「忙しい人」になっても、あまり良いことはない。それどころか、「忙しい人」は迷惑な存在である可能性すらある。

何故そう言えるのだろうか。

 

昔訪れた、web系の開発を行ってる会社の話だ。

その会社は「プロジェクトマネジャーの表彰制度」を持っていた。半期ごとに最も頑張ったプロジェクトマネジャーを表彰する、といった内容だった。

そして、その賞の多くは「難局を見事乗り切ったプロジェクトマネジャー」や「炎上したプロジェクトを見事に治めたプロジェクトマネジャー」などに与えられた。

 

私は「なるほど、頑張った人が報われる仕組みなのですね」と何気なくコメントしたのだが、その会社のマネジャーの一人は私を軽蔑したように言った。

「いやいや、あの表彰制度は全く機能してないですよ。」

私は驚いた。

「なぜですか?」

「あたりまえじゃないですか。ホントに腕の良いマネジャーは、そもそも難局など迎えないですし、炎上もさせません。淡々と何事も無く、頑張らず、ゆるやかにプロジェクトを成功させます。よって、目立つことはありません。

現場の人は誰もが、本当に優れたマネジャーは誰だかを知っています。それは表彰された彼ではありません。」

 

それ以来、私は考え方を改めた。

 

つい最近、ある編集者の方とお会いした時に、偶然似たような話を耳にした。

「最近面接してて思うんですけど、「激務をこなしました」って履歴書に書いて、面接の時アピールしてくる人って、仕事できない人ですよね。とくに営業とか」

「何故ですか?」

「激務って、会社のダメさと、自己管理の甘さの象徴ですよね。そんなものをアピールしてどうするんですか。

僕は逆に、ゆるく仕事してきました、でも頭使ってる、ってやつを採用します。仕事のやり方を聞けば、すぐわかりますよ。」

 

ある製造業のプロジェクトリーダーは、年がら年中、課題を発見しては「忙しい、忙しい」と、そこらじゅうを駆けずり回っていた。

彼は社内では有名人で、一部の役員からは「頑張っている」と大きな評価を得ていた。

だが、役員に「彼はどういった業績を作ったのですか?」と聞くと、

「問題を見つけて、前向きにいつも取り組んでいる」

「夜遅くまで頑張っている」

と言った以上のことを聞くことはできなかった。

現場の多くの人たちは、「彼、あら捜しだけはがんばるけど、いい加減迷惑なんだよね。」と言った。

実際、頑張っている彼のあだなは、「火災報知機」で、誤報が多すぎるのが欠点だった。

 

————————–

 

実際、「忙しくさせること」は、会社にとって大きなメリットは殆どない。せいぜい、長時間働かせて、残業代を出さないことで人件費を多少ケチることができるくらいである。

もちろん、仕事には波があり、繁忙期が存在するのは仕方がない。だが、それを放置し、あまつさえ「表彰」してしまうことは、マネジメントの欠陥として恥ずべき性質のものだ。

長時間の労働は創造性を失わせ、チャレンジする意欲を削ぎ、会社の活力は失われる。

 

また「忙しくしている人」自身にも問題はある。

問題への対処で忙しい、部下への話で忙しい、会議が忙しい、お客さんへの対応で忙しい

彼らはそう言う。

 

そうすれば、彼の仕事は当分失われる恐れはなく、上司にアピールできる材料は増える。

だが、実のところ彼は何も成果をあげることができていない。

忙しいのは、リソース管理の甘さと、問題の再発防止を怠った結果である。

 

ピーター・ドラッカーは著書*1で「かえって、いかなる成果もあげられない人のほうがよく働いている」と述べた。

「忙しい人」になってはいけない。

簡単なことを楽に継続し、着実に、危なげなく、簡単にこなしている人こそ、真に仕事のできる人物であり、見習うべきやりかたである。

 

 

Books&Appsでは広告主を募集しています。

安達裕哉Facebookアカウント (安達の最新記事をフォローできます)

・編集部がつぶやくBooks&AppsTwitterアカウント

・最新記事をチェックできるBooks&Appsフェイスブックページ

・ブログが本になりました。

*1

(Z S)