正月が終わった。

新しい年が始まり、仕事が再開される。

 

が、長い休みの後には、反動として「働けなくなる人」が一定数出てくる。

仕事のプレッシャーからなのか、プライベートのトラブルに起因するものなのか。実際のところは決してわからない。

 

そして、私が最も記憶している出来事の一つも

「休み明けに働けなくなった人物」の話だ。

 

*****

 

10年以上前の話。

私が参加していたプロジェクトのメンバーの一人に、システム会社出身のOさんという人物がいた。

彼は能力的には平凡で、特に明晰であったわけではなかったが、その真面目さと素直さで、プロジェクトリーダーからはそれなりの評価を得ていた。

 

「それなりの」という言葉を使った理由は、リーダーにとって「面倒な仕事を引き受けてくれる便利な人物」という認識だったからだ。

 

特に優れたアイデアを出すわけでもなく、顧客との折衝がうまいわけでもない。

だが、与えられた大量の仕事もミスなくこなし、長時間労働についても不満らしい不満も言わなかった。

 

そんな状況の中、一つの出来事があった。

現プロジェクトリーダーの退職に伴い、プロジェクトリーダーが変わったのだ。

 

新しいプロジェクトリーダーは非常にエネルギーがあり、かつ部下思い、という点でも前のプロジェクトリーダーに勝っていた。

つまり、エースクラスが投入されたのだ。上層部の気の遣いようが知れる。

噂では、「彼の指揮するチームは、モチベーションが非常に高く保たれる」ということだったので、私も少し楽しみだった。

 

そしてリーダーは交代した。

彼は、就任にあたって、部下の話を一人ひとり聞く機会を設けた。

私もその一人だったので、彼のヒアリングはよく覚えている。

 

彼は実に根気よく、我々から話を引き出した。

言葉を荒らげることもなく、丁寧な言葉づかいを心がけていたようだった。

また、彼は詳細まで確認を求めるとともに、正確な数字を要求した。

 

そして、最後に彼は言った。

「私は、メンバーの自主性を重視している。」

 

その言葉の通り、彼は「自主性」をメンバーに強く要求した。

例えば、次のような事項においてである。

・成果の定義はリーダーが行うが、成果の指標は自分で考え、決めること。

・マスタースケジュールはリーダーが決めるが、タスクの詳細スケジュールは自ら定義し、その進捗報告の方法をリーダーに報告、承認を受けること。

・品質を定義し、品質基準について承認を受けること。

……

 

このやり方は、私には非常に合っていた。

そして、大半のメンバーも、同じことを感じていたようだ。

 

前リーダーから与えられた、微に入り細に入る、一律の基準では、仕事をやりにくいと感じているメンバーが多かったのだろう。

「承認を受ければ、自分でやり方を決められる」

という、そのマネジメントは、概ね好意を持って迎えられた。

 

思うに、そのリーダーは「マイクロマネジメントは悪」という一種の信仰があったように思う。

それはもしかしたら、彼が過去の上司から受けた扱いによるものかもしれないし、何某かの書籍や、会社の方針などの影響もあったかもしれない。

 

だが、その「自主性マネジメント」は、功を奏した。

確かにチームの雰囲気はより良くなり、自らのモチベーションも向上した。

ただ一人を除いて。

 

それは、Oさんであった。

Oさんは、「自主的に」ということがどうしてもできなかった。

 

「品質の基準となる指標を決めなさい」と言われても、彼はリーダーが良いと「いいそうな」ものを持っていき、「なぜこう決めたんだ」と問われると、何も答えることができなかった。

「タスクを消化するスケジュールを決めなさい」と言われても、彼は「指示通りにやりますから、リーダーが決めてください」と言った。

「今後のキャリアで何を目指すか」と問われても、彼は「何を目指せばいいか、教えてください」と言った。

 

Oさんは「自分で決める」ことが、絶望的にできなかった。

そして、自分で決められないことを、「上が教えてくれない」という不満に転換した。

 

そして、残念ながら周りはそのようなOさんの悩みを、冷ややかな目で見ていた。

「決められないのは、決めないOさんが悪いのだ」と。

 

 

そして、Oさんは「自分で決めなければならない」というプレッシャーに負け、会社に来なくなった。

 

プロジェクトはOさんがいなくなり、彼がやっていた雑用を皆で分担することになった。

面倒な文書の改訂とバージョン管理、資料の印刷、関係者への連絡……

いずれも、誰でもできる仕事だった。

だが、誰もがやりたいとは思わない仕事だった。

彼は黙々と、大量の事務仕事をこなしてくれていたのだ。

 

*****

 

私はこの経験から、一つの結論を引き出した。

 

すなわち、「自分で決められる人」と「自分で決められない人」が世の中には存在していること。

そして、「自分で決められない人」は、「決める」ということ自体が強烈なストレスになるということだ。

 

 

後者の代表例であるOさんは、知的レベルの高い人物が集中するような職場では評価を受けにくかった。

「代替が効く」と思われたり、「知的レベルが劣っている」とみなされたりするからだ。

 

だが、Oさんは確かに決めることが苦手であったが、面倒な作業を引き受けてくれていたことは事実であり、事務処理能力が高く、必ずしも知的に劣っているとはいえなかった。

 

Oさんはただ、「決めること」が苦手だっただけなのだ。

実際、活用の方法によっては、彼の能力を十二分に引き出すことができる。前のプロジェクトリーダーのように。

 

「マイクロマネジメント」は悪しざまに言われることが多い。

だが、当たり前なのだが、すべての状況においてそうとは言えない。

「自主性」は、あらゆるマネジメントに適用できる、万能薬ではないのである。

 

【著者プロフィール】

安達裕哉Facebookアカウント (安達の最新記事をフォローできます)

・編集部がつぶやくBooks&AppsTwitterアカウント

・すべての最新記事をチェックできるBooks&Appsフェイスブックページ

(Photo:tokyoform