休日に電車に乗ると、たくさんの親子連れを見ることができる。
楽しそうな家族、厳かな家族、静かな家族。
どの家族も、電車の中で様々な様子を見せてくれるが、こと「子供の扱い」に関しては二分されるように感じる。
一つは、親がスマートフォンなどを見て、子供とほとんど話をしない家族。
もう1つは、親が子供と会話することに時間の大半を割いている家族だ。
親が子供に対してどう振る舞うかは、基本的に親の自由であるし、電車の中だけの1シーンだけを切り取って一般化することに無理があるかもしれない。
だが、電車内での親子の様子を見、会話を聞いて、私は
「親の子に対する態度は、子供の語彙や、知識、物の見方に、さぞかし大きな影響があるのだろうな」と、思った。
例えば、ある親子は、こんな具合だった。
車内アナウンスを聞いた子供が「◯◯(終点)って、どこにあるの?」と聞く。
だが、親はスマホでゲームに興じているようで、何も答えない。
子供は、もう一度同じ質問をする
母親は、うるさいわね、大きな声を出さないで、とだけ言う。
子供は黙ってしまった。
足をぶらぶらさせて、あちこちを見ているが、親は完全に子供を無視している。
一方で父親もスマートフォンを熱心に見ており、母親と子供の方を振り向きもしない。
しばらくした後、この両親は子供にスマートフォンを与えてゲームをやらせ、子供はおとなしくなった。
その後、別の親子連れを見た。
子供はマンション広告らしきものを見て、母親に質問している。
なんて書いてあるの?
「ふうこうめいび、よ」
「どういう意味?」
「眺めが良くて、お日様がいっぱい当たる。てことよ」
「ふーん。」
しばらくすると、また子供が聞く。
「まだ着かないの?」
「あと15分くらいだよ」
「15分てどれくらい?」
「1秒の60倍が1分。それの15倍。」
「1秒って何?」
「時計を見て。いーち、にーい、さーん、これが1秒。」
子供は外を眺めている。
「あれな~に?」
「どれ?」
「あの白いやつ。」
「ああ、お月さまだね。」
「まだお昼なのに、お月さまが出てるの?」
「昼にもお月さまが見える時があるんだよ。」
「なんで?」
「本当は昼夜関係なく、星も月も出てるんだよ。ただ、太陽が明るいから星は見えなくなるけど。月はかなり明るいから昼でも見える。」
「ふーん。」
社会学において、「文化資本」という概念がある。これは、社会学者のピエール・ブルデューが提唱したもので、社会的階層を生み出すとされる非経済的な要因を指す。
文化資本
これは家族から受け継ぐ、あるいは学校教育によって生産されるさまざまな能力である。
文化資本は三つの様態で存在する。身体化された、すなわち身体の持続的性向、つまりハビトゥスとして存在する資本は、たとえば人前でよどみなく発言できる能力、クラシック音楽を鑑賞する能力。上層階級のものとされるスポーツの技能、あるいは学歴、教養など。
客体化した資本とはたとえば絵画とか蔵書、情報処理機器など、文化(的)財である。
さらに制度化された資本とは諸制度、とりわけ国家によって社会的・公的に認知された財、たとえば出身校や学位、各種の資格(会計士、弁護士など)や身分(国家/地方公務員など)である。
文化資本は、様々な要因によって形成されるが、親から継承されるものも多い。
私は、件の親子連れを思い浮かべ、
「これが毎日、10歳になるまで続いたら、どれほどの差が蓄積されるのだろう。」と考えた。
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「経済格差が、さらに次世代の経済格差を再生産する」という懸念がある。
しかし、現実には「経済力」がその後の格差を生み出しているというよりも、遺伝的な特性を含めた「親の能力」が、子供世代の経済力の格差や、学歴などを、それなりの割合で左右しているのではないだろうか。
仮にそれが正しいとすると、構成員の間で「完全に機会均等である」共同体を作るのは、極めて難しい。
極端な話、それを行うためには、国が家庭に踏み込んで「親の権利」をある程度、制限する必要がある。
例えば、古代ギリシャの一都市国家であったスパルタは、親から子供を取り上げて、皆で育てた。
スパルタ人の日常生活はすべて、軍務を至上目的とした計画にそって進むことになった。子供は生れるとすぐ、長老たちの試験にさらされる。健やかに成人できそうか否かが、この段階で決められてしまう。
できそうもないとされた赤子は、捨てられるか奴隷にされた。壮健な戦士に育ちそうだと判断された子供は、六歳までは親もとで育てることが許される。
だが、七歳になるやいなや、親もとから離されて寄宿舎生活に入る。同年配の少年たちと共同生活しながら、戦士養成を目的とする計算されつくしたスケジュールにそって、教育がほどこされるのである。
(中略)
皆が平等に低い水準にあるのなら嫉妬も生じない。持てる者と持たざる者の間に生ずる階級闘争にも、無縁でいられるということになる。
このスパルタに、泥棒さえもいないことは有名だった。スパルタには、アテネにはつきものであった権力抗争もなく、政治上の安定を長期にわたって維持できることになる。
現在の公教育の起源は、南北戦争当時のアメリカにある。
が、それが始められた当初は「国が家庭に踏み込むな」との批判があった。
子供は親の所有物であるとの考え方が支配的であり、かつ家庭の貴重な労働力だったからだ。
だが現在、子供に義務教育を受けさせないのは犯罪だ。
「勉強なんてするな。学校なんて行く必要はない」という親は、子供を虐待しているのと変わらない。
科学革命によって「知的能力」が大きな意味を持つようになった今、子供に「知的能力」を継承させることは、富を継承させることと同義である。
だが、すべての親が、継承させるべき優れた知的能力を保有しているわけではない。
「教育の機会均等」を真剣に考えれば、親の権利をさらに制限する方向に、世界は進むかもしれない。
例えば、3歳を過ぎた子供は、寄宿生活にはいり、平等な幼児教育を受ける……と言った具合に。
だが、それは個人の権利を最大限認める「現在の常識」とは大きく異なる。
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