先日、『「楽をするヤツは好きになれない」という昭和の経営者』という記事を拝読した。

そのなかでとくに印象的だった、「仕事が終わったら自由に帰れるようにする」という話を紹介したい。

 

一昔前は、「みんな仕事してるのに、自分だけ帰るつもりか?」という圧が強く、とりあえず仕事をしているフリをしてオフィスに残る人がたくさんいたそうだ。

だからこそ記事の筆者は役員会で、「仕事が終わったらいつでも好きに帰っていいように、就業規則を変更しましょう」と提案した。

 

この時間に帰る、という目標があれば、そこから逆算して「どうやったら効率的に仕事を終わらせるか」を考えるようになる。

逆に、早く終わらせたぶん余計な仕事が回ってくるのなら、だれも頑張らない。

仕事の目的は、定時までイスに座っていることではなく、あくまで成果を上げること。「従業員の時間を買っている」という経営者の考えは古い。だから、「終わったら帰る」でいいじゃないか。

 

ーーという内容だった。

 

わたし自身、「有能が無能の尻ぬぐいをさせられる」というシステムは大っ嫌いなので、こういう考えは好きだ。

能力が高い人が報われたほうが、モチベアップになる。

 

……のだが、同時に、ひとつの疑問が浮かんだ。

仕事が終わったら帰れるシステムにすれば、「効率的に働いた人」「成果を上げた人」が早く帰宅できるんだろうか?

 

「終わった人から休み時間」の授業で起こったこと

あれはたしか、小学校5年生のときだったと思う。

小さい頃から作文が得意だったわたしは、国語の時間が大好きだった。

なぜなら国語の先生が、「作文を書き終わった人から休み時間」という方針だったから。

 

原稿用紙を配られて、みんなで一斉に作文を書き始める。なにも思いうかばず鉛筆をクルクル回している子や、何度も消しゴムで消して書き直している子を横目に、わたしはロケット鉛筆ですらすらと文章を書いていく。

まだみんな原稿用紙とにらめっこしているなか、わたしはスっと立ち上がって、先生のところに作文を持って行く。

 

「おお、もう終わったのか。いつも1番だな」

そう言われるのが、なによりもうれしかった。

先生のその声を聞いて、みんながわたしに驚きのまなざしを向ける。なんという快感。

 

最初は、普通に作文を書いただけだった。でも自分は文章を書くのがかなり早いほうだと気づき、そしてそれは褒めてもらえるカッコいいことなのだと知った。

そこで次第に、「いい文章を書くこと」よりも、「早く終わらせて目立つこと」が目的になっていったのだ。

 

その結果、わたしはよく考えずに文章を書き始めるようになり、推敲も誤字脱字チェックもしなくなった。別に、誤字脱字があったからって成績が悪くなるわけじゃない。一番をとるほうが大事。

そんなふうに国語の授業を過ごしていたある日のこと。いまでも覚えていることがある。

 

作文の時間中、となりの席の北山君が、消しゴムを落としてしまった。青いケースのMONO消しゴムだ。それがコロコロと、わたしのほうに転がってきた。

わたしは、見て見ぬふりをした。

だって消しゴムを拾って渡す時間が、もったいないから。早く作文を終わらせたいから。

 

早く終わっても得しない、だからこそ丁寧に書くようになった

6年生になって、国語の先生が変わった。

新しい先生は、「先生が回収に行くから、書き終わったら静かに手を挙げて」と言った。「書き終わっても授業終了のチャイムまでは席についているように」と。

 

えぇ、それじゃわたしが目立てないじゃん!!

と思ったのだが、実際やってみると、こっちのやり方のほうが「みんなのため」になるのだと気づいた。

 

前の授業スタイルでは、終わった人はどんどん教室から出て遊びに行くので、たとえまだ授業時間内だったとしても、終わっていない人は焦ってしまう。

逆に、早い人は「より早く終わらせて早く遊ぼう」とどんどん手を抜くようになる。わたしのように、いい作文にすることよりも、早く終わらせることを目的にするのだ。

 

しかしこの方法なら、それは起こらない。

ゆっくり考えたい人は、時間をたっぷり使って書けばいい。焦る必要はない。早く書き終わる人だって、終わらせたところで大きなメリットはないんだから、丁寧に書こうと思う。

 

ちなみに作文を書き終わった後は、小説を読んでいようが、別の教科の塾の宿題をしていようが、先生はなにも言わなかった。「みんなの邪魔にならなければそれでいい」という考えだったから。

 

だからわたしは、5年生のときより、より丁寧に作文を書くようになった。書き終わったあとは、宿題をしたり、友だちとの交換ノートを書いたりして過ごす。

もともと宿題は夜に家で、交換ノートは放課後の教室で書く予定だったから、前倒しでできてラッキー。たとえ時間をかけて作文を書いたとしても、そもそも授業時間なのだから、損した気持ちにはならない。

 

そう考えると、5年生のときの「終わった人から休み時間」って、作文が早い子にとっても遅い子にとってもメリットが少なかったな、と思う。

早い子は、さっさと終わらせるために手を抜く。遅い子は、まわりがどんどん遊びに行ってしまい焦る。

 

それなら、「とりあえずみんなイスに座ってはいるけど、終わったら別のことをしていていい」のほうが、トータルで考えたら「平和」なのかもしれない。

 

仕事が終わった人から帰る≠優秀な人から家に帰れる

……という経験をした。

もちろんこれは学校の話であり、成果を求められる仕事と同じ条件ではない。

 

しかし「終わった人から早く帰る」システムにすれば「優秀な人が良いものを仕上げて早く帰宅できる、報われる」かというと、一概には言えないと思うのだ。

なぜなら仕事は、「終わる」の定義が人によってちがうから。

 

その日にできることをすべてやったら帰宅、と考える人もいるし、締め切りが近い緊急の仕事が終わっていればそれでいい、と考える人もいるし、チーム全体の仕事が落ち着いたら、と考える人もいる。

「効率的に働ければ早く帰れる」といっても、ゴールがちがう以上、「有能から帰宅する」とはかぎらないわけだ。

 

というか、効率的に働くために努力するよりも、「早く帰るために適当に手を抜いていい感じのところで切り上げる」という人のほうが多いと思う。

効率化は有能な人にしかできないけど、適当にごまかすのはだれにだってできるから。

 

「このメールの返事は急いでないから明日でいっか」

「書類の記入方法? うーん、俺はそれ担当じゃないから、悪いけど別の人に聞いて(本当は知ってるけど)」

「うわ、あの人なんだか電話でトラブってるみたいだな。火の粉が飛んでくる前に避難しておこう」

 

こんな感じで、優先度が低いものへの対応が雑になり、他人のフォローや協力はおざなりになる。

 

でもそれを責めることはできない。

だって、「早く帰りたい」んだから。

 

で、実際にそそくさと帰り支度を始めるのは、「この程度でいいや」と要領よく切り上げられる人。その一方で、「これも確認しておいたほうが後輩が楽になるかも」と丁寧に仕事をする人は、帰らない。

「仕事が終わった人から帰る」システムは、かならずしも「優秀な順番で家に帰れる」わけではないのだ。

 

結局、「定時まではオフィスにいる」ほうが平和じゃないか?

念押しするが、わたしは有能が無能の尻ぬぐいをさせられるのは大っ嫌いだ。

頑張るほど損をするのは愚の骨頂。能力がある人は評価され、報われるべき。当然のこと。

 

でも「終わった人から帰っていい」システムなら「有能が報われる」のかというと、正直確信が持てない。

むしろ日本では、「終わったら帰っていい」を「終わるまで帰っちゃダメ」と同義にして、「これ終わるまで帰るなよ」というパワハラに使う人さえいそうだ。

 

さらに言うと、たとえ定時に帰宅したとしても、まわりみんながそれより2時間早く帰っていたら、気持ち的には「2時間残業した」のと同じような気分になる。

ほら、牛角の女性割引でもそうだったじゃないですか。男性はいままでの金額(定額)のままだけど、「女が安いなら男は損をする」って怒る人がいたわけで。早く帰る人がいたら、定時まで働くことが損って風潮になるよ、絶対。

 

そういう事情を踏まえると、「帰宅」を目標にするよりは、「定時まではオフィスにいてね。でも仕事終わってれば自由時間だし、用事がある場合は帰ってもいいよ」くらいのほうがいいんじゃないかと思う。

 

まずは自分の仕事を終わらせる。必要なことが終わったら、あとは定時まで翌日の準備をしたり、資料集めをしたり、そういうことに時間を使う。なんなら、仕事に関する資格の勉強をしたっていい。

そのなかで、仕事が終わらず困っている人がいたら、少し手伝ってあげる。どうせ暇だし勤務時間内だから、仕事をするのは当たり前。別に損した気持ちにはならない。

 

でも早めに帰りたい日は、「今日はこれで失礼します。いやー、子どもの誕生日なんですよ。ケーキ屋が閉まっちゃうんで。んじゃまた明日!」と笑顔で帰宅。

優先順位は、自分の仕事>他人の手伝い≒用事>帰りたいから帰る、っていう感じ。

なんというか、これくらいのほうが、「平和」な気がする。

 

効率や成果を重視しつつ、やっぱり人間関係も大切

で、実は夫の会社がこんな感じでして。

16時すぎたあたりでみんな帰宅準備モード。終わってない人がいたらちょっと手伝ってあげる。手伝う必要がないときは、細かい確認をしたり、コーヒー片手にちょっと雑談したり、次の日以降にすべきことを話し合ったりする。

 

そのなかには、「新しい上司はこういう人らしいよ」とか、「そういえば出張のときこの資料を持って行くといいぞ」といった、情報収集・情報交換も含まれる。

で、17時すぎらへんからぼちぼち人が帰り始める。

 

もちろん忙しいときはまったく別。17時になってもだれも仕事が終わってないので、とりあえずみんなで頑張る。自分が終わっても、あまりにしんどそうなら他人のぶんも手伝ってあげる。で、「もういいんじゃね」「これ以上はキリがない」「だな」とみんなで帰る。

 

これが基本だけど、日によっては「今日病院行きたいんで早めに帰ります。やることはやっといたんで」「手伝いたいけど今日はムリなんだ、困ったことがあったら明日相談して」と言って帰ることもある。

とりあえず勤務時間中はオフィスにいることが基本。自分の仕事が最優先で、余裕があれば他人を手伝ってあげる。もちろん、手伝ってもらうこともある。でも用事があれば帰ってもOK。

 

効率や成果はもちろん大事だけど、ほとんどの仕事はひとりではできないので、人間関係もおざなりにはできない。だからこれくらいが「ちょうどいい」んじゃないかと思う。

 

「早く帰る」が最優先事項にならないバランスが必要

こうやって書いていて改めて思うのは、「効率的に働く人が報われる」「成果を上げたら評価される」というのが、「うまく手を抜いたらイージーモード」「他人を手伝わない人間が得をする」になってはいけない、という難しさだ。

 

無駄を省いて効率化をするのと、手を抜いて効率化するのが同じ評価なら、みんな後者を狙うに決まってる。

成果を上げるのが正義なら、他人の手伝いなんてもっともムダなことだから、他人のために時間を使うなんてバカみたい。

……となってしまうと、チームとしては成り立たない。

 

もちろん、効率的に働くこと、成果を上げることは大事だ。

それができる人が認められ、しっかり報酬を受け取れるシステムであってほしい。

 

でもそれを突き詰めると「必要なこと以外せず他人を助けないことが最善」になっちゃうから、そうならないように、どこかしらで「持ちつ持たれつだよね」というバランスは必要になるんじゃないかな、と思う。

 

 

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【著者プロフィール】

名前:雨宮紫苑

91年生まれ、ドイツ在住のフリーライター。小説執筆&写真撮影もやってます。

ハロプロとアニメが好きだけど、オタクっぽい呟きをするとフォロワーが減るのが最近の悩みです。

著書:『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』(新潮新書)

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Photo:Luke Chesser