顧客満足という点でも競争に勝てなくなった時代には、円滑に組織を運営するためのホワイトカラーが必要となった。それがいわゆる「サラリーマン」である。

だが、残念ながらそれは「土地」から「資本」に縛り付けられるものが変化した労働者をサラリーマンとして「会社組織」に縛り付けただけであった。

「終身雇用」「年功序列」などの仕組みはすべて、サラリーマンを会社組織に縛り付ける工夫である。

 

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そして現代、世界の時価総額上位の企業は製造業ではなく、「金融」「情報通信」などのソフトウェアやテクノロジー、専門知識を中心とした企業群となった。

もちろん、それらの会社には多くのサラリーマンがいる。

だがそこで活躍する多くの人が「知識労働者」となりつつある。彼らは組織に依存しない、自らの専門性を必要とする企業に流動的に、一時的関わるのみである。

必然的に彼らは終身雇用ではなく、自らの知識を活かした「やりがいのある仕事」「卓越した成果をもたらす機会」を求める。そこには従来の「地主と小作」「資本家と労働者」「雇い主とサラリーマン」という関係はない。

現在、転職が増えているのは、そのためだ。

知識を有する人は、自分の知識を利用してくれる組織は必要だが、決まった主人を持つ必要はないのだ。

 

さらに「知識」の特性上、知識を有する人物は、様々な組織とのインターフェースが多ければ多いほど、能力が強化される。

「アイデアは、既存の要素の新しい組み合わせである」

と述べたのはJ・W・ヤングだが、※1それは、知識の本質を突いている。

つまり閉鎖的な組織に属さず、多様な組織や人物とコラボレーションできる人物ほど、知識の多様な組み合わせを手に入れることができ、知識労働者としての生産性が高くなる。

 

あるエンジニアは、

「会社の仕事ばかりやっていると、ウデが上がらないので、他の会社の手伝いをしていますよ」

という。

あるwebマーケターは、

「いろんな会社の仕事をしたほうが事情に明るくなりますから。」

と、副業に精を出す。

その他、営業や企画、編集、ライティング、デザインなどにおいても、「組織に全面依存しない」人が確実に増えている。

 

もはや、我々の子供の世代において、組織に縛られて仕事する人間は、ますます少なくなるだろう。

労働者の統計調査によれば、現代の日本は既に農民は全体の1%もおらず、工場労働者も激減した。事務員たるホワイトカラーも、そのような運命をたどるに違いない。

 

今後、ますます多くの人が豊かさを求めて、「知識労働者」となることを目指す。

そして、知識労働者として自由を得る代償として、「自分の人生を、自分で経営する」ことが求められるようになるのだ。

 

 

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