あるwebサービスを運営する会社の社長と話をさせていただいた時、「良い人間関係とは何か」という話になった。

 

通常、良い人間関係というと、

・気が合うこと

・話が盛りあがること

・お互いを尊重できること

などの特徴が挙がってくるが、その経営者は「そんなものは良い人間関係とはいえない」と言った。

 

「僕は人を多く見てきてるから、よく思うんだけど、「気が合う」とか「お互い尊重できる」とかって、本当に苦しい状況に追い込まれた時には、簡単に壊れるんだよね。」

「苦しい状況とは?」

「例えば、一緒に起業したけどうまくいかない、とか。」

「ほう」

「片方の人物がすごく仕事がうまく行っているけど、片方は全然うまく行かず、落ち込んでる、とか。大病を患った、とか。」

「なぜ、壊れてしまうんでしょう。」

「気が合う、ってのがワナだね。多くの人が「気が合う」って感じているのは、実際は衝突がないだけ。表面をなぞっているだけの人間関係だよ。」

「例えば?」

「うちの会社で、こんな話があった。昔、部長が二人いたんだよ。業績が良い時は、すごく良い人間関係だと皆思っていた。なにせお互い衝突することはほとんどどない。たまに議論があっても、「じゃ、あなたの案で行きましょう」と、簡単に合意できる。」

「はい。」

「意思決定も早いしこれは良い人間関係だと。お互いを尊重しているんだと。私もほかの皆も思ってた。」

「……」

「でも、それ、全部ウソだったね。私の人間理解が甘かったんだが、良い人間関係って、衝突の上に築かれるものであって、和やかさの上には築かれない。」

「何故そう思ったのですか?」

「会社の業績が伸び悩みを見せ始めた時、「なんか雰囲気悪いよね」と誰もが感じてたけど、だれもその原因がわからなかった。」

「はい」

「で、一人ひとりに時間を作って「何が問題か」と聴いて回ったら、よくわかった。皆が「言いたいことがあるのに、黙っている」という状態だった。何で直接言わないんだ、と聞くと、人間関係を壊したくない、っていうんだよね。これ、メチャクチャヤバイと思った。つまり、人間関係を壊したくない、と思う心が、人間関係を更に悪化させる、ってことだ。

 

なるほど、と思う。

嫌われまい、嫌われまいと思うと、気に入られようとしてかえって卑屈になってしまう。良い人間関係を生もう、いい友達でいようと思うと、ビビってしまい、かえって心を開くことができない。

 

社長は言った。

「だから、オレはもう「良い人間関係」は「衝突があること」が必須の条件と思ってるよ。」

「衝突があるからといって、良い人間関係とはいえないですよね。いがみ合ってるだけとか。」

「もちろんそうだ。だから「衝突」はベースにあるだけ。人間同士はもともと衝突するもの、そういうように考えることがまず出発点。」

「その先には何が?」

「簡単だよ。衝突の先にあるのは、対話だよ。相手の話を聴いて理解しようとする姿勢。」

「……」

 

 

オランダの哲学者であるスピノザは著書*1の中で、

「私は人間を嘆かず笑わず嘲らず,ただひたすら理解しようと努めた」

と述べた。

「良い人間関係」とは、衝突を恐れず、相手を理解しようとする姿勢そのものである。そう言って良いのかもしれない。

 

 

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(Rita Kravchuk)