こんにちは。「株式会社わたしは」の竹之内です。
今回は「株式会社わたしは」が創り上げる人工知能が多大な影響を受けている、3名の尊敬する学者を紹介します。
皆さんは「複雑系」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
90年代なかば、米国ロスアラモス国立研究所からスピンアウトした物理学者、経済学者が、サンタフェ研究所に集い、カオスやフラクタル、自己組織化といった「要素還元的手法ではわからない」現象に対して、新しいアプローチを提案し合い、一種のムーブメントになりました。
著名な研究者としては、ノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマンや自己組織化の研究の権威、スチュアート・カウフマンなどがいます。
※ミッチェル・ワードロップ『複雑系―科学革命の震源地・サンタフェ研究所の天才たち』にこの辺りのドラマがとても面白く描かれています。
もちろん、日本においても複雑系科学は盛り上がりを見せます。
代表的な科学者を何人か上げれば、「カオス結合系」の津田一郎さん、「人工生命」の金子邦彦さんとその高弟の池上高志さん、「内部観測」の松野孝一郎さんとその理論を独自に発展させた郡司ペギオ–幸夫さん、などがいます。
そして、沢山の研究会が開かれ、そこでは領域横断的に多くの学者が意見を交わしたのでした。
そんな中のひとつとして「養老シンポジウム」という会合が養老孟司さんを中心に開催され、池田清彦さんや茂木健一郎さん等の他に、上述の松野孝一郎さんと郡司ペギオ–幸夫さんが参加し、それぞれの問題意識を議論しました。
そして、私が最も大きな影響を受けたのが、その中の一人、早稲田大学理工学術院基幹理工学部・研究科教授(当時は神戸大学に所属)の郡司ペギオ-幸夫さんです。
「ペギオ」という名前を聞くと一瞬、「実在の人物なのか?」と疑いたくなる方もいると思いますが、れっきとした実在の人物です。
「ある日突然自身のミドルネームに「ペギオ」と付けて論文投稿したり」あるいは「アロハシャツばかり着たり」といった風変りさが目立つ、エキセントリックな科学者です。
私は彼の「内部観測」論に強く魅せられました。何しろ、はじめて彼の著作を読んだとき、ほとんど書いてあることがわからなかったのです。
「わからないのに、魅せられる」とは矛盾するかもしれません。ですが「ここにはとても大事なことが書いてある」という確信はありました。
なんとしても彼の言うことを理解したい、彼に追いつきたい。そう思い社会人から大学院に戻る決意をしたきっかけを与えてくれた方でもあります。郡司ペギオ幸夫さんの存在無くして、我々の人工知能の研究は存在し得なかったのです。
我々が憧れる二人目の科学者は、東京大学大学院情報学環教授の池上高志さんです。池上高志さんは先程ご紹介した郡司ペギオ幸夫さんと親交も厚く「複雑系研究者」としてしのぎを削り合う仲です。
ところが郡司ペギオ幸夫さんと、池上高志さんの研究アプローチは大きく異なります。
池上高志さんの研究は、「少数の自由度で多様な状態遷移を見せるもの」の性質を解き明かしていくという、複雑系研究の主要な流れを汲むものでした。
郡司シンパの私は、そんな池上さんの研究を素直には受け入れがたいという態度を取ってきました。
ただ、私が池上高志さんの研究者としての大きさに触れたのは、2015年4月26日に行われた『複雑系研究会』でのお話を伺ったときです。
この時の研究会には松野考一郎さん、郡司ペギオ-幸夫さん、茂木健一郎さん、中沢真一さん、相澤洋二さん、等が参加していました。
池上高志さんはこの会で、それまでの「少数自由度から非線形現象(生命現象)を説明する」というアプローチではなく、「データドリブンなコンピュータ群が生物の挙動に似ている」というマッシブ・データフローという概念の説明を行いました。
私は驚きました。(池上さんご自身は明言をされてはいませんでしたが)マッシブ・データフローは、それまでの研究アプローチからの大きな転換を宣言するものだと思えたからです。
しかも、複雑系科学の正統な嫡子である池上さんが、この歳になって自分の研究態度を大きく変えるという表明すること。それは驚嘆すべき勇気です。
三人目にご紹介する研究者は、哲学者の塩谷賢さんです。上でご紹介したお二人とは異なり、彼は同じテーマへ「哲学」からのアプローチを取っています。
ですが私から見るに、塩谷さんは郡司ペギオ幸夫さんの最も良い理解者であるといえます。
塩谷さんの特異性は、彼の単著となる論文や書籍が極端に少ない所にあります。彼は「書いてしまうことへの自制」を公言しています。
それにもかかわらず、日本の哲学界に塩谷賢の名を知らない人はいない、というくらい圧倒的な存在感を学会でも示されているのです。
しかし、塩谷さんのお話を直接伺えば、なぜこの方が論文をほとんど書いていないにも関わらず、哲学界で尊敬を集めているかよくわかると思います。
彼の語ること、彼の考える事すべてが、あまりにも豊穣なのです。
あえて誤解を恐れず申し上げると、日本の哲学者の殆どは「哲学者研究」をしています。それは哲学ではなく「カント論」「デカルト論」といった、西洋哲学者の研究に過ぎません。
塩谷さんが行っているのは、紛れもなく「哲学」です。私はその一片の曇りもない、知識を追求する態度に強い感銘を受けました。
「研究とは、ここまで「知りたい」という欲求をむき出しにしてよいのだ。」そう思ったのです。
そして、ありがたいことに、今月、このお三方と共に、早稲田大学の「科学と芸術」という講義で講師させて頂く機会をいただきました。
憧れ続け、少しでも近づきたいと思っていた研究者の方々の肩の上に乗り、そして、肩を並べられる存在になれれば。
そう思うのです。
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