あなたは、自分の愛情や感謝の気持ちを、きちんと「加工」して伝えているだろうか。
「加工」してない愛情は、火を通してない鶏肉のようなもの
世の中には、愛情といえば無条件に良いもので、あったほうが良いに決まっている、といった主張をしている人もいる。
だが、実際にはそんなことはない。要らない愛情を押し付けられた時や、好ましくないかたちで愛情を投げかけられた時、人は当惑し、嫌悪感すら抱く。
たとえば、自分の子どもに対して見知らぬおじさんやおばさんから愛情のこもった声をかけてもらっても、それが唐突だったり、子どもが怖がるような声がけだったりしたら、親としても子としても困るだろう。怖さすら感じるに違いない。
意中の女性に、なんとか自分の気持ちを伝えたいと思っている男性にしてもそうだ。
本心としては「自分はあなたのことを大切に思っているし、何かしたい」だとしても、男女のコミュニケーションの行儀作法を身に付けていない男性が女性にアプローチすれば、おそらく女性は気持ち悪がって拒絶するだろう。
自分のなかにある愛情を、女性が受け取りやすいかたちで差し出せない男性は、その愛情を受け取ってもらえない可能性が高い。
それに比べれば感謝の気持ちはまだ伝わりやすいが、感謝ですら、不適切だと伝わりにくい。
いわゆる“ツンデレ”のような、「べ、別に感謝なんかしていないんだからね」的に拙劣な表現を読み取ってもらえるのは、ごく一部の人だけでしかない。
一般的には、相手が受け取りやすいかたちで「ありがとう」や「サンキュー」を表現しなければ、自分が感謝しているというメッセージが相手に届かず、最悪、「あいつ、礼も言わないのかよ」と思われてしまいかねない。
だから私は思うのだ、“愛情も、感謝の気持ちも、ちゃんと「加工」していなければ食えたものじゃない”、と。
生肉のたぐいが適切に「加工」しないと食えたものじゃないのと同様に、愛情や感謝といった気持ちも、コミュニケーションのプロトコルどおりに「加工」して伝えないと、相手にちゃんと伝わらないのである。
愛情深い人≒愛情を「加工」するのが上手い人?
以上を踏まえたうえで、もう少し先まで考えを推し進めてみると、だんだんモヤモヤしてきたので、そのあたりをストレートに書いてみる。
愛情や感謝の気持ちを、コミュニケーションのプロトコルどおりに「加工」しなければ他人に伝わらないのだとしたら、愛情深い人・感謝の気持ちを忘れない人とみなされている人々は、かならずコミュニケーション巧者、ということになりはしないだろうか。
「あの人は愛情深いよね」
「あの人は感謝の気持ちを大切にしているよね」
と、誰もが認めている人がいるとする。
その人は、事実、愛情もあるのだろうし、感謝の気持ちも持っているのだろう。
だが、さきに述べたように、愛情や感謝の気持ちは適切に「加工」しなければ他人に伝わらない。内心には愛情や感謝を秘めているのに、他人にはなかなか伝わらない人もいるだろう。
しかし、誰からも愛情深く感謝を忘れないとみなされている人の場合は、他人に愛情や感謝の気持ちがちゃんと伝わっているわけだから、その人はきっと、相手に愛情や感謝の気持ちが伝わるようにあれこれ工夫しているはずなのだ。
その工夫のひとつひとつ、「加工」のひとつひとつが、「あの人は愛情深いよね」「あの人は感謝の気持ちを大切にしているよね」と他人に観測される状況を生み出している以上、そうみなされている人は、コミュニケーションのプロトコルに精通していて、自分の愛情や感謝の気持ちをプレゼンテーションするのが上手な人、ということになる。
ここらへんを煎じ詰めて考えると、他人から「愛情深い人」「感謝の気持ちを大切にしている人」と思われるための必要条件は、コミュニケーションのプロトコルに精通していること、自分の気持ちをプレゼンテーションするのが上手いこと、ではないだろうか。
もっと言ってしまうと、コミュニケーション能力が高くなければ、愛情深い人にも感謝を大切にする人にもなれないのではないだろうか。
「伝えられないものは伝わらない」のも事実だが……
世の中の人が、みんなコミュニケーション能力が高く、自分の気持ちを適切に表現できるなら、世の中はもっと愛情や感謝に彩られて、誤解にもとづく衝突も少なくなって、みんなが生きやすくなるのかもしれない。
少なくとも、内心では愛情や感謝の気持ちを豊かに持っているのに、それを他人に伝える手段が拙くて、せっかくの気持ちを受け取ってもらえない・気付いてもらえない事態は減るのではないだろうか。
だから、何はともあれ、コミュニケーション能力を高めていくのが良いように思われるけれども、そこに引っかかりを私は感じる。
キチンと伝えなければ愛情も感謝の気持ちも伝わらないのは事実だし、キチンと伝えるのは現代人の義務だと言われてしまったら、反論のしようがない。
だからといって、コミュニケーション能力がなければ愛情も感謝も存在しないことになってしまうのは、ちょっとシビアすぎるのではないだろうか。
コミュニケーションは、他人に対して実際にプレゼンテーションされたものだけが、相手が受け取ったとおりに伝わる。
だから、愛情も感謝も、他人に上手に伝えられる人のものが伝わりやすく、評価されやすいのは、致し方のないことではある。
しかし、世の中に潜在している、本当は愛情や感謝の気持ちが豊かで、だけどそれを上手に表現できなかったり、あまりプレゼンしなかったりする人までもが、一律に「愛情が乏しい」「あまり感謝しない」とみなされてしまうのは、なんだか悲しいことのように思えるのだ。
昨今のネットコミュニケーションなどを観ていると、現代人は、実際にプレゼンされたもの・実際にアウトプットされたものには鋭敏に反応するが、プレゼンされていないもの・アウトプットされていないものには想像力を働かせなくなっているように私は思う。
そのようなコミュニケーション状況のなかでは、しっかりプレゼンしている人の愛情や感謝は大いに評価される反面、そうでない人が内心に秘めている愛情や感謝、上手に表明されざない愛情や感謝は、気付かれないまま無かったことにされていくか、誤解されて嫌悪されていくだろう。
私はコミュニケーション能力こそが、現代社会を生きていくための汎用スキルセット(のひとつ)だと思っているし、誰かに愛情を届けたい人・誰かに感謝の気持ちを伝えたい人は、コミュニケーション能力を鍛えておくのが良い、と思っている。
しかし、「上手にプレゼンされていない気持ちなど存在しない」「プレゼンされたメッセージだけが全てだ!」と考えられるほど私はマッチョではないし、「コミュニケーション能力の無い人間は、愛情も感謝も乏しい」と決めつけたくもない。
だから、うまくコミュニケートしてうまくプレゼンされたものだけを評価の対象にしたがる昨今のコミュニケーション状況に、怯んでしまう部分もある。
愛情や感謝の気持ちは、確かに「加工」しなければ食えたものじゃないけれども、「加工」された愛情や感謝の気持ちしか世の中には存在しないことになってしまうのは、いかがなものなんだろうか。
率直に言って、私はそれがちょっと怖い。
上手に表現されたもの・上手にプレゼンされたものしか認識しなくなっていく世の流れのなかで、「愛情」とか「感謝」とかいった気持ちは、これからどこへ向かっていくのだろう?
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著者:熊代亨
精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。
通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)など。
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