かなり昔の話だ。
クライアント先で、一人の男性から相談を受けた。
彼は同じ年代の中でも「できる人」だと評判で、役員への昇進も期待されていた。
だが、彼は仕事上のコミュニケーションで苦労していた。
「ちょっと相談にのってもらえますか。」
「はい。」
「一週間前、エクセルのシートに一人ひとり、現状分析と来期の目標、そして達成のための施策を書いて提出してもらいました。」
「憶えています。」
「ところがです。提出されたものを見ると、……内容がひどくて。」
彼は溜息をついた。
「新人なら良いですよ。でも管理職でもひどい内容のものが結構あります。私の指示がマズいんですかねえ……。」
私はそれを見せてもらった。
様式は丁寧にできているし、不親切なものとは感じない。
だが、提出された内容については、確かに私も首を傾げざるを得ない点が多数あった。
例えば「現状分析」欄には、今期の売上について間違った数字が記入されている。
「この数字はどこから持ってきたんですかね」
と彼に聞くと、
「わかりません。彼の単なる思い込みかもしれません。」
と彼も言う。
さらに疑問な点はいくつもある。
例えば一般社員のシートは、
来期の目標に関して、「有給をしっかり取る」「資格を取る」など、組織の成果と遠いことばかりが書いてあるものも散見される。
また、「ミスをなくす」という目標達成のための施策について「気をつける」など、スローガンの域を出ないものも多い。
また、彼らを指導すべき立場の管理職が書いたシートにも、例えば「若手の育成」という目標に対して、「声掛けと指導を徹底する」と書かれている。
「なるほど……。」
「それだけじゃないんです。」
彼は一枚のシートを取り出した。
「この「部門予算の達成」という目標に対して、「引き合いに対する受注率を75%以上にする」」というのは、まあ、マシな目標にも見えたのですが……」
「何がマズかったのですか?」
「本人に、「受注率を75%にするには、具体的に何をする?」と聞いたら、「レスポンスを早くする」と言いました。」
「ほう。」
「更に突っ込んだんです。「レスポンスを早くすると、本当に受注率が上がるんですか?その根拠は?」と。そしたらその管理職も全く答えられない。」
私は彼に尋ねた。
「目標のたて方に関する知識が不足しているんですかね。」
彼は
「いえ、研修は何度もやっています。でも、変わらないんです。」
私は強い興味を持った。
なぜ彼らは、指示をきちんと遂行できないのだろうか。
その理由を確かめるため、インタビューを行った。
*****
最初に、誤った売上を記入した方に話を聞いた。
「今期の売上なんですけど、間違って書かれてますよね。」
「え、間違ってました?」
「はい。どこの数字を見ましたか?」
彼は当惑した様子だった。
「どこだったかなあ……。あまり覚えていないですね。」
「数値の正確性について、検証はしなかったのですか?」
「いや、正しいと思ってました。」
「検証は不要だと?」
「はい。」
検証が不要、という彼に、私は少し驚いた。
施策を作る上では、結構重要な数字のはずなのだ。
「……正直にお答え頂きたいのですが、数字が多少不正確でも、あまり問題はないのでしょうか?」
「いえ、そんなことはないと思います。」
「しかし、あなたはどこを見て数字を書いたのか思い出せないし、実際に間違った数字を書いている。」
「んー、ミスでしたね。」
「……なるほど。」
*****
次に、「ミスを無くす」という目標について施策を「気をつける」と書いた方に話を聞く。
「気をつければ、ミスはなくなりますかね?」
「はい。もちろんです。」
私は更に質問した。
「わかりました……。ちなみに、今期はミスがありましたか?」
「えー、はい。幾つか。」
「それは、あなたが気をつけてなかったから、という理解でいいでしょうか?」
「いえ、いつも気をつけていました。」
「では、気をつけていても、ミスはおこるのですね?」
彼は意味がわからない、と言った様子だった。
「いえ、気をつければなくせます。」
「……しかし実際にはミスは起きている。」
「……まあ、もっと気をつける、っていうことですかね。」
*****
さらに、私は管理職にも話を聞いた。
「「若手の育成」には、「声掛けと指導を徹底」とありますが、具体的にはどのようなことなのでしょう?」
「なかなか忙しくて、若手を放置しがちなのが、今期の反省だね。だから、来期は声掛けと指導を徹底すれば、若手も育つ。」
「……なるほど。」
管理職の方は「何が疑問なんですか?」と言わんばかりだ。
私は質問が悪かったと思い、追加で質問した。
「……では、とても初歩的な質問で恐縮なのですが「若手が育った」とは、どういう状態なのでしょう?」
「どういう状態?」
「例えば、「育った若手」と「育ってない若手」は具体的に何が違うのですか?」
「見ればわかりますよ。お客さんを任せられるとか、セミナー講師ができるとか。」
「なるほど、それが基準なんですね。」
「それだけじゃないけどね。」
「他には?」
「商品知識とか、トークとか、そういうのも違うね。」
「なるほど、よくわかりました。そういうのは全部、声掛けと指導を徹底すればできるんですかね。」
「……んー、人によるな。」
「放置もしない?」
「忙しさによるかな。」
「……なるほど。」
「あんたも細かいねえ。そんなこと気にしてどうすんの。」
細かいねえ、と言われたので、インタビューはこれで打ち切ってしまった。
*****
上の方々に共通するのは、言葉は悪いかもしれないが「ちゃんと考えられない」という点だ。
回りくどい言い方をすれば、「成果を上げることについて、論理立てて考えられない」ということになる。
当然、目標を達成する施策についても、「何となく自分が正しいと思うこと」より先に思考が進むことはない。
したがって、急場しのぎの研修を受けさせたり、様式を整えて彼らに考えてもらったりしても、結局大した施策は出てこない。
逆に彼らは「なんでこんな面倒なことが必要なの?」と思うだけだろう。
「ちゃんと考えられない人」につけるクスリはあるのか。
結局、「ちゃんと考えられない人」につける薬はあるのか。
もちろん、無いわけではない。
論理的に考えることは訓練次第で誰にでもできるし、特別な才能を必要とするようなことでもない。
適切な指導者のもとで、適切な訓練を施せば、彼らも「考えられる人」になるだろう。
ただ、それにはとても時間が掛かる。
なぜなら、多くの「ちゃんと考えられないひと」は、その自覚がないからだ。
自覚がない人に、変革を迫ることはできない。
「ダニング=クルーガー効果」と呼ばれる現象がある。
これは、コーネル大学のデイヴィッド・ダニングとジャスティン・クルーガーが提唱した認知バイアスの一種で、「能力の低い人は、自分の能力を正確に査定できないが故に、自己の能力を過大評価する傾向にある」という知見である。
二人は心理学を学ぶ学生たちにテストをした。それは文法や論法やジョークのテストだ。そして、学生たちに自分で自分の得点を予想し、他の者たちに比べて、どれくらいうまくできたのか、(パーセンタイル値で)自己評価をするようにと言った。
一番低い得点を獲得獲得した学生は、どれほど自分がよくできたかを大げさに吹聴した。それはダニングも、テストの前に予想していたことだった。
が、これほどまでに効果が大きいとは思わなかった。この結果を聞いた彼の最初の反応は「ワオ!」だった。最下位に近い得点を取った学生たちは、自分の技量を他の三分の二の学生たちより、一段とすぐれていると予測していた。
さらにやはり予想していたことだが、高い得点を獲得した学生たちは、自分の能力をより正確に認識していた。
が、(聞いて驚かないでほしいのだが)もっとも高い得点を取ったグループは、他の者たちに比べて、自分の能力を若干低く見積もっていた。
ダニングとクルーガーが見届けた通り、文法のテストにどれだけ高い得点を挙げられるか、それを予測するただ一つの方法は、文法を知ることだった。文法の知識が欠けている者は、自分の知識を正確に測ることができない。当然、彼は自分自身の無知に気がつかないということになる。
「ちゃんと考えられない人」は通常、「自分たちが論理的能力が不足している」とは考えていない。
むしろ「自分はできる方だ」と考えている人も多いだろう。
そんな人を変えるのは、非常に難しい。自己認識を改めさせるには、3年から5年、ときに10年の歳月を要することもある。
*****
そのクライアントに最近、再び訪問することがあった。
驚いたことに当時、目標と施策をまともに作ることができなかった人が、今では立派なマネジャーになっていた。
「随分出世しましたね。」
「いやー、会社には本当に感謝してます。」
私は率直に話を振った。
「失礼な言い方かもしれませんが、ご自身の能力不足に自覚的になったのはなぜですか?」
「そうですね……実はすごく単純で。結婚したのが一番大きいです。自分のためよりも、人のためのほうが頑張れるもんですよね。」
人によって、自己変革のタイミングは様々だ。
が、もしかしたら「プライベートの出来事」こそ、最も大きな自己変革を起こすきっかけになるのかもしれないと、ふと思った。
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