わたしには割とガサツというか、お行儀が悪いところがある。

そのうちのひとつが、割とどこにでもあぐらをかいて座り込んでしまう癖である。

 

先日、深夜のコンビニに煙草を買いに行った時。

真夏の暑さが少し和らいで、夜風が涼しかった。

人気のない郊外のコンビニの駐車場。わたしは座り込んで1本の煙草に火をつけた。

 

夜風と懐かしい感覚

日中なら、コンビニの建物の裏、周囲に人がいない場所で1本吸ったりする。

しかし夜風が心地よいのと少し酔っていたこともあり、わたしはそのまま寝転がってみた。

 

硬いアスファルトの上。満天の星空などではないが、しかしどこか懐かしい感じがしてぼんやりと空を見上げていた。そのままうたた寝しそうになったくらい心地よかった。

そしてふと思い出した。

 

あの時、

夫婦「だった」ふたりはいま、どうしているのだろうか。

夫「だった」人は、まだこの世にいるのだろうか。

 

憂さ晴らしをしたかった夜

7年くらい前か。

ある日、わたしはすごく嫌なことがあって、ひとり深夜まで飲み続けていた。

 

何軒もハシゴをして午前4時。足元もおぼつかないくらいだったが、最後に出た店の近くに朝までやっているバーがあることは知っていた。

一見では入りにくい雰囲気もあったが、そんなこと知るか。飲めればいい。ドアを開けた。

 

奥にある賑やかなカウンターで、マスターと常連客が楽しそうにしていた。

完全にアウェイな空気ではあったが、それもどうでもいい。わたしはずけずけと会話の中に入って行った。

 

6~7席か。

奥の2人は夜の仕事を終えたという雰囲気の女性2人。その手前に一組の男女、そしてわたし。

 

そして話の流れは忘れたが、私は隣の男性と話し込むことになった。年の頃は似たようなものか。

嫌なことがあってさあ、という愚痴もこぼしたと思う。

病気に悩まされていることも打ち明けたと思う。

 

しかしわたしの手首に刻まれた傷跡を見て、彼はこう言った。

「いいか、生きろよ。こんなことすんなよ。こんなことしてる場合じゃねえぞお前」。

 

「は?」

急にお前呼ばわりして、何を偉そうなこと言ってんだよこの兄ちゃん、お前にわたしの苦労がわかるのか?と思った。

 

しかしその後、彼は自分について切り出した。

「あのね、隣にいるこの人ね、元嫁なの」。

 

「嫁」が「元嫁」になった理由

「へっ?元奥さんと一緒に飲みにきてるの?」

口をついて出てきた質問はこれだ。

「元嫁」さんはマスターとカウンター奥の女性たちとなにやら盛り上がっている。罰ゲームかなにかでマスターに次から次と酒を飲ませていた。

 

「そうだよ。離婚してんの」。

 

わけがわからなかった。

まあ世の中には、夫婦や恋人としてはうまくいかなくても、その後友人やビジネスパートナーとしてはうまくやっていく男女がいると聞いたことがある。

2人もそのうちのひとつの関係なのかもしれない。

 

しかし大きく違った。

「俺、癌が見つかって。それで色々話し合った結果、離婚することにしたの。俺に何かあった時、俺が彼女に気を遣うのも嫌だし、彼女には負担をかけないっていうことで、彼女もそれわかってくれて、お互い納得したの」。

 

「そうなんや・・・」

それ以上なにも聞くことはなかった。

 

「だからさ、俺なんてそのうち死ぬんだよ?あんたまだ生きられるじゃん。だからしょうもないことすんな、って言ってんの。いいからお前は生きろ」。

そう言って彼はわたしの手を握った。

 

「わかったよ、ありがとう」。

 

その握手に少し申し訳ない思いをした。

なんだか、わたしのほうが彼からエネルギーを吸い取ってしまったような感触があったからだ。

涙も出なかった。

 

さわやかすぎる朝

朝、店がお開きとなって。

再び彼と握手を交わした。

 

「いいか、生きろよ!」

背中にそう声を受けて、わたしはふらふらと自宅のほうへ歩きはじめた。

さわやかすぎる朝日だった。

 

大通りに出て、初めて涙が出た。

わたしはしょっちゅう「死にたい」と思って生きている。

しかし彼は真反対のところにいる・・・。
悔しさが込み上げてきた。

なんで彼がそんな目に遭わなきゃいけないんだ。なんでわたしなんかがのらりくらりと毎日生きてるんだ。

 

泥酔していたこともあって、悔しさのあまり、そこにあった電柱を思い切り蹴った。

 

そのままそこに座り込み、ひとり嗚咽した。心の整理などつかない。

それでも世間はいつも通り動いている。ちょうど、多くの人の通勤時間だった。

 

オフィス街。通勤の人たちの足音が増えてきた。

「なんなの、この酔っ払いの姉ちゃん」

そんな目で見たいなら、好きなだけ見てくれていい。そんなものどうだっていい。

 

おにぎりとカップの味噌汁

そうしているうちに、1台の白い車がわきに止まった。

港へ通勤途中の男性の車だった。

 

「おい、大丈夫か?いいから乗って」。

わたしは遠慮なく助手席に乗った。

 

「家どこ?近くだったら送っていくから」。

車なら5分もかからない場所だが、その間わたしは泣きながら喋り続けた。

バーであったこと。ずっとしゃべっていた。

 

自宅の前に着いても、なお喋り続けていた。

泥酔しているから、説明なんかになっていなかっただろう。

 

しかし男性は聞き続けてくれた。

これから出勤という人に迷惑をかけていることもどこかで分かっていたが止まらなかった。

 

ひとしきり泣いた後、男性は小さなコンビニ袋をくれた。

「いいから飯食って元気出して、な?これ、朝飯にしようと思ってたけど持っていっていいから」。

 

ろくにお礼を言えたかどうかわからないが、その袋を受け取って自分の部屋に帰った。

 

袋の中にはおにぎりとカップの味噌汁、お茶が1本入っていた。

そのおにぎりを食べながら、また泣いた。今度は嬉し泣きが混じっていたと思う。

 

そしてようやく眠りについた。

港区の路上にもこんな世界があったのだと温かさを感じたことだけは覚えている。

 

不条理と最上級の愛のカタチ

人には人の不幸があって、それは同じ物差しで測れるものじゃない。

 

確かにそれは真理かもしれない。

わたしにはわたしの、彼には理解できないであろう苦しみがあったと思う。

 

「生きたかったのに生きられなかった人のことを考えろ!」それはうつ状態の最中にある人には通用しない。

しかし彼には彼の、あっけらかんとしたバーでちょっと話したくらいでは知りようのない苦しみがある。

ただ世の中に、明らかに「不条理」が存在するということを嫌ほど、生々しく見せつけられたのは事実だ。

 

目が覚めたら、頭が痛かった。右足が痛かった。骨折していた。

どれだけ怒りをぶつけても、電柱にかなうわけがない。世の中と同じかもしれない。

 

そこからどうやって気持ちの整理をつけていったのかは覚えていない。

しかし時間は経過して行った。その間、わたしの生活も大きく変わって行った。
相手に負担をかけなくない彼。

彼の気持ちを楽にしたいと離婚を受け入れた「元嫁」さん。

 

これって、互いへの思いやりの最上級のものなんじゃないだろうか。

今生き延びているわたしは、アスファルトに寝転がって夜風に吹かれながら、そんなことを思い出した。

 

あのふたりは、どうしているのだろうか。

そういえば、離婚は結婚直後のことだと言っていた。

夫「だった」人は、まだこの世にいるのだろうか。

 

 

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【プロフィール】

著者:清水 沙矢香

北九州市出身。京都大学理学部卒業後、TBSでおもに報道記者として社会部・経済部で勤務、その後フリー。
かたわらでサックスプレイヤー。バンドや自ら率いるユニット、ソロなどで活動。ほかには酒と横浜DeNAベイスターズが好き。

Twitter:@M6Sayaka

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