人間を衝き動かすモチベーション源にはいろいろなものがあります。

承認欲求をはじめ、あれこれの欲求が重要なのは言うまでもありませんが、もっと厄介なものがモチベーション源になっていることもあります。

 

そもそも、欲求それ自体はポジティブです。

他人から褒められたい。信頼できるパートナーや誇れるグループと一緒にいたい。たくさんお金を稼いで良い暮らしをしたいetc……。

いずれの欲求も、人間の社会適応やスキルアップを支える大切なものです。

仏教の教えのなかには「欲求(執着)からの解脱=悟り」とする考え方もありますが、もし、すべての人が欲求から解脱してしまったら、人類社会は滅びてしまうでしょう。

 

他方、「こんな欲求なら、無いほうがマシなんじゃないか」と思わせるような振る舞いの人もいます。

他人に評価されるためならどんな無理でもやってしまう人、

グループに所属するためなら犯罪すら厭わない人、

お金やモノをどれだけ手に入れても満足できない人

などは、モチベーションに導かれて努力しているというより、モチベーションに鞭打たれて頑張り続けている“欲求の奴隷”のようにみえます。

 

 

“欲求の奴隷”の正体は“不安の奴隷”

こうした “欲求の奴隷”のような人々を観察してみると、その背景に、強い不安が潜んでいることがみてとれます。

・他人に評価されるために無理をしている人の背景には、他人に評価されない状況に対する強い不安が

 ・グループに所属するためなら何でもやりかねない人に背景には、グループから追い出されてしまうことへの強い不安が

・どれだけお金やモノを手に入れても満足できない人の背景には、お金やモノが無くなってしまう事態への強い不安が

 それぞれ潜んでいます。

 

こうした不安は、意識のうえでは「評価されたい」「グループに所属したい」「もっとお金やモノを手に入れたい」といった、一般的な欲求のかたちをとるのが常です。

 しかし第三者の目からみると、不安がモチベーション源となっている人の「評価されたい」「グループに所属したい」「もっとお金やモノを手に入れたい」には、どことなく違った雰囲気が感じ取れるものです。たとえば、

 

・融通性の欠如。その欲求のことになると、普段よりも感情的になったり考えが頑なになったりする。他人の意見やアドバイスを参考にできない。

・満足感の欠如。不安がモチベーション源の人には、満足や喜びの感覚が乏しい。安堵の瞬間なら認められるが、すぐ消えてしまう。

・自覚の欠如。自分自身が不安にモチベートされていると自覚するのは困難だが、第三者からみればそれを見透かすのは比較的容易。

 

こうした特徴は、不安をモチベーションに行動している人にはありがちなものです。

 融通がきかず、満足できず、そうした自覚も乏しいわけですから、外観上、そういう人は「欲求に向かって真っ直ぐに進み続ける人」「ハングリー精神のしっかりした人」のようにみえます。

しかしその正体は「不安に鞭打たれ、ひたすらに進み続けるしかない人」であり、“欲求の奴隷”というより、“不安の奴隷”です。

 

 

“不安の奴隷”でも社会的に成功することはある。が……。 

「融通がきかず、満足感も得られず、その自覚も乏しい不安な人間」と書くと、さぞ悲壮な人生のように聞こえるかもしれません。

実際、うつ病や適応障害といった精神疾患に該当する人のなかには、まさにこの“不安の奴隷”に当てはまり、それが災いして膠着状態に陥っているケースがときどき混じっています。

また、世の中には“不安の奴隷”になっている人を探し出し、その性質につけこんでやろうとしている業者や団体も多く存在します。

 

ですから、不安がモチベーション源になっている人の社会適応が危なっかしいのは事実だと思います。

 

ところが、不安がモチベーション源になっている人も、案外、社会的成功をおさめることがあります。

融通がきかず、満足感も得られず、その自覚も乏しいということは、

「同じ方向でいつまでも死に物狂いで努力を続けられる」

ということでもあります。

 

満足することが無い=ハングリー精神を失わないわけですから、その絶え間ない努力と才能と噛み合い、運や状況が味方した時には、常人には困難な成果をたたき出すこともあります。

 

ただし、満足することがないということは主観的にはいつまでも飢えた状態が続くということですし、融通のきかなさは、時代の変化をフォローするには向いていません。

せっかく社会的成功をおさめても、満足感を噛みしめないうちに時代から取り残され、軌道修正もできないまま没落してしまうリスクはついてまわります。

 

不安は、人を衝き動かすモチベーション源としては決して弱くないというより、むしろ強力な部類に入ります。

だから、ツボにはまると途方もない牽引力を発揮することもなきにしもあらずです。ですが、融通がきかず、満足感が得られず、自覚も難しいため、不安を主たるモチベーション源にして生き続けるのは簡単ではないでしょう。

 

 

人間に不安はつきものだが、縛られ過ぎるとしんどくなる

さきにも少し触れましたが、精神科/心療内科の外来には、不安を主なモチベーション源として頑張ってきたけれども、ついに社会適応が困難になってしまった、そういう患者さんがいらっしゃることがあります。

そのような患者さんに出会った時、私は、“不安の奴隷”状態について少しずつ意見交換し、軌道修正ができないか試みるよう心がけています。

 

もちろんこれは、ある程度心身のコンディションが回復した後に考えるべきことですし、意見交換に耐えられる患者さんかどうか、見極める必要もあります。

そこまで慎重に構えてもなお、必ずうまくいくとは限らず、“深入り”を断念せざるを得なくなることもあります。

 

それでも、“不安の奴隷”状態に陥っている人が我が身を振り返り、なんらかの軌道修正に成功した時には、単に病状が改善するだけでなく、今までとは違ったライフスタイルが芽生えてきて、こちらが驚くほど変化することがあります。

 

うつ病や適応障害が「治る」と言っても、その「治りかた」は、患者さんによって十人十色です。

しかし、こと、不安がモチベーション源になってしまっている患者さんが不安の軛(くびき)を逃れ、そのぶん、自分の欲求を持てるようになった時の「治りかた」はいつも劇的です。

うまく言えないのですが、「この人は、これでもう大丈夫」と思いたくなる感覚を伴っているのです。

 

不安の感じ方は個人差が大きく、その背景には、遺伝的要因も大きいのだそうです。とはいえ、軌道修正に成功する人がいるところをみると、全員が全員どうにもならないわけでもなさそうです。

 

と同時に、普段はあまり不安にモチベートされていない人にとっても、これは他人事ではないかもしれません。人間が人間である限り、欲求という名の“飴”と不安という名の“鞭”の両方が備わっているのが常ですし、その両方が機能しているのが人間として自然なのでしょうから。

 

そして、どんな人間にも、“弁慶の泣き所”のようなコンプレックスが一つ二つは隠れているので、ドツボにはまると、“不安の奴隷”状態に陥ることはあり得ます。なかなか厄介な話ですが、不安もまた人間性の一部なのですから、なんとか付き合っていくほかないと思われます。

 

 

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【プロフィール】

著者:熊代亨

精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。

通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)など。

twitter:@twit_shirokuma   ブログ:『シロクマの屑籠』

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(Photo:Alessandra)